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その日、歴史が動いた 世界史データベース

遠くて実は近い親日メキシコ アジア以外で日本が初めて平等条約を結んだのは彼の国だった

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外交関係は、近ければ近いほど、良くも悪くも濃いものになる傾向があります。
しかし、「こんな遠いところなのに親日国なの?」と思うような、意外な繋がりがある国も珍しくありません。
本日はその一つである、とある国のお話です。ヒントは「辛い料理が有名」。

1888年(明治二十一年)11月30日は、日墨修好通商条約が結ばれた日です。
条約であるからには、どこか相手国がいるわけですが、この字面だとパッと見わかりませんよね。
「墨の字がアヤシイけど、ドコ???」
「中国で墨を使うけど、それなら清とか中って書くよね」
などなど、謎が謎を呼ぶ感じです。

実は「墨」とは、メキシコの漢字表記における略称です。メキシコを漢字で書くと「墨西哥」となるため、最初の文字を略称にしています。
なんでこの字を選んだのかは……何ででしょうね(´・ω・`)
まあそれはともかく、本日は意外に接点のあるメキシコと日本の繋がりについてみていきましょう。

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最初の接点は伊達政宗の慶長遣欧使節団

太平洋の端と端にある日本とメキシコ。
となると、関係ができたのはごくごく最近の話かと思いきや、そうでもありません。
最初の接点は、江戸時代のことです。

伊達政宗が(諸々の下心とともに)スペインへ向かわせた慶長遣欧使節団の面々が、当時スペイン領だったメキシコを訪れていたんですね。この時代はパナマ運河がありませんので、南北アメリカ大陸を超えてヨーロッパへ向かうには、どこかで上陸する必要がありました。
現在「日墨国交○○周年」というときは、この使節団がメキシコを訪れた1614年1月を基準とすることが多いようです。大坂冬の陣が始まろうかという頃に、新たな世界に触れていた人たちがいたんですねえ。

そんなわけで、政宗はもちろん、家康や幕閣の一部くらいはメキシコの存在を知っていたと思われます。特に家康は、千葉県に流れついたフィリピン総督(※)をメキシコに送り返したことがありましたので、「海の向こうにこんな感じの人が住んでる国がある」ということをハッキリ認識していたでしょう。
しかしその後の政策によって、大々的にお付き合いを始めるには至りませんでした。フィリピン経由で貿易をしたことはあったようですが。
※当時フィリピンはメキシコ同様スペイン領で、メキシコと管轄が同じだったため、メキシコから総督が行っていた

 

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外交で難題山積みだった日本とメキシコの利害が一致する

次に国交を結ぶチャンスが訪れたのが、日墨修好通商条約が結ばれた1888年の秋というわけです。
明治時代に入り、他国との高度な情報戦や不平等条約の改正などなど、外交での課題が山積みだった日本にとっては重要な事でした。
欧米とは既に不平等条約を結ばされていますが、明治に入ってから新たに国交を結んだので、対等な条約を結ぶ相手がほしかったのです。

メキシコもアメリカとの戦争で「ぐぬぬ」な思いをしていましたし、この頃は独立して60年くらいしか経っていません。一人前の国家であることをアピールするために、対等な条約を結ぶことはメリットになりました。
また、メキシコはアジア諸国との貿易を拡大しようと思っていたらしく、幸運にも両国のニーズが一致したことになります。外交がこういうケースばかりだったらいいんですけどねえ。

日本は初めて対等な条約を結んでくれたお礼に、永田町へ一戸建ての公使館を用意しました。同じエリアに同様の大使館はないとのことなので、当時のお偉いさんたちのハイテンションぶりがうかがえます。
メキシコ公使たちに通じていたらいいのですが。

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戦後1952年に国交が再開、大使館も作られる

そんな感じで順調に通商条約が結ばれ、公使を交換しあい、日本人のメキシコ移住も進められました。
そのため、日系メキシコ人も現れ始めましたが、多くの人は名字や仏教への信仰に名残を留めるのみで、ほとんど現地の方と変わらない外見や言語のようです。
ちなみに、上記の慶長遣欧使節団の中にも、メキシコやスペインの女性といい感じになって現地に残った人がいたとか、いなかったとか。順応性高すぎやろ。

その後、第二次世界大戦中は例によって国交がなくなってしまったものの、戦後1952年に再びお付き合いを始め、同年に在メキシコ日本大使館も作られました。
直接戦争をした相手ではないので、主権回復と同じ年という早期に国交を回復できたのでしょう。

最近では、即席麺の「マルちゃん」がメキシコで好評を博しているそうです。「早くできて安くて、そこそこ美味しい」だからだとか。
元々トルティーヤの国ですし、小麦粉でできてるのもウケた理由かもしれませんね。

しかし、メキシコは国土のほとんどが高度1000m以上のため、製造工程上の問題があり、現地で作るするのは難しいんだとか。そのため、アメリカで作られたものを輸入しているんですって。
某新大統領の発言があんな感じなので、メキシコとアメリカの仲もビミョーになりつつある……かもしれませんが、マルちゃんが平和の架け橋になってくれないものでしょうか。
「早い」=「マルちゃんする」という新しい動詞ができたほど、メキシコでは欠かせない存在になっているそうですし。

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アメリカとの三角関係がややこしくなりそうで……

また、メキシコでは現在、世界の自動車企業が数多く進出しています。
日本もその一つで、今年(2016年)のはじめには、日系企業が多く進出しているグアナフアト州に、日本の領事館ができました。首都のメキシコシティからは車で5時間ほどの場所なので、便宜を図るためでしょう。

しかしまあ、「アメリカと日本は同盟国」「メキシコは親日国」「でもアメリカとメキシコは仲が悪い」と書くと、何だか恋愛ゲームか昼ドラの三角関係のようですね。

おおらか過ぎる(?)国民性やアレなお薬、日本で言うところの「ヤ」がつく業界の問題など、いろいろ難しいところもありますが、外交関係は一国集中というわけにもいきません。

日本としては双方とうまくやっていってほしいものです。

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長月 七紀・記

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参考:日墨修好通商条約/wikipedia メキシコ/wikipedia 外務省 東洋水産 HARBOR BUSINESS online

 





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