元禄の大火

江戸時代

三度の大火事が江戸の街を襲った元禄の大火|すべて綱吉時代に起きていた

2024/12/29

「火事と喧嘩は江戸の華」

そんな言葉を皆さん一度は聞いたことがあると思いますが、当時の火事と言えば多くの死者も出るのに、あまり悲愴な雰囲気はありませんよね。

背景には、少々理由があります。

江戸は当時の基準では新興都市ですから、建設業に従事する人が多く、したがって男性の割合が非常に高いものでした。

そのため、火事の後片付けや再建は、むしろ商売繁盛のキッカケになる……と、いささかブラックな話ですが、現実的には否定できないでしょう。

しかし。

焼ける範囲が大規模なものとなると、流石に話が変わってきます。

江戸時代――かつ江戸で起きた火災の中で「大火」と呼ばれるものは実に49件も発生。

将軍は十五人ですから、一人の将軍につき三回は大きめの火事に遭遇している計算となるわけです。

その中でもとりわけ悲惨だったのが徳川綱吉の時代でしょう。

徳川綱吉/Wikipediaより引用

元禄地震という大地震の直後も含め、都合、三度の記録的大火に見舞われました。

これらを総称して【元禄の大火】と言います。

字面からして元禄期に江戸の町を焼いた一度の大火をイメージしてしまいますが、実際は3回も起きていたんですね。

その詳細を振り返ってみましょう。

 


一つ目は元禄十年(1697年)10月

現在の東京都文京区大塚にある善心寺というお寺から出火し、旗本の屋敷が363軒も焼失しました。

今ある寺は、後に再建されたもの。

現代では東京メトロ新大塚駅・東邦音楽短期大学・筑波大学東京キャンパス・お茶の水女子大学などが同じエリアにあります。

どんな災害でもそうですが、もしも同規模の火災が現代で起きたら……と思うと、ゾッとします。

 


二つ目は元禄十一年(1698年)9月

【勅額火事(ちょくがくかじ)】という、ちょっと変わった呼び名がついています。

京橋南鍋町から出火し、大名の屋敷が83軒、旗本の屋敷が225軒、寺院232軒、町屋1万8,703戸という大きな被害を出しました。

死者も3,000人以上に及ぶと見られています。

当時、徳川宗家の菩提寺である寛永寺の根本中堂が落成したばかりで、ここに掲げる天皇直筆の額=勅額がこの火事が起きた日に江戸へ到着したため、そこから【勅額火事】や【中堂火事】といった呼び名がついたようです。

寛永寺の住職は皇族が就くことになっていました。

それでなくても(将軍の中では)勤王な綱吉としては憤懣(ふんまん)やるかたない火事だったでしょうね……。

幸い、寛永寺の被害はさほどでもなかったようです。

余談ですが、このとき焼け出された武士の中に、あの吉良義央もいました。

忠臣蔵でお馴染み、元禄赤穂事件で討ち入りに遭った人です。

討入の様子を描いた錦絵/国立国会図書館蔵

実は彼、勅額火事で元の屋敷を失い、現在の両国付近へ移り住み、そこで赤穂浪士の襲撃を受けています。

ついでにいうと、義央の屋敷は勝海舟の生家の近所でもあります。

江戸がいかに、武家屋敷のひしめく町だったかがうかがえますね。

単純計算で、この2つの火事だけで武家屋敷が671軒も焼けているわけですが……綱吉の時代にはもう一回大きな火事が起きます。

 

三つ目は元禄十六年(1704年)11月

【水戸様火事】という、これまた変わった名前がつきました。

小石川(現在の東京ドームあたり)にあった水戸藩の上屋敷から出火したため、こう呼ばれるようになったそうです。

よりにもよって「御三家の屋敷から火が出た」というのもヤバイですが、この6日前には元禄地震(推定マグニチュード7.9-8.5・関東大震災と同レベル)が発生しており、江戸のあちこちで火災が起きたばかり。

※以下は「元禄地震」の関連記事となります

死者1万人を超え全壊家屋は2万軒「元禄地震」は江戸時代に起きた関東大震災だ

続きを見る

さらに、水戸様火事の際は、途中で南西風から北西風に変わったために、被害が大きくなったといわれています。

水戸様火事だけでも武家屋敷275軒、寺社75ヶ所、町屋2万軒の被害が出ており、面積にして東西12km・南北8kmの範囲が焼けたそうです。

単純計算48平方キロメートルもの土地が焼けたことになりますね。

イマイチ広さがわかりにくいですが、これは現在の江戸川区(約49平方キロメートル)とほぼ同等です。

仮に、現在の小石川後楽園が火元の中心だったとすると、

・東はJR両国駅と錦糸町駅の間

・西は西武新宿線の中井駅

・北は六義園

・南は東京メトロ永田町駅

くらいの範囲が焼けたことになります。とんでもないですね。

「江戸のど真ん中」で「現代における行政区分ひとつがまるごと焼け野原になったも同然」かつ「この直前にも震災が起きている」ことを考えれば、この世の終わりのような光景だったでしょう。

「天災は為政者の失策に対する天罰である」と考えるのが当たり前の時代に、こんな大火事が続いては、将軍である綱吉の評判が下がる一方になるのも無理のないこと。

それでも江戸の町は再建し続けたのですから、火事対応力が凄まじいですね。

 


江戸の三大大火とは?

規模も被害も大きかったのが以下の3つになります。

◆明暦の大火(別名:振袖火事)

明暦三年1月(1657年3月)

四代将軍・徳川家綱の時代→推定死者は3~10万人超

◆明和の大火(別名:目黒行人坂大火)

明和九年2月(1772年4月)

十代将軍・徳川家治の時代→推定死者は約15,000人

◆文化の大火(別名:丙寅の大火)

文化三年3月(1806年4月)

十一代・徳川家斉の時代→推定死者は約1,200人

とりわけ群を抜いて被害が大きく、日本史上最大ともされているのが明暦の大火(振袖火事)ですね。

明暦の大火を描いた『江戸火事図巻』田代幸春作/wikipediaより引用

以下の記事でも触れますが

明暦の大火(振袖火事)
明暦の大火(振袖火事)は史上最悪の犠牲者|3~10万人が亡くなり城も焼失

続きを見る

「呪われたかのような振袖を供養しようと焼いたら大火事に繋がった」という、なんとも残念な原因で未曾有の大火災となっています。

言わずもがな冬の火の元は危険。

皆さま、くれぐれも気をつけて年末年始をお過ごしください。


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【参考】
国史大辞典「元禄の大火」
元禄地震/wikipedia
江戸の火事/wikipedia
元禄の大火/wikipedia
勅額火事/wikipedia

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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