世の中には、「リアルチートかよ!」としか言いようのない人がたびたび存在します。
その行動はどこか爽快で、後世の人に好かれていることが多いもの事実。
本日はそんな人外の中から、ツッコミどころにあふれた方のお話です。
1966年(昭和四十一年)4月13日は、元ドイツ海軍のフェリクス・フォン・ルックナーが亡くなった日です。
この年代ですから、何となく第二次世界大戦中の軍人だと思いますよね?
ところがどっこい”第一次”世界大戦で活躍した人。
しかもその活躍が、文字通り他の人ではできなかったであろう類のものでした。
さらに、そこまでの道のりもまた常人には理解の及ばぬものだったりします。
お好きな項目に飛べる目次
あらゆる職業を経験し、皇帝の前で手品も披露
ルックナーは、1881年にドイツ貴族の家に生まれました。
13歳で家出して船に乗り、船員などをして世界中を旅するというダイナミックな行動に出ます。
何でも「アメリカ・インディアンに憧れていた」らしいのですが、何がどうしてそうなったんでしょうね。
しかも乗り込んだ船が向かった先はオーストラリアでした。
ダメじゃん!
が、細かいことは気にしなかったのか、水夫として普通に働いていたそうです。
他にもホテルの皿洗いなどの下働きから、漁師、バーテンダー、ボクシング選手など、ありとあらゆる職業を20代前半までに経験。
さらには手品まで身につけ、後々ドイツ皇帝の前で披露して気に入られています。芸が身を助けすぎ。
やってることは破天荒でも、ルックナーは堅実に働いていたようで、帰国までにかなりのお金を貯めていました。
そして、ドイツで航海士の訓練学校に入り、これまた真面目に勉学に励みます。
真面目に学んだおかげで望み通り航海士になり、一年志願兵の資格をゲット。
商戦の乗組員が予備海軍士官として教育を受けられる制度のことでして、臨時徴用に近い感じですが、元々海軍に入りたかったルックナーにはうってつけの制度だったのでしょうね。
31才になって海軍からお呼び出し
こうして幼い日の夢を叶えたルックナーは、海軍士官の制服を着て故郷に凱旋します。
家出から10年経ち、23歳になっていました。
当然、とっくのとうに息子は死んだものと考えていた両親は、たいそう驚くと同時に喜んだそうなのですが……消息くらい知らせてやりなさいよ(´・ω・`)
それからは船長になるための勉強をし、見事資格を取りました。
そのまま行けば商船を率いていたかもしれませんが、31歳のとき転機が訪れます。
海軍から「ちょっとウチに来て働いてよ」というお呼び出しがかかったのです。
願ったり叶ったりですから、もちろん彼は断りませんでした。
そしてアフリカ方面をまわる船に所属し、その途中に立ち寄った島で、ちゃっかり婚約者をゲットしています。ドイツ人実業家の娘で、イルマというお嬢さんでした。
ただし、ときは欧米列強の思惑が渦巻くどころかカオスな20世紀初頭です。
やがて第一次世界大戦が勃発し、ルックナーも新婚生活を楽しむどころではありません。
イギリス相手の海戦にたびたび参加しています。
「帆船でイギリス商船沈めて」という無茶振りを楽しそうに!?
相手はヨーロッパきっての海軍国。
分が悪くなりつつあったドイツのお偉いさんは、戦闘ではなく通商破壊でイギリスの力を削ごうと考えます。
要は、物資を運ぶ輸送船や商船を破壊することで、いわば兵糧攻めみたいなものですね。
後に生産される有名なUボート(という名の潜水艦)は、通商破壊のために量産・使用されました。
しかし、イギリスもこれを見抜いていましたから、そう簡単にやられはしません。
ここでドイツ側は、さらに知恵を絞ります。
その結果、「帆船だったら警戒されないんじゃね?」(超訳)という結論に至りました。
当時、軍艦も商船も蒸気船に切り替わりつつありましたが、帆船もなくはなかったので、そこを利用しようというわけです。
かくして、帆船での勤務経験&外洋の知識&語学の三拍子がそろったルックナーにお呼びがかかると、
「今度は帆船でイギリス商船沈めてきて」
という無茶振りされ、彼はむしろ楽しそうに引き受けました。
ルックナーに与えられた船は、パス・オブ・バルマハ号という三本マストの船でした。
元はアメリカ船籍だったものを、ドイツ軍がとっ捕まえていた船です。
本来はアメリカ船ですから、怪しまれることもない――というわけですね。
内部をこっそり軍仕様に改造したこの船を、ルックナーは「ゼーアドラー号」と名づけました。
ドイツ語で「海の鷲」という意味だそうです。
突然の厨二臭!
ついに英海軍にゼーアドラー号がバレるのですが……
ルックナーとゼーアドラー号は、その後イギリス船を次々に破壊します。それらは石炭や砂糖、硝石、食料などを運んでいたものでした。
他の海軍や海賊と違うのは、決して乗員ごと船を沈めるようなことはしなかった点です。
輸送船を襲いはするのですが、
「銃で脅して船を停めさせ、乗員を全員ゼーアドラー号に移してから沈めていた」
のでした。
平たくいえばカツアゲですが、戦時中の割に命を助けているだけまだ優しいかと。
追撃中のゼーアドラー号を撮った写真を元に描かれた絵があるのですが、「……船ってドリフトできたっけ?(´・ω・`)」と言いたくなるような勢いで迫るさまがよく表されています。何も言えねぇ、超こぇえ。
時には部下に女装をさせて欺くなど、奇策も用いたルックナー。
捕虜を別の船に乗せて開放したことにより、ついにゼーアドラー号の存在がイギリス海軍に知れることとなります。
いや、わざとそうしたフシがあります。
捕虜が解放されたのはリオ・デ・ジャネイロだったそうなので、彼らにとっては運が良かったのか悪かったのかビミョーなところですが。
当然のことながらイギリス海軍は、ゼーアドラー号をなんとかすべく哨戒を始めます。
ルックナーのほうが一枚上手。
予備の救命ボートにわざわざ船名を書かせて海に流し、「ゼーアドラー号が既に沈没した」と見せかけたのです。
イギリス側ではしばらくこれを信じ、追撃をやめました。
遭難先の島で「海の鷲の城塞」って(´・ω・`)
その間にゼーアドラー号は太平洋に進んでいて、今度はアメリカの船をガンガン沈めはじめます。
しかし、大西洋と違って太平洋ではアメリカ・イギリス・日本の三ヶ国が哨戒を行っていたため、今までのようにはいきませんでした。
しかも、補給と休息のためにとある島に立ち寄っている間にゼーアドラー号が座礁してしまいます。
平たく言えば遭難です。
ルックナーは諦めず、島を切り開き、簡単な家を作って何とかしてしまいました。
「ゼーアドラーブルク」(訳すと「海の鷲の城塞」)
そんな大仰な名前までつけていたそうで、余裕というか洒落っ気というか、コメントに困るほどのポジティブ思考です。
太平洋でとっ捕まって同行させられていた捕虜が気の毒で仕方ありません。
とはいえ、いつまでも孤島でのんびりしているわけには行きませんから、ルックナーは何とか脱出を試みます。
「船がないなら奪えばいいじゃない。そうしたらドイツに帰れるぞ!」という、またしてもカツアゲ的な発想で、ターゲットを探し始めました。
ゼーアドラーブルクのことを副長に任せ、ルックナーは5人の船員と共に、救命ボートで大海原へ漕ぎ出します。
約一ヶ月ほどあちこちをさまよったのち、やっといい感じの船が見つかりました。
が、途中でバレてイギリスの憲兵に捕獲。
そして、そのままフィジーの首都・レブカで監獄に入れられてしまいました。
脱走を試みたこともあったものの、やはり海と陸では勝手が違うのかうまくいかず、あちこちの収容所を転々とします。
砂漠の狐も受賞した勲章をもらう
そのうちに第一次世界大戦が終わったので、ルックナーは無事ドイツに帰国。
残された副長たちは自力で船を奪って脱出した者、日本の船に発見されて助かった者と、その経路に違いこそあれ無事に助かりました。途中で病死した一名を除いて、無事ルックナーと再会したそうです。
おおよそ三年半ぶりに帰ってみると、ドイツは帝政ではなくなり、さまざまなものが変わっていました。
ルックナーたちに与えられてしかるべき勲章制度も廃止されていたものの、なかったことにするにはあまりにも大きい功績のため、特別にプール・ル・メリット勲章を与えられています。
これはかつてフリードリヒ2世が制定した、最も名誉ある勲章です。
他に有名な授賞者だと、第二次世界大戦中に「砂漠の狐」エルヴィン・ロンメルなどがいます。
第一次世界大戦後は待たせまくった婚約者と結婚した後、講演や著作で生計を立てるようになります。
正式に海軍を辞めてからは、夫婦で世界各国をめぐり、特にアメリカで歓迎されました。
帆船を一つ買えるほどのお金があったそうですから、なかなか儲かっていたのでしょうね。
第二次大戦後はアメリカとの交渉役を担う
しかし、あるとき故郷ドイツに帰ってみると、例のちょび髭独裁者がヨーロッパで戦争を始めようとしているところでした。
ちょび髭は歴戦の英雄であるルックナーの名声を利用しようと企てていたようですが、ルックナーはこれをきっぱり断っています。そりゃあな。
ただし、そのために銀行口座を凍結されてしまい、不便もしたようです。
第二次世界大戦中は何をしていたのかはっきりわかりません。
ドイツのハレという街にいたことは確かなようで、ドイツが降伏する際、アメリカ軍との交渉を行っています。
ルックナーはこのとき64歳になっていましたから、アメリカ軍から見れば威風漂う老兵といった感じに見えたでしょうね。
戦後は再び世界のあちこちを巡り、その途中スウェーデンで亡くなります。
なぜか埋葬されたのは故郷のドレスデンでもハレでもなく、ハンブルクだというのがしっくりきませんが……。
スタートダッシュと後半生はまあ別として、これほどエネルギッシュに第一次世界大戦を生き延びた人もなかなかいないでしょう。
長月 七紀・記
【参考】
フェリクス・フォン・ルックナー/wikipedia
ゼーアドラー_(帆船)/wikipedia