現代人が読めば、ミステリーの「古典」となってしまうシャーロック・ホームズシリーズ。
しかし、執筆当時の人々にとっては最新作なワケで、その時の世相や事件が反映された、いわば時流に乗った作品でした。
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シャーロック・ホームズが19世紀の英国に生まれた理由~名探偵渇望の時代
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そんなホームズシリーズで印象的なキャラクターがアイリーン・アドラーです。
短編『ボヘミアの醜聞』にのみ登場する女性で、あのホームズをまんまと騙し、颯爽と退場。
大胆かつ賢く自由なキャラクターは、他の登場女性(典型的なヴィクトリア朝淑女)と比べて明らかに異質で、今なお高い人気を誇っています。
そんなアイリーンは、映像化作品では原作以上に目立つ活躍をすることが多くなっています。
パスティーシュ作品では、彼女がホームズとの間に男児をもうけた設定のものや、彼女自身を主役にした作品も存在します。
このように人気の高いアイリーン。
自由奔放な彼女も、実は当時の世相を反映させたキャラクターだったのです。
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ヴェールを脱いだ寵姫たち 雲の上では生きられず
アイリーン・アドラーは、アメリカ出身のオペラ歌手であり、当時王太子であったボヘミア国王と関係を持った女性でした。
彼女は結婚を目前としたボヘミア国王を、二人で撮影した写真があると脅迫。
そんな彼女が『ボヘミアの醜聞』に登場した時、当時の読者はリアリティをもって受け止めたことでしょう。
この写真による脅迫は、まさにこの時代ならでは。寵姫の姿が肖像画のみで残されていたときにはありえないことです。
時代がくだり二十世紀も半ばとなれば、よほど際どいものでもなければ写真一枚で脅迫はできないでしょう。
ボヘミア国王は「アイリーンの身分が釣り合えば結婚できた」と残念がりますが、これも彼の孫の代にでもなればたいした障壁とならなかったはずです。
作品発表当時の1891年。
国王の寵姫は庶民にとって隠された存在ではなくなっていました。
かつて、国王の寵姫たちは宮殿に暮らし、庶民が彼女らの姿を直接見る機会はほとんどありませんでした。
寵姫の肖像画も宮殿の壁を彩り、庶民の目に触れる機会はありません。
生まれは庶民であっても貴族夫人という大層な肩書きを与えられた彼女らは、まさに雲の上の存在でした。
そんな寵姫たちが雲の上の伝説の美女から、庶民も目にすることのできる存在まで変化したのは、近代以降です。
アイリーン・アドラーのモデルの一人とされるリリー・ラングトリーは、ヴィクトリア女王の長男であるエドワード七世の寵姫の一人でした。
彼女の美貌は評判を呼び、あるパーティでの姿は絵葉書になり話題を呼びました。
シャーロック・ホームズと同時代ともなると、庶民でも国王の寵姫の顔を知ることができた、ということです。
かつて優雅な暮らしを送った寵姫たちは、ひとたび国王が崩御するか、寵愛を失うかすれば、地方の修道院や城でひっそりと暮らすことになりました。
ところがこの時代になると、莫大な年金もあてにはできなくなります。
自力で愛人を探したり、回顧録を出版社に持ち込んだり、はたまた歌手や女優として舞台に立ち、生活費を稼がねばなりません。
写真どころか、踊り愛嬌を振りまく元寵姫すら、見る機会があったということです。
分厚いヴェールの向こうにいた寵姫は、その姿を見せるようになっていたのです。新聞を読みあさり、ゴシップ情報を求める人々が彼女らに注目しました。
流行に敏感なコナン・ドイルが、これを見逃すはずがありません。
「国王と野心を抱いた寵姫で話を書いたら、読者に受けるんじゃないか?」
この時点で掴みはオッケー、のはず。
狙いは当たり、記念すべきホームズシリーズ三作目、短編では第一作となる『ボヘミアの醜聞』はヒットを飛ばします。
どんな男をも虜にしてしまうローラ・モンテス
アイリーン・アドラーのモデルは、リリー・ラングトリーだけではありません。
ローラ・モンテス――。
バイエルン王ルートヴィヒ一世の寵姫もその一人と言われ、命日が1861年1月17日です。
清楚な要望のリリーと比較すると、ローラは挑発的なまなざしをした気の強そうな美女であり、『SHERLOCK』でアイリーン・アドラーを演じたララ・パルヴァーが彼女に似ています。
さらには、上品な性格でエドワード七世の王妃にすら好かれたリリーと違い、ローラは世間から徹底的に嫌われた、野心に満ちた女性でした。
本名はマリー・ドロレス・エリザベス・ロザンナ・ギルバート。
のちにローラ・モンテスと名乗る女性は大いなる美貌に恵まれていました。
豊かな黒髪、情熱的な碧眼、誘うようなまなざし、肉感的な唇。そして豊かなバストを備えた彼女は、若い頃からありとあらゆる男を虜にする魅力にあふれていたのです。
1818年にイギリスで生まれた彼女は若くして軍人と結婚したものの、その魅力と奔放な性格がたたり、夫に愛想を尽かされてしまいました。
彼女が生きていた当時、離婚した女は社会からの「はみ出し者」として、後ろ指をさされていました。
しかし、ローラに日陰者としてこそこそ生きるという選択肢は存在しません。
どうせ「はみ出し者」になるのなら、自由奔放に生きてやる! それがローラのやり方です。
開き直った彼女は、スペインの踊り子ローラ・モンテスと名乗り、ロンドンでセクシーダンサーとしてデビューします。
当時、ダンサーという仕事は娼婦と五十歩百歩。まっとうな淑女にはありえない、いかがわしい職業でした。
しかしローラはダンサーとして成功をおさめます。
社交界でも話題となった彼女はジョルジュ・サンドはじめ名士と親交を結び、浮き名を流しました。
ワルシャワ、パリ、そしてミュンヘン。恋の噂とともにヨーロッパ各地を転々としたのです。
1846年、ローラはバイエルン王国の首都・ミュンヘンにたどりつきます。
既にヨーロッパ社交界で有名人となっていた彼女に、バイエルン当局は困惑しました。
芸術を愛する国王は美貌も愛し、堕ちていく
ミュンヘン市民は素朴な家庭生活を大事にします。そんな市民の価値観と、ローラの生き方は真逆なのです。
このセクシー過ぎる妖婦は市民に悪影響を及ぼすのでは?
そう考えた当局は、彼女が劇場で踊ることを阻止しようとしたのでした。
が、そのくらいでめげるようなローラではありません。
「宮殿に行って、直接、王にかけあってやるわ!」
彼女は強引に宮殿に乗り込みます。そこには芸術を愛する国王ルートヴィヒ一世がいました。
ローラの評判を知っていたルートヴィヒ一世は、美貌とそのセクシーな肉体に目をみはり、こう尋ねます。
「貴女のそれは、天然ものかね?」
ローラはその問いに答えるため、胴着をはだけました。
すると天然ものの豊かなバストが飛び出し、国王の目を釘付けにしました。
ローラは驚くべき巨乳で、ルートヴィヒ一世はあまりの大きさに「本物なの? 寄せてあげてない?」と疑ったわけです。
ルートヴィヒ一世はローラの天然の膨らみを見ると、たちまち魅了され、上演許可を与えたのでした。ばかりかローラが王立劇場で踊る姿を見ると、国王は「彼女にはすっかり魅了された」と側近に語ります。
ルートヴィヒ一世は美しいものをこよなく愛した芸術家肌で、その中には美しい女性も入っていました。
国王の火遊びには慣れていた側近ですら、今回ばかりは危険ではなかろうか、と危惧しました。
側近たちの予感は的中します。
国王は午後になると、ローラの私室に入り浸り、愛の詩を書き送るようになったのです。
このとき既に年老いていた国王とローラはプラトニックラブだと主張しましたが、周囲は「しらじらしい嘘をつくよなあ」と信じませんでした。
自宅を襲撃した暴徒に対し、シャンパンを振る舞うクソ度胸
年老いた王が若い巨乳美女とロマンスを楽しんだところで、国民にとっては不愉快ではあったでしょうが、たいした事態ではなかったでしょう。
問題は、ローラが政治的野心と自由主義思想の持ち主であったことです。
彼女は自らの考えをルートヴィヒ一世に吹き込み、内閣を解散させるわ、人事に介入するわ、やりたい放題に振る舞い始めたのです。
これに対抗すべく、ローラの政敵は、彼女を「妖婦や魔女」と罵り、悪評を流しました。
が、すっかり骨抜きにされているルートヴィヒ一世は聞く耳を持ちません。
それどころか反対されればされるほど燃え上がるという悪循環となるのです。
ローラは多くの敵を作り、嫌われながらも、国民となり貴族の称号をも得ました。
栄光の一方で嫌われ、自宅を暴徒に襲撃されたりもしています。
しかし彼女は落ち着き払い、暴徒相手に不敵にもシャンパンとチョコレートをふりまきました。
あまりに堂々とした振る舞いには、暴徒たちも唖然としておとなしくなってしまう……。絵に描いたような悪女ではありますが、この度胸にはある種の魅力を感じてしまうのではないでしょうか。
しかし、この恋は、やはり危険過ぎました。
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