寛弘5年(1008年)2月8日は花山天皇の命日です。
2024年の大河ドラマ『光る君へ』では房事の場面で強烈なインパクトを残し、本郷奏多さんの姿が今なお頭に浮かぶという方もいらっしゃるかもしれません。
あるいは藤原隆家に矢を射られたシーンなども印象的でしたね。
他にも藤原道兼と藤原兼家に騙されて出家するなど、歴代天皇の中でもかなり型破りな生涯を送ってきた花山天皇。
それは一体どんな生涯だったのか。振り返ってみましょう。
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生後間もなく皇太子 16歳で即位した花山天皇
花山天皇が生まれたとき、叔父の円融天皇にはまだ皇子がいませんでした。
そのため、花山天皇は生まれた翌年皇太子になっています。
乳母は、将来、清少納言の夫となる橘則光の母・右近尼。
後述する事件といい、何かと次の天皇(一条天皇)の中宮・藤原定子と繋がりがあったようです。縁は異なもの……というやつですね。
そして16歳で即位すると、わずか三年後でいきなり出家してしまうのです。
当時の寿命がいかに短いとはいえ、この若さで世を儚むのには相応の理由があるはずですよね。
本人は明言していなかったらしく、いくつかの説があります。
一つは「寵愛していた藤原忯子が亡くなってしまったから」というもの。むべなるかな、という話でしょうか。
もう一つは穏やかならぬ話で「藤原兼家が自分の孫である一条天皇を即位させるためにやった」というものです。
後々の流れからしても、こちらの説のほうが信憑性は高そうですね。
実際は、藤原兼家の息子である藤原道兼が、花山天皇がそそのかしたとされています。
「月が明るいから恥ずかしいな」と呟いたら
花山天皇は道兼と共にこっそり御所を出て、元慶寺というお寺に向かいました。
このとき、藤原家に仕えていた清和源氏の源満仲らが警護したといいます。
その日は月が明るい夜――。
花山天皇が思わず「月が明るいから恥ずかしいな」とつぶやくと、雲が月を隠し「やはり今日か」と覚悟を決めたのだとか。
天皇が御幸以外で御所を出るなど、本来ならそれだけで大騒ぎになるはずのことです。
ゆえに事は慎重に進められましたが、安倍晴明にはバレていたとか。
晴明の屋敷の前を通ったとき、目に見えないもの(式神?)が花山天皇一行の前にやってきて、晴明に「たった今そこを通っていきました」と報告したそうです。
よくある“晴明スゲー伝説”の一つでしょうけど……いったい晴明は何をしたかったんですかね。
花山天皇一行は無事元慶寺にたどり着き、出家も滞りなく果たせました。
そこで道兼は「父(兼家)に報告してきます」と言って出ていってしまい、花山天皇は「謀られた」と気づくも、とき既に遅し。
天皇の外戚として権力を握っていた藤原義懐らも、慌てて花山天皇を探しましたが、既に出家した後と知り、共に仏門へ入ったといいます。
この事件は【寛和の変(かんなのへん)】と言われます。
誰かが死ぬようなドンパチが起きたわけではありませんが、異変といえば確かに異変ですよね。
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