イタリア 明治・大正・昭和

喫茶店の歴史 日本初は神戸の茶商・放香堂 世界で最初はイタリアだった

毎年4月13日は喫茶店の日だそうです。

明治二十一年(1888年)に日本初の喫茶店・「可否茶館」が東京で営業を開始したことによるものだとか。

ということで、本日は喫茶店やカフェの歴史についてお話したいと思います。

メイド喫茶や猫カフェ、もしくはイヤンアハンな単語がつく喫茶もありますが、その辺を挙げるとキリがない&このコーナーは全年齢対象ですので差し控えさせていただきます。

 

17世紀のイタリアで発祥 当初はくつろぐ場ではなかった

喫茶店の発祥は、17世紀のイタリアだと言われています。

このときはあくまで「コーヒーを販売する」ことが目的で、現在イメージするくつろぎの場としてではなかった様子。
現在のイタリアで喫茶店のことを”バール”といいますが、そうしたお店の多くが立ち飲み形式なのもこの辺が理由なのかもしれませんね。

ちなみに定着しつつある感の”バル”はスペインの酒場・バーのことを指しますので、微妙に違います。
まあ元々イタリア語とスペイン語自体が似てますからねえ。

ほぼ同時期に、イギリスでは喫茶店&クラブのような”コーヒー・ハウス”というお店が生まれました。

まだコーヒーが貴重品だった時代ですので、こういったお店に通えるのはそれなりの資産や社会的地位のある人だけ。……となると、話題に上るのも政治や経済などハイソサエティなことになるのは何となく想像がつきますよね。
そしていつしか、コーヒー・ハウスは社交場としての面が強まっていきました。

いわば”紳士の社交場”なわけですが、現在日本でこの単語を検索すると全く違う意味で出てくるのでご注意ください。

 

現喫茶店の原型「カフェ・プロコップ」がフランスで誕生

コーヒー・ハウスからめぐりめぐって、一山どころじゃなくブチ当てて大企業になった会社もあります。
イギリスの保険会社として名高いロイズです。

エドワード・ロイドという人が作ったコーヒー・ハウスで船舶や海の情報が書かれた新聞を出しており、これを目当てに資産家や船舶の持ち主が集まりました。
そしてエドワードの死後、彼らが経営を引き継いで店を続け、いつしか喫茶店よりも船舶保険の話をしていくようになったのがきっかけだそうです。

ちなみにコーヒー・ハウスはタバコを嗜む人も多かったので、家具やカーペットなどににおいがうつってしまってえらいことになっていたとか。

まあ、この辺の時代のイギリスは産業革命その他のおかげで貧富の差やら衛生概念やら児童労働やら食事の質やら、知れば知るほどイメージが悪くなることばかりなので、タバコのにおいくらい屁の河童ですけども。

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それから30年ほど経って、今度はフランス・パリで現在の喫茶店に近い「カフェ・プロコップ」ができます。
このお店の場合は、フランス革命期にロベスピエールらの集会所になっていたこともあります。

他の店も同じように社交場としての面を持ちましたが、フランスの喫茶店は主に文化人が集まる場所になりました。

作曲家のエリック・サティや画家のパブロ・ピカソなどが通っていた「シャ・ノワール」(黒猫)というお店が有名でしょうか。
日本でもこのお店の名を取った会社がありますね。

カフェ・プロコップ/wikipediaより引用

カフェ・プロコップ/wikipediaより引用

 

日本で最初は明治時代 大正に入ってブームを迎える

ところ変わって日本では、江戸時代の享保二十年(1735年)にお茶を飲ませるお店ができていたそうです。

場所は京都東山だったといいますから、各寺社への参拝客を目当てにしたものだったのかもしれませんね。
今でも銀閣寺付近や哲学の道には、八橋のお店やお茶を点ててくれるお店がありますし。

コーヒーが広まったのはやはり明治時代でした。

神戸の茶商・放香堂(ほうこうどう)がコーヒー豆の販売を始めたとき、店内で試飲できるようになったのが日本の喫茶店の始まりだといわれています。

イギリスなどでは生水が飲用に向かないため、コーヒー・紅茶など飲み物(※ただし粗悪品含む)を売る屋台があったのですが、日本ではその辺の水が飲めますから、こういった商売があまり発展しなかったのかもしれませんね。

その後大正時代に入って喫茶店ブームが起き、次々とお店が増えていきます。

現代の貨幣価値にすると、コーヒー1杯がだいたい250円くらいだったそうです。(当時の1円=現在の2500円で計算しています)。
ほぼほぼ適正価格というところでしょうかね。でないと広まりませんし。

 

終戦後は色んな種類の喫茶店がポコポコ誕生

終戦を迎えて1950年代に入ると、様々な形態の喫茶店が生まれました。

ジャズを鑑賞するための「ジャズ喫茶」。
クラシックを楽しむ「名曲喫茶」。
はたまたお客さんが皆一緒に歌う「歌声喫茶」。
今は随分減ってしまいましたが、ジャズ喫茶は今でもたまに見かけますね。

もう少し経って1970年代には、インベーダーゲームが喫茶店に置かれるようになり、中高生がたくさん通い始めます。

が、あまりに熱中して勉強をしなくなる生徒も多々見られたため、校則で「喫茶店出入り禁止」とする学校も多くなりました。
読者の方々にも、ご記憶の方がいらっしゃるかもしれませんね。

 

名古屋で喫茶が流行っているのは商売の事情から?

ちなみに日本で喫茶店が多い場所というと名古屋ですが、これは「商談をするときに気軽に入れるお店だから」というのが主な理由のようです。

営業時間が長いですし、食事もできますし、それでいて比較的お金がかからないですからね。
また、レストラン等と比べて飲み物や食べ物がささっと出てくるところも、商売で忙しい人々にピッタリだったようです。

名古屋以外の地域では「名古屋の喫茶店といえば安くて多いモーニングでしょ!」というイメージが強いですが、それだけでなくコーヒーやフードの質にこだわっている名店が多いのも、厳しい競争社会を生き抜いてきたからなのでしょうね。

そのため、大手チェーンが進出しようとしても根付かず、二年で撤退したこともあるとか。

逆に、名古屋から全国に進出した喫茶店は各地で成功を収めていますよね。
名古屋すげえ。

全国的・世界的に見ると大手チェーンやファーストフードなどに入る人のほうが多いかもしれません。

たまには個人経営や小規模チェーンの喫茶店に入ってみるのもいいかもしれませんね。
ワタクシも京都でご飯を食べに入った際、お茶を点ててくださったお店のことは忘れられません。

旅先で勇気を出してみるのもまた良い思い出になると思いますよ。

長月 七紀・記

【参考】
喫茶店/wikipedia
カフェ・プロコップ/wikipedia
コーヒー・ハウス/wikipedia

 



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