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その日、歴史が動いた 源平

源義経をヒーローに押し上げ、源平合戦の趨勢を決めた「一ノ谷の戦い」

更新日:

 

日本だけのことなのかそうでないのかよくわかりませんが、同じ物事でも教科によって扱われ方が全く違うというのはよくある話ですよね。
国語の授業だと面白かった話が、歴史になると「暗記!!!」のせいでわかりづらかったりとか。あるいは片方では全然習わなかったなんてことも・・・。本日はその一例と思われる、超有名なあの戦いのお話です。

寿永三年(1184年)2月7日、源平の戦いにおけるハイライトの一つ「一ノ谷の戦い」がありました。

とても有名なので何となく名称を覚えている方は多いんじゃないかと思うんですが、具体的にいつ行われて、どんな影響を残したかというとあまり知られていない気がします。
義経が「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」をやった戦い、という覚え方をしている方が大多数でしょうかね。

しかし、実は他にも印象の強いエピソードがいくつも含まれている戦でした。

源義経

見た目はちょいとアレな源義経さん/Wikipediaより引用

 

大天狗にハメられた?平氏が油断したところへ源氏凸!

まずは、この戦いに至るまでの経緯を簡単に振り返ってみましょう。

後白河法皇から正式に平家追討を命じられた源氏軍は、関東から上京する途中でデカイ仲間割れをしてしまいました。木曽義仲とのアレコレです。そして何とか片付けたのですが、その間に平家は清盛が新しい都としていた福原(現・兵庫県)で体勢を整え、再び源氏と戦おうと画策していました。

が、ここで策かそうでないのかよくわかりませんが、大天狗(※後白河法皇のことby頼朝はん)から「戦をやめい」という命令が届きます。9割8分くらいの確率で策でしょうね。
これを信じてしまった平家が一瞬油断したところへ、源氏軍がワーっと攻めかかってきて始まったのが一ノ谷の戦いです。つまり、逆落とし以前からほぼ奇襲に近い感じだったわけです。きたないなさすが源氏きたない。

やってきたのは、いつも通り?影の薄い範頼と目立ちすぎな義経でした。
範頼は平家方の大将にあたる平知盛(清盛四男。壇ノ浦まで実質総大将みたいな感じだった人)らと正面きって戦ったのですが、何しろ義経が当時の規格外なことばかりやって成功してしまうのでいかんせん目立ちません(´・ω・`)

範頼がどんな人だったかは以前取り上げたことがあります(過去記事:10人以上いた源氏兄弟 頼朝に消された名武将は義経だけじゃない【その日、歴史が動いた】)ので、たまには目立たないお兄ちゃんのことも思い出してあげてください。

当コーナーは目立たない人の知名度を全力で上げていくスタイルを取らせていただいております。

一ノ谷の戦い、両軍の進路等/Wikipediaより引用

一ノ谷の戦い、両軍の進路等/Wikipediaより引用

 

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鵯越の逆落し 場所はいまいちハッキリせず

しかし、義経が目立った最大の理由である「逆落としの場所」というのが実はハッキリしていません。「鵯越」という地名の場所と、実際の合戦場に少し距離があるのだそうで。
そのため主戦場である一ノ谷でやった可能性も高く、学者先生方の間でも意見が割れているとか。平家物語などでは前者ですが場所が合わず、後者だとすると記録されていないのはなぜか? ということです。

もしかすると、地名の伝聞ミスか変更があったのかもしれませんねえ。皆さんご存知の通り、平家物語は誰か一人が書いたものではなく、弾き語りで広まっていったものですから、どこかの誰かが記憶違いや伝え忘れた点がないとも限らないですし。

義経が逆落としの場所を決めたのも、地元の猟師に「鹿が通れる道はありますが、馬はちょっと……」といわれて「鹿が通れるなら馬もおk! 突撃!!」と考えたから、という曖昧なものでしたし。これが超訳じゃなくてガチなんだから、もう何も言えない。まるで”馬鹿”の語源のような話ですね。兎だったらさすがの義経も諦めたかもしれません。
その場合でも源平の行く末は変わらなかったでしょうが、多分彼の知名度は一段低くなっていたんでしょうねえ。

鵯越の逆落し

『源平合戦図屏風』鵯越の逆落とし/Wikipediaより引用

 

 

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源平の興亡は「一ノ谷の戦い」で実質的に決まっていた!?

また、平家物語で五本の指に入る超有名なエピソード・「敦盛の最期」も実は一ノ谷での話です。

中学生くらいで習うのでここでは割愛しますが、逆落としに隠れて歴史の授業ではほとんど取り扱われず、国語だけというのはちょっと寂しいというかビミョーな気になりますね。
こういうところで教科を越えてリンクさせると面白いんじゃないかと思うのですが、いかがでしょう。特に平安~鎌倉あたりって文学と歴史の関連が深い気がするんですよね。

方丈記とか世相(に対する愚痴)のことがほとんどですし。詳しくは過去記事(実は災害報道ノンフィクションだった3大随筆「方丈記」【その日、歴史が動いた】)をどうぞ。

話を一ノ谷に戻しましょう。といっても後は結果だけですね。

当然のように結果は「勝った源氏・負けた平家」という構図なわけですが、もちろん最初からただ単にやられただけではありませんでした。もともと戦の準備は整っていましたので、平家も死に物狂いで戦います。

ただその分犠牲も大きく、特に一族の中の若い世代がたくさん討死してしまいました。清盛の異母弟や息子の家の子供や清盛の養子など、次代の中枢になるべき人材の多くが一ノ谷で失われています。
敦盛が笛の名手であったことは有名ですが、他にも和歌や琵琶に秀でていた人もいたとか。その辺はさすが名門ですね。

もしこの後平家が盛り返していても、いずれ後継者不足に悩んだと思われますので、実質的には一ノ谷で源平の興亡は決まっていたとも言えそうです。源氏も源氏ですぐに仲間割れをしだすので、五十歩百歩ですが。

こうして大打撃を受けた平家はさらに西へ逃げ、勢いに乗る源氏はそれを追い、次のハイライト・屋島で再び戦うのでした。

 

長月 七紀・記

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参考&TOP画像:一ノ谷の戦い/Wikipedia

 

 





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