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安禄山/wikipediaより引用

週刊武春 中国

安禄山と楊貴妃の赤ちゃんごっこが「安史の乱」に繋がる!? そして数千万人が死す

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中国史を代表する美女・楊貴妃(719-756年)

彼女を死に追いやる大事件が「安史の乱(あんしのらん)」であり、世界史で習ったなぁという方もおられるでしょう。

実はこの乱、単なる政変というには生易しく、一説には第一次世界大戦よりも死者数が多いのではないか?と考えられています。
なんせ、当時、世界の超大国であった唐が崩壊してしまったのですから、それはもう大変な戦乱となるもので。

乱を起こした首謀者は安禄山(あんろくざん)と史思明(ししめい)
本稿では、この安禄山に注目してみたいと思います。

楊貴妃そのものの人生については以下の記事をご覧ください。

世界三大美女の一人楊貴妃が愛する皇帝に殺されるまで 美しさは罪なのか

 

羊泥棒から出世物語始まる

両親は誰なのか。
いつどうして生まれたのか。
安禄山の素性はハッキリしておりません。一説によるとゾクド人の血を引いていたとされます。

唐代のゾクド人像/photo by PHGCOM Wikipediaより引用

後に安禄山が「燕」の初代皇帝になると、母が光を浴びて懐妊しただの、伝説的な逸話が生まれます。
要するに、父親が誰かわからない、そういう出生ということですね。

若かりし頃の安禄山は、サマルカンドの市場で六カ国語を操るマルチリンガル通訳として生計を立てていました。

唐代のゾクト人/Wikipediaより引用

もしそのままなら、ただの通訳として人生を終えたかもしれませんが、転機は突如やってきます――。

732年、幽州節度使・張守珪の前に羊泥棒の容疑者が引き出されました。
「悪党め、撲殺しろ」

張守珪がそう命じたところ、すかさず男は叫び出します。
「殿下は異民族どもを滅ぼしたくはありませんか? オレにはうまい情報があるってのに殺すんですか?」

張守珪は男を殺すのをためらいました。
男の言う通り、異民族討伐には手を焼いていたからです。

ばかりか、あらためて男を見るとなかなかの風貌をしている。
これは使えそうだ。
と張守珪は確信し、部下に加えます。

それが安禄山。
出世街道の始まりでした。

ゾクド人を描いた絵/wikipediaより引用

 

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努力とコネ作りの甲斐あって有力武将に

30歳手前まで市場で通訳をしていた男が、一体なぜ、そんな展開に?
どうしてなのか。理由は不明ですが、安禄山は張守珪の元で実力を発揮します。

とにかく強い、のです。
たった数騎で敵を蹴散らすような武勇っぷり。
張守珪はすっかり安禄山を頼りにするようになります。

一方、安禄山も努力を惜しみませんでした。
張守珪がぽっちゃり体型を嫌いだと知った彼は、太りやすい体質であったことからダイエットを敢行し、スリムな体型を保ちます。

かくして張守珪が病死した後も、安禄山は順調に出世。
ところが当時はある程度まで実力で出世できても、そこから先には“コネ”という壁が立ちはだかります。

いよいよ安禄山の勢いも止まるかと思いきや、彼には人に取り入る才能もありました。
賄賂を送り、コネを掴んで、これまた順調に出世を重ねる日々。
そしてついに得たのが節度使のポジションでした。

唐王朝における節度使といえば、花形の存在です。
地方ごとに置かれた軍を統括する役割であり、同時に行政権も持ったかなり大事な役職でした。
ゆえに創設当初は、ふさわしい人格者が選ばれ、時代が下ると選定基準も変わります。

当時の宰相・李林甫は、18年という長きにわたり政治のトップに君臨することになります。
実力があったというよりは、巧みに玄宗皇帝に取り入り、政敵を蹴落とすことができたからです。

自分の権力が大事で仕方ない李林甫にとって、自らの地位を脅かしかねない人物を節度使に置くのは避けたいところ。
そこで、異民族出身から、あまり使えなさそうな人物を任命しようと考えます。

この考えに合致したのが、安禄山でした。

彼は十ある節度使のポストのうち、三つに任命されてしまいます。
異常事態です。

 

キレッキレのダンス 現代で言えばサモ・ハン・キンポー?

若い頃こそ英明な君主であった玄宗も、この頃スッカリ政治に飽きておりました。
そのため自分の権力ばかりに固執する李林甫や、楊貴妃の一族らが権勢を誇る、ロクでもない政治体制になっていたのです。

そこへ割り込んできたのが、安禄山です。

このころの安禄山はダイエットをやめて、かなりのぽっちゃり体型……を通り越して、200キロを越える巨漢になっていました。
その巨体でよたよた歩く姿が、なんとなくおかしいということで、楊貴妃はじめ女官たちには大ウケ。

「キャー、マジ受けるんですけど〜」
ってな具合で笑われていたのでしょう。安禄山が宮中にいるだけで笑いが起き、しかも彼には「胡旋舞」という特技もありました。
小さなボールの上に乗っかって踊るのですが、巨体でありながらこのダンスの時はキレッキレの動きなのです。

キレッキレに動ける巨漢というと、ある年代以上の人は「デブゴン」ことサモ・ハン・キンポーを思い出すかも知れませんね。

 

こうして安禄山は人気者に。
人の心を握ることが得意な安禄山がターゲットにしたのが、無邪気で天真爛漫な楊貴妃でした。

 

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楊貴妃と赤ちゃんごっこ 嘘のようなホントの話

安禄山は一回りも年下の楊貴妃に「養子にしてください」と頼み込みます。

ンなアホな!
と思うところですが、楊貴妃はますます気に入ってしてしまい、この申し出を許可します。
そして豪華なおむつをつけた安禄山を輿に乗せて、楊貴妃が入浴させるという遊びまで大々的にやりました。

って、意味不明すぎやろ!
権力のために赤ちゃんごっこをも平気で受け入れる安禄山、おそろしい男です。

我々としては「こんなアホな遊び、歴史に残すなよ」とは思うのですが、誰も彼らを止められません。
そんなとき、象徴的なある事件が起きました。

安禄山が、玄宗よりも先に楊貴妃へ挨拶をする――とい粗相をやらかしたのです。
さすがに皇帝をナメすぎ。玄宗もムッとしながら注意すると、安禄山はぬけぬけとこう言うのでした。

「私たち異民族では、父より母を敬うもんで」

これを聞いた玄宗は大笑いします。えっ?

「うまいことを言うのう、ほんまセンスあるわ!」

って、ほんと、もうイヤです、こんな宮廷(´・ω・`)

玄宗と楊貴妃の関係は、主君が寵姫に入れ込んで政治をおろそかにする悪い例として後世有名になりました。
源氏物語』でも、光源氏の母・桐壺更衣の寵愛が過剰であることに、このたとえを用いております。

 

楊貴妃の親族がますます情勢を悪化させる

安禄山は、ごますりと赤ちゃんごっこだけの男ではありません。密かに軍事力を強化し、陰では不穏な動きを見せていました。

「安禄山……あれは危険です」
玄宗へ忠告する人もいるのですが、聞く耳を持ちませんし、安禄山も取り入るのがうまいため、なかなかコトは発覚しません。

このころ宮中では、楊貴妃の親族が大きな顔をするようになっていました。
彼女には2人の姉がいて、いずれも見目麗しき美人三姉妹。次女がカク国夫人という女性でした。

彼女の愛人に楊国忠という男がいました。楊貴妃にとっても遠い親戚にあたる彼は、元チンピラのろくでなしで、コネを活用して政権に取り入ります。
そして李林甫の死後、実力を伴わないコネだけで、その後釜に座るのです。

確かに李林甫は、政敵を追いやる狭量な男ですが、同時に政権運営を担うだけの実力も備えておりました。
しかし楊国忠は、所詮は単なるチンピラあがりです。
安禄山は小僧と馬鹿にしており、やがて両者は対立するようになります。

そしてついに安禄山は、史思明とともに、楊国忠打倒を目指して挙兵するのです。

 

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名将と忠臣の悲惨な最期

絶大な力を持つ安禄山と史思明は、破竹の勢いで進撃。
その前に二人の名将が立ちはだかります。

高仙芝と封常清です。

彼らは不幸でした。
戦術眼に長けた彼らは敢えて戦術的撤退をして防衛しようとするのですが、監軍(軍の監視役)の辺令誠はそれを敗戦だと非難します。
辺令誠は宦官で軍事的なセンスは皆無ですが、玄宗に取り入る力だけはありました。

「素人は黙っとれ」
二将はそう言いたいところでしょう。
が、それも虚しく……冤罪でついに処刑されてしまいます。
彼らの後任者はあっさりと安禄山に降伏してしまうのでした。

総崩れの唐軍の中、忠臣として活躍したのが顔真卿をはじめとした顔一族です。
彼らは義勇軍を率いて、捨て身の覚悟で安禄山らの進撃を阻止しようとしました。

顔真卿/wikipediaより引用

なお、顔真卿は書道家としても名高く、その書体は空海にも大きな影響を与えたほどです。

台湾国立故宮博物院でもトップクラスのお宝、顔真卿の「祭姪文稿」。その出来に感激した鑑賞者がハンコを押しまくってます/wikipediaより引用

顔杲卿も、劣勢の中粘りました。
そしてついに捕らえられ、安禄山を罵り続けます。

罵声に耐えかねた安禄山は舌を切り取り、全身を細切れにするほど。
いやはや、なんとも壮絶な忠臣の最期です。

ここにきて玄宗は楊貴妃を連れて、蜀へと脱出。その逃避行の中で、悲劇が起こります。
楊貴妃が着いていくならば護衛しないと兵士達が騒ぎ出し、やむなく玄宗は彼女を殺すことになるのです。

 

皇帝僭称からスピード暗殺 犯人は実の息子だった

756年、正月。
安禄山は、洛陽で雄武皇帝として即位し、国号を燕としました。

しかしこの頃から徐々に自堕落になり、目の病気にもかかります。
そのストレスから周囲に当たり散らし、部下に見放されます。

そして即位から僅か一年後。
安禄山は二男の安慶緒と宦官の李猪児によって大きな腹をブスリと刺されて、あっけない最期を迎えるのです。

「我が子にやられるとは!」

安禄山は絶叫。
腹からは内臓が数リットル流れ出したと伝わります。

その後、乱を起こした安禄山の子と、史思明の一族らは互いに殺しあい、乱は9年でやっと終息します。
同時に唐の全盛期も終わっていました。

領土を失い、輝きも失せ、かつての繁栄を失うのです。

 

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赤ちゃんごっこが結果的に凄まじい犠牲者を産む

国際的な大帝国であった唐。
その終わりの始まりが、世紀の美女・楊貴妃と巨漢・安禄山による赤ちゃんごっこだと思うと、どうにも虚しくなります。

悲劇が降りかかったのは楊貴妃だけでなく、高仙芝や封常清、顔杲卿らも同様です。

前述の通り、この乱では第一次世界大戦よりも多数の死者数が出ています(参照)。

・第一次世界大戦が推計 854万人~2,100万人
・安史の乱が推計 1,300万人~3,600万人

同時にこの乱は、中国史において大変難しい課題をつきつけてきました。

「異民族に滅ぼされたら困るけど、異民族からの侵攻を防ぐために軍隊に力を持たせたら、それはそれで危険」

このバランス取りが実に難しい。
中国大陸という広大な地を治めるのはそれだけで困難であるという、そんな歴史が見えてくるのです。

なお、余談ですが。
主君である自分の意に背く巨漢の西郷隆盛を、島津久光は憎しみをこめて「あの安禄山め!」と罵っていたそうです。

文:小檜山青




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【参考文献】

-週刊武春, 中国

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