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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂2-photo-by-nekotank

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フランス その日、歴史が動いた イタリア

伊で起きたパッツィ家の陰謀 もし成功してたら仏国は現在の地位にあらず?

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1478年(文明十年)4月26日、イタリア・フィレンツェで【パッツィ家の陰謀】という事件がありました。

メディチ家という家の話は聞き覚えのある方も多いと思いますが、実はこの家が成り上がったいきさつはよくわかっていません。
イタリア語でお医者さんのことを「メディコ」といい、複数形が「メディチ」なので、メディチ家も医業に関する仕事をしていた……といいたいところなのですが、それらしき記録にこの一族の記載はないそうで。

今回は、イタリアのみならず欧州の歴史を大きく変えた両家の争いについて見て参りましょう。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂内部 photo by nekotank@flicker

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂内部 photo by nekotank@flicker

 

成り上がり者がデカい顔しやがって(#^ω^)

メディチ家は金融業で莫大な富を築き、14世紀にはフィレンツェで揺るぎない権勢を誇るようになっておりました。

一方、古くから続いていた名家たちは、これを「成り上がり者がデカい顔しやがって(#^ω^)」と見ていて、その筆頭がパッツィ家だったというわけです。
パッツィ家はメディチ家よりも古い家柄で、しかも同じく金融業を営んでいました。そんなわけでテーブルの下で互いの足を蹴りあうような状態が続いたところへ、さらに油を注いだのがときの教皇・シクストゥス4世です。
どうでもいいですけど、何でこの辺はイタリア語にしては舌を噛みそうな名前ばっかりなんですかね。

シクストゥス4世はメディチ家がデカい顔をできないように特権を取り消し、さらにパッツィ家にバチカンのお財布を任せるという暴挙に出ました。

となれば当然メディチ家の人は「パッツィ家ブッコロ!」という気になりますよね。ちょうどそこへ「今度パッツィ家派のヤツが教会のエラい職に就くんだってよ」という知らせが届きます。これまた当たり前のように、メディチ家当主のロレンツォはこれを妨害しました。

 

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街の中心・サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂で・・・

こうなればどっちが先かとか悪いとかいう話ではなく、「やられる前にやれ」という状態になりますよね。
そしてついに焦れたパッツィ家は、「そうだ、ロレンツォとそのお供をやっちまおう」という計画を立てます。

「やっちまう」現場に選ばれたのは、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂という場所でした。フィレンツェの写真に必ず写っている、茶色いドームのアレです。つまり、町の顔なわけです。
もちろん宗教的にも超重要施設で、現在に至るまでカトリックのお偉いさんである大司教の一人の職場(大司教座)でもあります。

そんなところでドンパチされるわけですから、教会が全くノータッチだったわけがないですよね。しかも暗殺実行はミサの最中。きなくさいどころか何もかも見え見えです。
そんなわけで、この件、教皇も一枚噛んでいたとか黙認していたとかいわれています。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂-photo-by-nekotank

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂とフィレンツェの町並み photo by nakotank @flicker

 

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若いころのミケランジェロも面倒見ていたロレンツォ

暗殺の実行犯はパッツィ家のお偉いさんと、ロレンツォに昇進を邪魔された人、そして彼らに同意した人々でした。
ロレンツォは運良く怪我で済みましたが、弟・ジュリアーノはその場で殺されてしまいます。
仕留め損ねたことに気付いた暗殺犯は市民へ「いけすかないメディチ家を一緒にやっつけようぜ!」と呼びかけたそうですが、ロレンツォは一般人に対してものすごく気前が良かったので、逆に暗殺犯のほうがブッコロされてしまいました。アーメン。
余談ですが、ロレンツォは芸術家に対しても惜しみなく援助しており、若い頃のミケランジェロに自分の家の一室をあげてまで面倒を見たりしていました。そりゃ町も栄えるし人気も出ますよね。

ここで黙っておけばいいものを、シクストゥス4世はなぜか被害者であるはずのロレンツォやメディチ家どころか、フィレンツェ全体を破門するというこ暴挙に出ました。「ワシも一枚噛んでましたテヘペロ☆」って言ってるのと同じじゃないですかーやだー!!
さらに、バチカンはナポリ王国(現在のナポリを中心としてイタリア南部にあった国)と手を組んで、フィレンツェと戦争をおっぱじめるという乱暴ぶりです。十字軍もビックリだわい。

 

巧みな外交手腕で他の都市国家とうまくやっていく

しかし、さすがにロレンツォは頭がキレました。
なんと一人でナポリ王に会いに行き、男気を見せて和平を取り付けたのです。イタリア人の神経どうなってんの???(褒め言葉)

そんなわけでバチカンからすると「ぐぬぬ」という状況で一連の騒動は終わったのですが、シクストゥス4世が亡くなるまで、フィレンツェとバチカンの間は緊迫した状態が続いたとか。

フィレンツェ自体はロレンツォの巧みな外交手腕(という名のばらまき)で他のイタリア都市国家とうまくやりあって生き延びていきます。ロレンツォの死後もメディチ家が中枢となったフィレンツェはやがて共和国から公国に、そしてトスカーナ大公国と名前を変えて栄えました。
途中でさすがのメディチ家も断絶してしまうのですが、トスカーナ大公国は19世紀にイタリア半島が統一される直前まで存続しています。

というわけでめでたしめでたし……というところにおちついたのですが、実はイタリア以外の国にも大きな影響を及ぼすところでした。

メディチ家からは、このしばらく後にお隣フランスの王妃が二人出ているからです。

 

イタリア文化をフランスへ普及

二人とももちろんイタリア人なんですが、大体の場合嫁ぎ先のフランス語読みで書かれているようなので、ここでもフランス語のお名前にしておきますね。

一人は、カトリーヌ・ド・メディシス。以前ユグノー戦争のお話をしたとき(過去記事:アンリvsアンリvsアンリってなんじゃい!? ややこしすぎるフランスの宗教戦争【その日、歴史が動いた】)にもチラっと出てきた肝っ玉カーチャンです。
政治的な影響力については過去記事を見ていただくとして、その他にもイタリアの文化をたくさんフランスに伝えたのが彼女であるといわれています。

ローマ帝国崩壊後のイタリアは政治的にはサッパリでしたが、文化の発展や継承においては先進国でした。フォークをはじめとした食器類や食事の作法、野菜を多用する料理、アイスクリームやマカロンといったお菓子など、カトリーヌがこれらをフランス王家へ持ち込んだことで、現在のフランス料理の原型が作られたのです。

 

マリーの晩年に「太陽王」ことルイ14世が生まれる

もう一人は、マリー・ド・メディシス。
カトリーヌとは「遠縁」という程度の血縁ですが、彼女もフランス王アンリ4世に嫁ぎ、後のルイ13世を産みました。
当初フランス語が話せず、夫や周囲とのコミュニケーションがうまく行かなかったためか散財に走りましたが、世継ぎを儲けたことでプラマイゼロ扱いになったようで。
アンリ4世が早世したため、幼いルイ13世の摂政となって権力を持ちました。しかし、王が成長すると同時にもう一人の宰相・リシュリューによって煙たがられるようになってしまいます。
まあ、親離れが無事にできてよかったんじゃないですかね。

そして、マリーの晩年に生まれた孫が「太陽王」ことルイ14世です。彼の時代にフランスが最高潮を迎えたのは皆さんご存知の通り。(※ただし借金含む)
二人とも違った分野で後のフランスに多大な影響を与えていますよね。

太陽王と呼ばれたルイ十四世/wikipediaより引用

太陽王と呼ばれたルイ十四世/wikipediaより引用

もしパッツィ家と愉快な仲間達の陰謀が成功していたら、この二人は生まれていないか、もしくは全く違うところへ嫁いでいた可能性が高くなります。
となると、フランスという国は現在ほどの文化や先進国としての地位を持っていなかったかもしれないということにもなりますよね。
この手の予測をするとキリがありませんし、だからこそ「歴史にIFは厳禁」なのでしょうけども、影響がデカそうなことほど想像するの面白くありません?

長月 七紀・記

TOP画像:サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 photo by nekotank @flicker

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参考:パッツィ家の陰謀/wikipedia チェーザレ・ボルジアとその周辺 ルネサンスのセレブたち

 

 





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