伊勢神宮・宇治橋鳥居

寺社・宗教

伊勢神宮 七つの秘密をご存知?参拝前に押さえておきたい日本最大級聖地の歴史

2025/01/01

伊勢神宮は、正式には「神宮」と呼びます。

神宮は一つの社だけを意味するのではなく、二つの相並び立つ「内宮」(皇大神宮)と「外宮」(豊受大神宮)の2社を中心に、別宮、摂社、末社、所管社を含めた125社からなっています。

八百万の神々が具現化したような聖地なわけです。

通常の参拝方法としては、まず食の神様豊受大御神(とようけおおみかみ)を祭る外宮から参拝し、次にバスなどにのって、天皇家の祖先神であり太陽神のアマテラス(天照大御神)がまつられる内宮を参拝します。

とはいえ、とくに年末年始に両社を移動するのは大変ですので、多くの方は内宮のみという選択のようです。

そのため内宮の参道であるおはらい町にあるおかげ横丁は日本有数の観光地となっています。

江戸時代以来の伊勢まいりの賑やかさと一転して静寂な境内を訪れることで、普通の神社以上にとても清々しい気分になれるのです。

 


心のふるさと伊勢神宮七つの秘密

伊勢神宮では2013年10月1日、内宮で10年に一度の式年遷宮が行われました。

この2日夜に行われたのは7年間にわたる式年遷宮の数々の儀式のクライマックス。

ご神体(天照大神)が古い正殿から新しい正殿へと遷られる「遷御の儀」です。

盛り上がった式年遷宮の流れを受け、2016年5月には伊勢志摩サミットが開かれ、各国の首脳が伊勢神宮に参拝しました。

この日本人の誇りである伊勢神宮について、歴史作家の恵美嘉樹氏が歴史的・考古学的な見地から浮かび上がった七つの秘密をご紹介します。

伊勢神宮五十鈴川

 


その1 アマテラスの父母が祀られていなかった

伊勢神宮の神様はアマテラス。

彼女のお母さんは、日本神話で有名なイザナギとイザナミ(兄妹婚)です。

アマテラスが神宮の主神である以上、当然、有名な神様である父母だってまつられていて不思議じゃない。なのに、ずーっとご両親は無視されてきたのです。

そしてとうとうご両親キレました!

772年(宝亀3年)8月6日に、伊勢のイザナギ・イザナミ神(および弟の月読神)が祟ったのです。

続日本紀によると、異常な風雨で樹木を根こそぎにされ家屋が倒壊したとあるので、おそらく伊勢湾台風級の台風被害だったのでしょう。

そこで、朝廷はあわてて、イザナギ・イザナミを官社(朝廷直轄の神社)としてお祭りすることになったのです。

伊勢神宮月読宮

なんで、そんなことが起きたのかというと、もともと伊勢神宮の神様は「アマテラス」と呼ばれていたかも定かでないけど、神様の中でも別格の神様でした。

その「別格神様」を、飛鳥時代の律令制(国際化)にあわせて天皇家の祖先ということにしたことでできたスキマだったと考えられます。

「もともとのイセの神様」(別格すぎてお父ちゃんやおかあちゃんはいない)+「天皇家で一番偉い神アマテラス」(天皇家の神々でも別格だけど、父ちゃん母ちゃんはいる)=「伊勢神宮のアマテラス」と合体したときに、父ちゃん母ちゃんを忘れてしまっていたということですね、はい。

 

その2 伊勢神宮にも付属の仏教寺院があった

神宮寺と聞くと「サクラ大戦」のヒロインや「リク」の悪者を思い出すのですが、それはともかく、明治時代以前は、有名な神社と仏教寺院はほとんど同居していました。

神社の境内などにある神社付属寺院のことを「神宮寺」と呼びます。

それを神仏習合というのですが、でも神社オブ・ザ神社の伊勢神宮だけは、そんな「不謹慎な」ことはなかった、、、はず。

ところが、先の772年の記事にも「伊勢神宮寺を移転した」とあるように、奈良時代には、神宮寺を持っていたのです。

しかし、平安時代になって「あれ? ちょっとおかしくない」という矛盾に気付いてきて、820年にできた法規集「弘仁式」で、伊勢神宮も「ちゃんとしよう」ということでマニュアル(伊勢太神宮式)が作られます。

あわせて、この頃、「仏」や「塔」など仏教に関する言葉は伊勢神宮においては禁忌(タブー)とする「神宮忌詞(いみことば)」ができ、仏教は排除されます。

神宮への勅使に任命された貴族は、選ばれたその日から仏教儀式をすることは禁止。僧侶や尼との接触も禁止されます。

「伊勢神宮はもっとも早く神仏習合が始まり、もっとも早くなくなった神社なのである。

(略)現存する儀式帳には神仏習合をうかがわせる記述はまったくなく、むしろ神仏分離の成果報告として提出を義務づけられたのではない、と思わせるほどである」(

榎村寛之『古代の都と神々』105ページ 吉川弘文館2008年)

との、三重県立斎宮歴史博物館学芸課長(当時)の指摘もあります。

一度は、”廃仏毀釈”した伊勢神宮ですが、平安時代もおわりになると、日本社会として神道=仏教の一体化が進むために、仏教排斥は緩くなっていきます。

儀式としての廃仏は続行しますが、東大寺の復興に全国を飛び回った重源が東大寺再建祈願のために僧侶60人で参拝したのをはじめ偉いお坊さんたちもたくさん伊勢をお参りしています。

※重源さんの場合、さすがに60人の僧侶団体参拝はまずいとして、外宮では深夜に、内宮では2~3人に分かれて参拝したそうです)

中世末期の絵図には、境内にお寺も見えます。(岡田ほか編『事典 神社の歴史と祭り』45頁 吉川弘文館2013年)

仏教強し……。

 


その3 おさいせんを投げてはいけません

伊勢神宮を初めて訪れた人は、正殿への階段をのぼり、いざ!というときに肩すかしをくらうことが多いかもしれません。

正殿の前には「おさい銭箱」がないのです。

内宮への参道。中におさい銭入れはありません。遷宮以来、みんなが投げ入れるので脇に「箱」が置かれるようになりました

伊勢神宮の最も重要な規定は「私幣禁断」。

つまり、個人的な願いをかなえようと手を合わせてはいけません、ということ。

出雲大社が「恋愛の神」として女性に人気なのとは大違いです。

わりと有名な「禁止事項」ではありますが、具体的にはどのようになっているのでしょう。

平安時代にできたマニュアル「伊勢太神宮式」では、「天皇以外の者が奉幣すること」が禁止なのです。

つまり、つまり、そもそも、われら民衆が参拝することすら本来はまかりならなかったのです! ひぇーーー!

幣というのは、神様への貢ぎ物(プレゼント)。

恋愛関係にたとえれば1億人のアイドルアマテラスではなく、天皇とオンリーワンの関係を結ぶ深窓の令嬢といったところでしょうか。

とは言っても、パトロンである朝廷の力が落ちていくと、(神様はともかく)そこに仕える神職らの生活を支えるために、ある意味で伊勢神宮で最も重要な規定は、形骸化されて、今にいたるのです。

ですので、せめて一番奥の正殿に手を合わせるときは、「世界平和」など個人的ではない願いを祈り、恋愛成就などの私的なお願いは、神楽殿やほかの摂社などで頼みましょう。

おさい銭箱がない、つまり、アマテラス様に直接プレゼントできる権利は、いまも一般には公開されていないのです。

内宮も外宮も白い敷布が敷いてあって、そこにはおさい銭がちらほら見られますが、あれは、だめと言っているのに、おさい銭を投げ込むやからがいて、お金が地面に接触して聖域が穢れてしまうのを防ぐための「防御装置」です。

これから参拝する人は、絶対にお金を投げてはいけません(遷宮後にはあまりにもおさい銭を投げる人が多いので、向かって右側に仮設のおさい銭箱が設定されています)。

 

 その4 天皇が伊勢神宮を参拝したことはなかった

意外かもしれませんが、実は江戸時代までの歴代の天皇で伊勢神宮を参った天皇はいませんでした。

なんと、初めて参拝したのは明治天皇だったのです!

廃仏毀釈をはじめとする明治時代の「国家神道」というものが、いかに日本本来の歴史と伝統からかけ離れた「作られた伝統っぽい文化」だったことの証拠のひとつです。

伊勢神宮が、アマテラス大神をまつる国家第一の神社として存在したことが、歴史上間違いなく言える、ぶっちゃけて言うと「日本No.1の伊勢神宮を創設した」のは、飛鳥時代末の天武天皇と考えられています。

日本書紀によれば、雄略大王の時代から王女が「伊勢大神」の祠に侍する慣行のあったことが知られるが、しかし、歴代の倭王ないし王族のなかで、「天照大神」を拝したのは大海人皇子=天武天皇が最初であった。

「伊勢大神」は「伊勢の神」であるのに対し、「天照大神」は「高天原の神」であった。

「天照大神」の出現は、「伊勢大神」からの移行ではなく、新しい神の創出である。

「日神」と「天照る大神」との類似性はあるが、しかし「日神」の自然神としての正確は、捨象され、人格神としての装いをもった「天照大神」の出現であった

と、九州大名誉教授の田村圓澄さんは『伊勢神宮の成立』(115頁 吉川弘文館1996年・2009年再刊)の中でずばり指摘しています。

天武の妻の持統天皇は、伊勢へ旅行(行幸)しているのですが、あえて伊勢大神をお参りしなかったと明記されているくらいです。

神様の性格を政権の都合で「変更」してしまったのですから、そんなところにいって、「元の伊勢大神」が怒って、たたられたらたまらんと思った回避行動だったのかもしれません。

 

その5 伊勢神宮の地は「ヤマト」の発展から取り残された地域だった

と、表題のように言い切るのはガクブルなのですが、「釣りタイトル」としてご勘弁を。

なにをもって取り残されていたかというと、考古学的にみると、伊勢神宮のある南伊勢という地域が、ヤマト=古墳文化が広がるのが全国的にみても遅い、ということです。

古墳(前方後円墳など)というのは、3世紀中頃にヤマト(奈良県)で確立して、大仙古墳(仁徳陵)などができた絶頂の5世紀には、ほぼ日本列島中くまなく広がるのですが、伊勢南部については、「南勢地域の古墳文化が目立ち始めるのは更に遅れて六世紀以降のことである」(榎村寛之『伊勢神宮と古代王権』116頁 筑摩書房2012年)となります。

出雲大社のある出雲が、弥生時代からのちのヤマトや北九州に匹敵する高く広大な文化圏を広げていたのとは対照的な「歴史の空白ぶり」なのです。

誰が「文化の後進地区」だった南伊勢を、神道文化の頂点の地にしたのか?

古代史の最大のミステリーといえるかもしれません。

伊勢神宮は大中臣氏がずーっとコントロールしています。

中臣氏というのは、藤原氏の母体ですから、藤原不比等あたりかな~と安易に考えますが、「なんでも藤原謀略論」に与するのもなんなので、想像はここらへんにしておきます。

 

その6 アマテラスに仕える巫女「斎王」は永遠に処女なのか?

斎王というのは「さいおう」と呼びまして、伊勢神宮につかえる皇女のことをいいます。

繁栄した都から、地方の伊勢へ、独身の身で行くのはつらいことだったでしょう。

漫画やドラマの題材にもなっている斎王ですが、その悲劇性が強調されるのは、神につかえる巫女なので、その間は結婚できない、という点です。

飛鳥時代に父の天武天皇から「お前、斎王なってこい」と命じられたのが、大伯皇女(おおくのひめみこ)です。

斎王になったのは14歳。そして12年後に帰京します。

26歳というのは、現在ならピチピチもピチピチなギャルですが、当時は完全に婚期を逃しています。でも、まだセーフな年で帰京できた(した)のは、むしろ背景には悲劇があったのです。

大伯皇女は、天武死後に謀反の疑いで処刑される大津皇子のお姉さんです。

弟がこっそりと伊勢の姉に会いに来たことがありました。シスコンなんですね。たぶん、ヤマトタケルが斎王だった姉のヤマト姫(草薙の剣をもらった)にならって、天武後の後継者争いについて相談しにきたのでしょう。

でも、姉はわたす剣もなく、泣く泣く帰らせるのです。で、その後、弟はアボーン。

この弟の謀反に連座という形で、皇女も斎王を解任され、都へ戻ります。その時に歌ったのが以下のものですね。

ふたり行けど行き過ぎかたき秋山をいかにか君がひとり超ゆらむ(万葉集の巻2-106)

【超訳】複数でも大変な伊勢―大和間の山道を、たったひとりで越えてきたのか、かわいい弟よ、うわーーーーーん

ともかく、斎王に選ばれると、青春時代の多くを恋愛なくすごすことになります。

任期はだいたい数年から10年くらいというケースが多かったようです。そのため、斎王を務めたあとに結婚した人もたくさんいます。

聖武天皇の娘・井上内親王。

斎王後に、のちの光仁天皇となる皇族と結婚。

玉のこしハッピーエンドとなりそうですが、なぜか天皇となった夫をのろい殺そうとしたとして、「離縁」され、幽閉されて殺されています。のちに怨霊となっています……。

桓武天皇の娘・朝原内親王。

斎王は18歳で終了。平城天皇(桓武の息子つまり兄妹婚)と結婚しています。

でも、平城天皇は藤原薬子とねんごろになって、薬子の乱を引き起こします。

斎王の女性は結構、波乱万丈ですねぇ……。まるで波乱万丈の女神アマテラスの生き様を体現しているかのように……。

 

その7 正殿の高床式は弥生文化なのか

瑞穂の国の人だもん。稲作が本格的に普及したのが弥生時代、その米を備蓄するために立てられたのが高床式倉庫。

伊勢神宮の正殿も高床式な「唯一神明造り」なので、たいてい「弥生時代に見られる特徴で、そうした弥生の古式の建築文化が残されている」という説明をされています。

こういうもっともらしい定型文はたいていあやしいところがあるんです。

現代は車社会である。車といえば、もとはアメリカのフォードが作った。つまり、現代の日本は、アメリカ文化である、的な……。

技術というのは継続されるもので、文化とは別もの。

都出比呂志『古代国家はいつ成立したか』(岩波新書2012年)には、同じ高床式倉庫でも、弥生、古墳、奈良、平安と時代ごとに「大きさ」が異なっているという指摘をしています。

「貯める」という要素は同じでも、誰が貯めるかによって、それを必要とした社会の形=文化も違ってくるもの(都出さんは別に伊勢神宮の正殿とを比較しているわけではありません)だというのですね。

伊勢神宮正殿(3間×2間 内宮)の面積は約61平米。これを都出さんがまとめた時代ごとの高床式倉庫の面積の表にあてはまると、見事に「奈良時代」の範疇にピンポイントでおさまるのです(古い時代はもっと小さい)。

これは、ことさら「弥生時代にさかのぼるふるーい伝統建築様式」と強調するのは、ちと誤解をまねくことになるといえます。

弥生時代には存在できないほどの大きさであり、律令国家の奈良時代と同じ面積ということは、神宮の正殿は、飛鳥時代や奈良時代の朝廷が最先端の建築技術を駆使してつくった「最新インテリジェントビル」だった可能性が高いのです。

伊勢神宮正殿前

以上で本文終了となり、現地へのサクセスや参拝のコツ等は次ページに掲載しています。

これから出向いてみようかなぁ……という方は事前にご確認を。

また、お問い合わせは伊勢神宮の公式サイト(→link)や神宮司庁(0596-24-1111)へお願いします。

 

アクセス情報・基本編

JRではなく近鉄が名古屋方面から大阪方面からも便利です。

自家用車もまわりに駐車場(有料)がありますが、年末年始や週末はとくに内宮への道は1車線に規制(1車線はバス専用)になり、渋滞の列にはまると戻ることもできなくなります。

そのため、比較的空いている外宮の周辺の有料駐車場に車を置いて、外宮と内宮はシャトルバス(有料)で移動することをオススメします。

外宮=近鉄・JR伊勢市駅下車徒歩5分。

内宮=近鉄宇治山田駅か五十鈴川駅下車でバスで内宮前へ。

 

アクセス情報コツ1・内宮を直接目指さない

伊勢神宮に行くには、電車と車がある。

しかし、初詣・お正月に車で行くことは避けたほうが無難だ。どうしても、という場合は次のような方法をおすすめする。

伊勢神宮の内宮の最寄りの伊勢自動車道伊勢西インターチェンジは、通常なら出口を下りて2キロ、5分ほどで門前町のおはらい町(おかげ横丁は同町内)手前の比較的大きな駐車場(グーグルマップでは内宮B4駐車場で検索)に入れることができる。

ただし、大みそかやお正月は、周辺の道路が1車線分がバス専用に規制され1車線のみになる。

インターを下りられても、すぐに1車線しかない大渋滞のため、引き返すこともできず、何時間も駐車場に入れないこともあるくらいだ。

99%自家用車の目的地が限られた数の駐車場に向かうからだ。

 

アクセス情報コツ2・手前で下りてから

自家用車でいくなら、最初から伊勢自動車の伊勢西IC手前の玉城ICで下り、外宮の伊勢市駅を目指すのがよりベターだ。

伊勢市駅の周辺にはコイン駐車場が多くある。

玉城ICを過ぎてしまったら、伊勢西ICの先(次の伊勢ICが有料区間の終点のために下りてしまいがちだが、同じように大渋滞にはまるのでパスする)にある、無料区間(伊勢二見鳥羽ライン)の楠部ICでおりる。

12月31日午後10時~1月1日午後4時(入庫時間)、2日、3日、6日、7日(午前9時~午後4時・入庫時間)には、楠部ICに近い三重県営サンアリーナの駐車場(1回1,000円)で開放され、ここから内宮と外宮にシャトルバスが出る「パーク&ライド」が行われる。

ナビでは「三重県営サンアリーナ」で検索しよう。

上記のほか、近鉄の朝熊駅やJR参宮線の五十鈴ヶ丘駅などの周辺でコインパーキングにとめて、電車で近鉄・JRともに伊勢市駅(近鉄は宇治山田駅でも可)で降りて、歩いて5分でいける伊勢神宮の外宮からお参りして、外宮からは目の前に止まる路線バスで内宮に直行する。

バスは1車線を占有しているので、大渋滞を横目にすいすい行ける。内宮に距離的に一番近い、近鉄・五十鈴川駅で降りてバスという手もあるが、本数が少ないので注意が必要だ。

繰り返すが、幸せな気分で初詣をしたいならば内宮に車で向かってはいけないというのが結論だ。

「らくらく伊勢もうで」のHP(→link)では上記のパーク&ライドの案内のほか、ライブカメラで周囲の道路の混雑状況が確認できる。

伊勢自動車道の安濃サービスエリアで休憩し、状況を確認の上、伊勢西の手前で下りるか、渋滞覚悟で強行突破するかの覚悟を決めよう。

 

アクセス情報その3・絶対に近鉄だ!

ベストな参拝方法は、この時期は絶対に、電車+バスの公共交通機関に限る。

よく宣伝される「公共交通機関をご利用ください」というフレーズはこの時期の伊勢神宮にとってはまぎれもなく真実である。

電車は近鉄とJRがあるが、名古屋(東京)方面からでも、大阪方面からでも、近鉄のほうが利便性が高い。

JRの関西本線・伊勢線は「本線」とは名ばかりの名古屋では通常3両以内の編成のローカル線扱いで、指定の快速みえも4両編成しかなく、圧倒的に利便性が劣るので、近鉄よりも指定席が安くても通常は近鉄を使う。

また、この時期はまず座れないので、近鉄名古屋から1,320円特急料金が必要だが、近鉄の特急(だいたい1時間に2本、所要時間は約1時間20分)をとれたら、大吉を引く並みにラッキーと思い、迷わず席をとろう。JRにも指定席のある快速みえ(1時間に1本)がある。

実際に出向く時は伊勢神宮や各社で詳細を確認してからにしておこう。


参考文献

『伊勢神宮の成立 (歴史文化セレクション)』(→amazon
『古代の都と神々―怪異を吸いとる神社 (歴史文化ライブラリー 248)』(→amazon
『伊勢神宮と古代王権: 神宮・斎宮・天皇がおりなした六百年 (筑摩選書)』(→amazon
『古代国家はいつ成立したか (岩波新書)』(→amazon
『図説 伊勢神宮 (ふくろうの本/日本の歴史)』(→amazon
『伊勢と出雲の神々』(→amazon
『事典 神社の歴史と祭り』(→amazon
伊勢神宮(→link

TOPページへ


 



リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

恵美嘉樹

作家・歴史旅コンサルタント。 「旅を通じて歴史研究の最前線を社会に還元する」を理念に、二人組ユニットとして活動している。 慶應義塾大学および明治大学の大学・大学院で日本史・世界史を専攻し、歴史書籍の編集者や航空会社の国際広報など、多分野での実務経験を積む。 その後、日本初の“歴史旅コンサルタント”として独立。「日本遺産」「ヤマト巡歴」「世界史街道」など、新たな知的旅行スタイルを提案し、古代史から世界史まで広い領域を対象に、旅と歴史を融合させた企画・執筆・講演を行っている。 ◆主な著書 『日本の神様と神社 ― 神話と歴史の謎を解く』(講談社、2009年) 『全国「一の宮」徹底ガイド』(PHP研究所、2007年) 『図説 最新日本古代史』(学習研究社、2008年) 『最新 日本古代史の謎』(学習研究社、2011年) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/01104329

-寺社・宗教

右クリックのご使用はできません
目次