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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代 アメリカ WWⅡ

日本列島を壊滅するおそれもあった「ダウンフォール作戦」 ご存知ですか?

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歴史に限ったことではないのかもしれませんが、何かを調べていて「こうならなくてよかった」と思うことがありますよね。どちらかといえば「こうなってほしかった」ということのほうが多い気がしますが。
本日はコーナー名には反しながらも、そんな類のお話です。

1945年(昭和二十年)11月1日は、第二次世界大戦の連合軍による「ダウンフォール作戦」の開始予定日でした。詳細を知れば知るほど、「この日、歴史が動かなくてよかった」と思わざるを得ない作戦です。

実際に起きていないのでグロテスクな点は比較的少ないのですが、想像力が豊かすぎる方はお読みにならないほうがいいかもしれません……よろしいでしょうか?

ダウンフォール作戦の全体図/Wikipediaより引用

 

オリンピック作戦とコロネット作戦の二本柱で構成

この作戦を一言でまとめると、「連合軍による日本の壊滅作戦」です。
九州へ上陸する「オリンピック作戦」と、それが成功してから関東の湘南海岸および九十九里浜から上陸する「コロネット作戦」の二本柱で構成されていました。
オリンピック作戦が1945年11月1日、コロネット作戦が1946年3月1日開始予定になっていたそうです。

ガダルカナル島で半年、硫黄島に1ヶ月、沖縄に3ヶ月かかったのに対し、4ヶ月で九州を落とせるとは、なぜそう思ったのか不思議でなりませんが。

作戦の中には、機雷による徹底的な海上封鎖、ABC兵器の無差別使用、薬剤による農地壊滅などが含まれていたため、後のことを考えなければできたかもしれません。
実際にそこまでやってしまった後に、どう処理するつもりだったのか?と、聞きたいところですけれども、その辺については情報が出てきませんでした。

この手の「日本への上陸作戦」については、1943年のカイロ宣言あたりから計画されていたといわれています。

しかし、開始予定日が決まるギリギリまで、中核であるアメリカ軍の内部でも意見が割れていました。というのも、太平洋上の島々や硫黄島、沖縄でアメリカ軍の損耗があまりにも大きかったこと。

そして日本兵だけでなく民間人も自決を選んだ人が多かったことから、「本土への上陸作戦をやったとしたら、日本人は最後の一人になっても降伏しないに違いない」といわれていたのです。

オリンピック作戦/Wikipediaより引用

 

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アメリカ軍にしても単純計算65年分の死傷者が出る可能性

そこまでの事態になったかどうかは神のみぞ知るところですが、もしそんなことが実現化していたら、今頃日本という国どころか、日本人という民族が存在しなくなっていたおそれすら否定しきれません。
それに伴い、アメリカ軍の被害も甚大なものになると予測されていました。

アメリカ軍には軍の死傷者に与える「パープルハート章」というものがあるのですが、ダウンフォール作戦での必要数を見越して、50万個も作っていたそうです。単純に一人一つとして、50万人の犠牲を要する作戦なんて、常識の範囲では採用できないですよね。
米国本土が戦場になっていないからこそ、計画できたともいえます。元の人口が多い上に、それだけ損耗が少ないわけですから。

結果的にダウンフォール作戦が行われなかったため、パープルハート章は一度製造停止になりました。が、既に用意されていた分はその後、ほかの戦争での死傷者へ授与していました。50万個を使いきったのは、2010年ごろだといわれています。
つまり、ダウンフォール作戦が実行されていたら、単純計算で65年分の死傷者が出ていたということです。

パープルハート勲章の表面/Wikipediaより引用

 

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原爆の開発で作戦は実行されなかった

それでも最終的に、ダウンフォール作戦は採用の方向で一度まとまりました。実行されなかったのは、原爆の開発が成功したからです。

被害者のことを考えると、ダウンフォール作戦と原爆を単純に比較することはできません。よくそういう比較をしたがる人がいますが、救われたのは日本人の命と国土だけではないでしょう。

ダウンフォール作戦が実行されなかったおかげで、まずアメリカ兵50万の命も救われたことになります。

また、完全に想像の世界ではありますが、日本が米ソに分割統治された場合に起きたであろう戦争の被害者も防いだことになります。
とはいえ、「どこか無人島を標的にするだけでも、原爆の威力は示せただろう」という意見には賛成ですが。

それほどの死者が出るであろう作戦が、なぜ採用されることになっていたのか。それはまた別の理由があると思われます。そのへんはまた日を改めてお話しましょう。

長月 七紀・記

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参考:ダウンフォール作戦/Wikipedia パープルハート章/Wikipedia

 

 





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