八百屋お七

八百屋お七(月岡芳年作)/wikipediaより引用

江戸時代

愛する男に逢いたくて江戸の街に放火|美人で評判だった八百屋お七の狂愛

火事と喧嘩は江戸の華――。

なんて言葉がありますが、実際に火災が起きると木造建築が建ち並ぶこの街は本当に悲惨なことになります。

例えば「江戸の三大大火」では以下の通り甚大な被害が起きました。

明暦の大火(1657年)

死者107,000人

◆目黒行人坂の大火(1772年)

死者14,700人

◆丙寅の大火(ひのえとら 1806年)

死者1,200人

※学研科学創造研究所より(→link

むろん死者数だけでは惨状を語りきれず、焼け落ちた家屋や寺社仏閣も数知れずですが、同時代には他にも大きな火災があり、今回注目したいのがコチラです。

天和二年(1683年)12月28日に起きた天和の大火――読み方は「てんなのたいか」です。

三大大火クラスに匹敵する、死者3,500人を数えるこの火事では、その直後にトンデモナイ事件が起きました。

その主人公が【八百屋お七】です。

井原西鶴『好色五人女』で有名になった放火事件で、中身はほとんど創作ながら、当時の人情や暮らしぶりがわかって中々興味深いものがあります。

八百屋お七(月岡芳年作)/wikipediaより引用

今回の日本史ワル査定では、このお七にツッコミを入れながら、江戸女性の心意気を見て参りましょう。

 


『火事になれば、あの人に会える?』

八百屋お七とは、文字通り八百屋の娘です。

江戸本郷追分にあって、色白の美人と評されており、しかも勉強もできる。

現代で言えば清楚系の高嶺の花といイメージでしょうか。

両親も、身分の高い人物との縁談を考えていたところで起きたのが天和の大火でした。

火災から逃れるため、彼女はお寺へ避難。

そこで出会った寺小姓・生田庄之助(いくたしょうのすけ)と恋に落ちてしまいます。

当初は手紙のヤリトリ程度だったようですが、若い二人がそれで我慢できるハズもなく、やがて逢瀬を重ねる仲に……。

しかし、時が二人を引き裂きます。

火事が収まり、庄之助と離れて自宅に戻ると、お七は病に伏せがちになり、やがてトンデモナイことを考え始めるようになります。

『もう一度火事になれば、あの人に会えるのではないか?』

おいおい……おーい!!!

純粋と見るべきか。キテレツと言うべきか。

江戸の庶民生活

 


自宅に放火

江戸の火災は上記の通り大災害の原因であり、放火などは問答無用で極刑です。

実際、彼女自身が逃げることになった【天和の大火】では、大名屋敷や寺社もバンバン焼け、死者も3500人に達したのですから、いかに火災が危険なのかは重々承知していたハズでしょう。

されど庄之助への思いは募るばかり。

そしてお七はついに……

・自分の家に放火

焼くか!

よりによって自分の家を焼きますか!

幸か不幸か、このときの火災はボヤで済み、大事には至りませんでした。

しかし、一歩間違えれば洒落にならない状況です。

現代日本でも放火が重罪なのは、江戸の家屋が非常に燃えやすかった流れを汲んでいるようで、人が住んでいる建物や乗り物に火をつける「現住建造物等放火罪」は「死刑または無期もしくは5年以上の懲役」です。

要は、殺人罪と同等の刑罰で、当時であれば極刑を免れないのはご理解できるでしょう。

しかし……。

 

男の名前は出さず火あぶりの刑

庄之助に会いたい。会うためなら何だってする。放火だった厭わない。

そんな感情が罪の意識を上回ってしまい、やがて実行→逮捕されたのです。

そして後日の判決は……

・お七、火あぶりの刑

当然死刑です。

鈴ヶ森刑場(現在の品川区南大井)で焼かれて死んでしまいました。

鈴ヶ森刑場跡

奉行所では、若く美しい彼女がナゼそんな大それたコトをしでかしたのか理解ができず、正直に告白すれば「助けてやらんこともない」と話しかけたと言います。

しかし、庄之助の名前を出せない、出したくない彼女は一人で罪を被り、そのまま刑を受けました。

なお、先の「天和の大火」をお七の仕業と勘違いされる方も少なくないようですが、彼女の場合はあくまでボヤで済んでいます。

火あぶりの刑だったので思い違いしやすいのかもしれません。

 


後に芝居となり大ヒット

では、こうした話がどこまで史実なのか?

お七が実在したことは間違いないようですが、その他はほとんど創作とされ、井原西鶴の才能がヒシヒシと伝わってきますね。

井原西鶴/wikipediaより引用

大人気となった本作は、さらに浄瑠璃や歌舞伎でもメディアミックスされ、大ヒットとなりました。

ただし、この時代の「火事」は、エンタメ作品のテーマとしてはちょっとナイーブな分野です。

そこで時代が下るにつれて、お七は放火をせず、火の見櫓に登って半鐘を叩き「火事だぁ!」と偽ったりしています。

まぁ、これも重罪なんですけどね。

振り袖で櫓に登るお七の姿は実に儚く、舞台映えするから用いられたのでしょう。

今回の判定、恋人に会いたい気持ちは分かりますが「火付け絶対ダメ!」で、日本史ワル査定としては★1つ。

まぁ、創作なんですけど、当時の女心がわかるってことで。

悪人度 ★☆☆☆☆
影響力(権力)★☆☆☆☆
悲恋度 ★★★★★


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戦国診察室表紙

【参考】
国史大辞典
日本大百科全書
学研科学創造研究所(→link
八百屋お七/wikipedia

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馬渕まり

総合内科専門医、糖尿病専門医、労働衛生コンサルタント。秋田大学医学部卒。 現役の医師にして生粋の歴史愛好家で、武将ジャパンでは2014年より執筆。 連載『まり先生の歴史診察室』は2冊の書籍化を果たし、全国書店に並ぶ人気シリーズとなった。 現在は医療・歴史の両分野で活動の幅を広げ、WEBメディア寄稿や講演なども行っている。エックス(旧Twitter)では歴史大喜利でも注目を集める。 ◆主な著書 『まり先生の歴史診察室』GH・2015年 『戦国診察室2』ゼネラルヘルスケア・2022年 ◆2019年10月15日放送のTBS『クイズ!オンリー1』で準優勝(※優勝はれきしクン) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001235984 ◆日刊SPA!にて「まり先生の歴史診察室」関連記事が5本掲載されています。 掲載一覧:https://nikkan-spa.jp/spa_comment_people/%e9%a6%ac%e6%b8%95%e3%81%be%e3%82%8a

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