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『北京の55日』感想レビュー 古きハリウッド大作は“肌の問題”で色褪せてしまいがち

更新日:

華やかなハリウッド映画の時代。
大規模な予算で様々な歴史大作が作られました。
半世紀以上を経た現在でも、不朽の名作と呼びたくなるような作品も多数あります。

本作の5年後に制作された『冬のライオン』は、個人的にはオールタイムベストに入れたいくらい好きです。

では肝心の『北京の55日』はどうでしょうか……と言いますと、残念ながら色褪せてしまった作品と答えざるを得ません。
現在の目線で見てしまうと、本作には大きな問題があるのです。

基本DATA info
タイトル 『北京の55日』
原題 55 Days at Peking
制作年 1963年
制作国 アメリカ
舞台 清、北京
時代 1900年6月20日から8月14日
主な出演者 チャールトン・ヘストン、エヴァ・ガードナー、デヴィッド・ニーヴン、伊丹十三
史実再現度 史実準拠だが、全体的に考証は雑
特徴 色褪せたハリウッド歴史大作

 

あらすじ 列強VS義和団

1900年、6月。
阿片戦争の敗北以来、欧米列強によって浸食されつつある清。
その動きに怒った義和団は、外国勢力排斥のため武装して各地で蜂起していた。

北京にも義和団が迫る中、アメリカ海兵隊のマット・ルイス少佐は、迫り来る義和団相手に女子供を守り、籠城戦を戦う決意を固める。

ざっくりとまとめるとこうなります。
そこに至るまでの過程を丁寧に描いているとは言いがたい作品です。

 

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「ホワイトウォッシングって何?」と聞かれたら

現在見てみてまずひっかかるのが、西太后はじめ主要な清側の人物をイギリス人やオーストラリア人が演じていることでしょう。
さすがに『これはないわ……』と思わされてしまいます。

ハリウッド大作が不朽か、そうでないか。
そこを分けるのは、このホワイトウォッシングをしているか、していないかも大きいと思います。
政治的な正しさを論じる以前に、違和感が先に立ってしまい、見ていて何かと引っかかってしまうのです。

「ホワイトウォッシングの何が悪い?」
という人には、本作を見せればよいかもしれません。
ホワイトウォッシングは、映画の価値をスグに色褪せさせてしまうマイナス要素。
もはや古びてしまっているのです。

 

大義なき戦い

ホワイトウォッシングだけでも厳しいのですが、それ以上に見ていて何だかなあ、と感じるのが清人の描き方です。

西太后以下、清の人々がいかに野蛮で愚かであるか。
それを強調するような描写の連続で『これはどうなのだろう』と、げんなりしてしまいます。

強調するのは仕方ない部分もあるのでしょう。
冷静に見てみれば、列強の支配に憤りを感じる西太后や義和団の方に同情を感じてしまいます。
祖国を外国に支配されたら、反発するのは当然でしょう。

主人公たち列強側は、いかに清が野蛮であるかを述べ、論破すらしますが、そもそもが外国に軍隊を派遣して支配していることが野蛮なんじゃあないの、とモヤモヤしてしまうのです。

北京で戦っているわけですから現地人も相当被害を受けているのでしょう。
が、彼らの苦難はほとんど描かれません。
流れ弾に当たった白人少年と、その両親の悲哀は尺をとるにも関わらず。

このあたりは主人公も自覚していて、
「祖国を守るための戦いならともかく、こんな遠い外国で、しかもイギリス公使の策略のせいで何故戦わねばならんのだ」
とつぶやいたりするのですが……。

 

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当時のハリウッドアジア観がチラホラと

当時の観客は大作であると楽しんでみられたかもしれないでしょう。
しかし、21世紀現在では、このアジア観に居心地の悪さを感じます。

「箸で米を食っているような奴とは理解しあえない」
そんなアジア蔑視が強烈に感じられます。
出てくる清人は奇声を発し、人というよりは動物に近い印象を受けます。
西太后や薬売りの商人はまだましですが、それでも彼らが貪欲で抜け目ない人間であることを描くことも忘れません。

これは敵の清人だけの問題でしょうか。
そうではないでしょう。
北京の籠城戦で各国の讃美をあびた日本人である柴五郎の描写も、適切とは言いがたいものがあります。
彼は清人よりはマシではあるものの、その武功にふさわしい扱いを受けているとは思えません。

アジア人への蔑視が最もあらわれているのが、マーシャルと中国人女性との間に生まれた少女テレサの扱いです。

テレサはおそらく主人公側の人間味を引き出すためのキャラクターです。
しかし、あまりにご都合主義的な扱いで、かえって傲慢さを引き出しているように思えます。

一応は気に掛けているとはいえ、マーシャルは父親として無責任です。
父を失ったテレサは主人公の気まぐれな親切がなければ危険な状況に陥るのですから。
しかしこの気の毒な娘は、そんな無責任な父親を恨むわけでもなく、黒い瞳でじっと健気に堪え忍ぶだけです。

 

ロマンスは唐突にやってきて

ヒロインを演じるエヴァ・ガードナーの美貌は言うまでもありません。
しかし彼女が演じているヒロインの扱いにも首をかしげてしまいました。

思わせぶりな悪女型ヒロインとして出てくるわりには、主人公とそこまで心を通わせるわけでもない。
主人公は彼女を罵ったと思ったらいきなり荒々しくキスをして、そこでドラマチックな音楽が流れます。
うーん、なんだろう、これ。壁ドンよりも唐突です。

これで恋仲と言われても正直なところ困るのですが、ヒロインが死んだ後の主人公の反応もわかりません。
憮然としているので死を知らせた相手が「彼女を愛していたんじゃなかったのか!」と叫ぶのですが、そもそもどのへんをどう愛したのかイマイチわからない。
わからないまま、彼女は死んでしまうのです。

 

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すべてが大味

長い上映時間、大物俳優、巨大なセット、戦闘シーン、雄壮な音楽。
大作に必要な要素は揃っています。

それなのに見た後に残るのは銀紙を噛みしめたような不快感でした。

昨今、「ポリティカルコレクトネス」がどうこうと言われます。
差別的になり過ぎないように気を遣った結果、表現が萎縮するのではないか、息苦しくなるのではないか、と言いますね。

そういう配慮がないままだったらどんな結果になるかは、本作を見ればわかると思います。
これはこれで、息苦しいのです。

動物じみたアジア人描写を延々と見せられるというのは、まるで煙草の煙を顔に吹きかけられるように不愉快で、息苦しいものでした。
誰かがこの煙草をつまんで捨ててくれるのであれば、私は喜んで歓迎します。
本作のような表現手法は、尊重して残すものではないと思います。

本作の印象をあらわすのであれば、
「豪華な披露宴なのに、隣の席に大嫌いな伯父が座っていた」
といったところでしょうか。

新郎新婦は美男美女、料理は素晴らしく、会場も豪華。
それなのに隣の席で差別的なジョークを飛ばし、煙草をスパスパ吸い続ける伯父がいて、楽しみが台無しになってしまった。
せめて伯父が、もう少し配慮できる人であれば!
彼の年代では差別的なジョークも仕方ないのかもしれないけれど、それを差し引いても不愉快だった……そんな印象です。

ただし、本作と同じ題材を、清や柴五郎の視点を入れてリメイクすることがあるのならば、是非見てみたいと感じました。
事件そのものは興味深いものながら、本作の大味で雑なアプローチは残念なものとしか思えないのです。

著:武者震之助




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【参考】『北京の55日

 



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