方違えケガレ

飛鳥・奈良・平安

平安時代で無視できない風習「方違え・穢れ」実際どんな記録が残ってる?

2025/02/23

安倍晴明花山天皇を呪詛するとか。

死んでしまった藤原忯子に近づけないとか。

大河ドラマ『光る君へ』では、現代では受け入れられない迷信めいた話がよく出てきましたが、実際、当時の貴族たちはいくつかの習慣を重く受け止めながら暮らしていました。

その中でも最たる例が「方違え(かたたがえ)」と「ケガレ」でしょう。

いずれも「その禁を破ると不幸が降りかかる」という類のもので、だからこそ貴族たちはそうならないよう、日頃からの行動に気をつけていたのです。

いったい「方違え」と「ケガレ」とはどんなものだったのか?

ドラマに登場する藤原行成や藤原斉信などの具体例も交えて、振り返ってみましょう。

 


方違え

大河ドラマ『光る君へ』に限らず、貴族社会を描いた作品に、ほぼ必ず出てくる習慣が「方違え」です。

当時は、方角ごとに神様がいて、その中でも特定の神様のいる方向は避けなければならない、という考えがありました。

特に「天一神(てんいちじん・てんいつじん・なかがみ)」という神様が重視されていて、もしも、この神様がいる方向に行ってしまうと祟られるとされたのです。

人間を祟るヤツのどこが神様なんだよ!

と思われるかもしれませんが、災害や事故、疫病などへの対処法が極めて脆弱な時代ですから、最終的に“天の怒り”としないと精神的に耐えられなかったのでしょう。

この手の話では菅原道真関連の伝説がわかりやすいですね。

左遷先の大宰府で道真が亡くなると、京都の内裏に雷が落ちて火事になったり、落雷の直撃を受けた貴族が亡くなったりするだけでなく、天皇までもが死穢(しえ・詳細は後述)に触れてしまうという大事件が起きました。

これら全てのアクシデントが「道真の祟り」と考えられ、道真を神として祀ることで鎮めたというものです。

菅原道真像(菊池容斎)/wikipediaより引用

方違えの場合は、あらかじめ対処法があります。

「この神様がいるのはこの方角」という基準が予めわかっていますので、「神様を怒らせないため、そっちには行かないようにしよう」と決めておくのです。

では何を根拠に方角を決めるのか?

天一神では、暦の「六十干支(ろくじっかんし)」を基準にしています。

六十干支とは、十二支と十干(じっかん)を組み合わせたもの。

十二支(じゅうにし:ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い)

十干(じっかん:こう、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、き)

十二支は12、十干は10となりますので、それだと120通りでは?と思われるところですが、実際は組み合わせが決まっていて60通りとなるのです。

 


丙午(ひのえうま)もその一つ

六十干支で一番有名なのは「丙午(ひのえうま)」でしょう。

「丙午の年は火事が多い」とか「丙午生まれの女性は夫を不幸にする」といった、とんでもなくネガティブな迷信がありました。

どちらも江戸時代の”八百屋お七”を元ネタとして生まれた説らしいですが、近代1966年生まれの丙午にまで影響を及ぼしているのでシャレになりませんね。

八百屋お七(月岡芳年作)/wikipediaより引用

良い方向の迷信でいうと、甲子園球場の「甲子(きのえね)」も六十干支から来ています。

甲は十干の最初、子は十二支の最初を表し、「甲子の年・月・日に物事を始めると、長く続く」とされています。

実際に甲子園球場は、戦後のアメリカ軍接収や阪神・淡路大震災における一部被害などを除けば、これまで大きな事故もなく存続しています。

どうせなら、こういったポジティブな迷信を信じたいですよね。

天一神の場合、六十干支を基準として天上と下界を行き来しているとされています。

六十干支の46番目の己酉(つちのととり)の日に天から下り、東北→東→東南……と隣接する方位を回って、北から天に帰るというコースです。

東北や東南などは6日間、真東や真南には5日間滞在し、合計44日間で一周するのだとか。

癸巳(みずのとみ)の日に帰ることになります。

そして16日間天に滞在し、また己酉の日に下界で旅をスタートするそうです。

2ヶ月サイクルでこんな長旅をしなければならないなんて、神様も大変ですね。

そして天一神がこの旅をしている途中で、バッティングしてしまった場合に怒られるどころかバチを当てられてしまうわけです。

まあ、天一神から見れば

「数日ごとに移動しなきゃいけない超忙しい仕事中なのに邪魔をされた」

ようなものなので、不愉快になるのも当然といえなくもありません。神様のルートに予定変更や振替輸送はないでしょうしね。

そう考えると、何があろうとも同じルートで巡回しないといけない神様のほうが大変ですな。

他にも太白神・大将軍など、さまざまな神様が各方角を巡っており、それらも加味して忌むべき方角が決められました。

日ごとに違う方角へ行く神様もいれば、三年間同じ方角に留まる神様もいますので、全て把握するのは骨が折れそうです。

なお、方違えをする場合は、以下のような流れになります。

◆方違えの手順

A地点に行きたいが、その方角が天一神のいる方角

天一神も他の神々もいない方角にあるB地点へ一旦行く

A地点から天一神が移動した後に行く

「急ぎの用事だったらどうするの?」とツッコミたくなってしまいますが、社会全体がこれを前提としていますので、方違えが原因でトラブルになるのはあまりなかったようです。

 

ケガレ

「方違え」と同様に重要視されていたのが「ケガレ」です。

漢字では「汚れ」や「穢れ」と書かれ、以下のようなものに触れる・近づいてしまうと「自分もケガレる」と考えられ、忌避されました。

・物理的、衛生的に汚いもの

・殺傷、怪我、月経、出産などの血が流れる事態

・人や動物の死(死体)

故意に触れたか、不可抗力だったのか――その辺の事情は斟酌されません。

もしも近くに接してしまった場合は「触穢 (しょくえ)」=「ケガレた」とされ、宮中への出仕を取りやめたり、祓(はらえ)や禊(みそぎ)をして清めなければなりませんでした。

祓は「払え」であり、ケガレてしまった物や人を払うようにして清めます。

現代でも神社でのお祓いでは、神職の方が大幣(おおぬさ)などの道具を使って払う動作をしますので、なんとなくイメージがわくのではないでしょうか。

photo by VespilloSicilia wikipediaより引用

禊は水で清めることです。

これまた現代の神社でも、手水舎(てみずしゃ)で柄杓に取った水を使い、両手と口を清めますね。あれも禊の一種です。

ちなみに柄杓は、直接、口をつけてはいけません。

新型コロナウイルスが流行して以降は、柄杓を止めて、直接、水をすくうスタイルの神社も増えましたね。

ではケガレの具体例を『光る君へ』登場人物から振り返ってみましょう。

藤原行成と藤原斉信です。

 


行成 死にゆく子供を抱くことできず

ケガレを避けることは平安貴族にとって義務でした。

同時にそれは「家族の死を間近で看取れない」ということでもあり、当時の人々も離別の悲しみが増したようです。

『光る君へ』にも登場していた藤原行成は、自身の日記『権記』でこんな記録を残しています。

長徳四年(998年)10月18日の記事です。

「今日、去年生まれた息子が亡くなった。

ここ数日熱が出ていて、今日は少し収まっていたのだが、生気がなく妻が抱いていた。

私は穢れに触れないよう庭に出ていたが、しばらくして妻の泣き悲しむ声が聞こえてきたので、息子が亡くなったことがわかった」

宮中にケガレを持ち込むことはできないため、行成は庭に降りていたのです。

藤原行成/wikipediaより引用

妻は出仕しないので、我が子がこの世を去るまで抱いていたかったのでしょう。

行成は、日記の内容から愛情深い人だったことが伺えますが、この後も娘と二番目の妻に先立たれてしまいますので、最初の妻同様、激しく悲しんだことは想像に難くありません。

ちなみに「神道では血を忌むため、ケガレの概念が発生し広まった」とされます。

日本神話でも、お産で亡くなったイザナミを黄泉の国へ訪ねていったことでイザナギが地上へ帰ってきた際、水で体を清めて天照大神や月読尊、素戔嗚命を産んだという話があり、これがケガレと禊の始まりと考えられています。

もう少し現実的なものの見方をしますと、細菌やウイルス、血液を媒介して起きる病を経験則として避けたのが始まりではないでしょうか。

まだまだ衛生環境や科学が未発達だった時代、

「病人に近づいてから同じ病気になった」

「ここのところなんとなく調子が悪いが、そういえばその前に怪我人に触れてしまった」

といったことに朧げながらも気づいた人がいて、離れたり血を洗い流したりした場合に病を避けられたため、

「病や血はケガレているから避けなければ!」

とみなされるようになったのではないでしょうか。

 

隠蔽に失敗した斉信 不幸に遭遇

ケガレを悪用する例もありました。

藤原道長『御堂関白記』などの日記には「屋敷に犬の死体があったので死穢となった」というような話が出てきます。

いかに犬の死体が珍しくない時代とはいえ、そんなにしょっちゅう起きるものか?

と、違和感が強いケースもあり、そのうち何件かは

「相手を穢して出仕できなくしてやろう」

という悪意の結果と捉える方が自然でしょう。

動物であろうと人間であろうと、誰かの家に死体が投げ込まれると、当然のことながらその家の主人や一家まるごとケガレてしまいます。

場合によっては一族まるごと政治の席に出られなくなるわけです。

その間に”犯人”が自分たちにとって良いように工作する……と。

ケガレにすぐ気付ければ

「ケガレてしまったのでしばらく休みます」

程度の連絡で済みます。

しかし、故意に隠したり、不可抗力でうっかりケガレたままどこかへ出かけてしまうと、さぁ大変。

四方八方にバラ撒いてしまうからで、”うつされた”側にしてみれば、フザけんな!って話ですよね。

実はその顕著な例として、『光る君へ』ではんにゃ金田さん演じた藤原斉信にこんな話があります。

菊池容斎画『前賢故実』藤原斉信/wikipediaより引用

斉信の娘が、藤原道長の六男・藤原長家と結婚することになりました。

このとき実は斉信のほうで死穢が発生していたのですが、それを隠して婚儀を強行。

そのときはバレずに済んだものの、直後に行われた豊明節会で斉信が参加しなかったことから「ケガレがあった」と発覚してしまいます。

婿の長家はもちろん、婚礼の宴に参加していた人にまで死穢が及んでしまったわけです。

しかも、その斉信の娘は数年で亡くなってしまい、斉信は悲しみもさることながら、ケガレを隠してまで推し進めた婚儀への努力が実らずに終わる……。

そんな、あまりにも悲惨な結果になってしまっています。

娘の葬儀の日、斉信はまっすぐ歩けないほどの憔悴ぶりだったとか。

当時の貴族社会では「ケガレを隠した天罰だろ」というような見方をする人もいたかもしれませんね。

迷信や古い時代の習慣は、現代人からすると「そんなバカな」と思ってしまうようなことも多々あります。

しかし「なぜ昔の人達がそのように考えていたのか?」という角度から見ると、より深く歴史や創作物を味わえるエッセンスになるかもしれません。

今年は平安時代の風習を知るチャンスでもありますね。


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【参考】
デジタル大辞泉
日本国語大辞典
日本大百科全書(ニッポニカ)
世界大百科事典
国史大辞典

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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