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【マルセル・ジュノー】
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帰国後、原爆の恐ろしさを本に綴る
執筆作業を終えると、翌年に書籍を出版。
ベノイトさんによると、広島の原爆がもたらした影響について、一冊の本として最初に触れたのはマルセルだったろうとの事です。
「当時のアメリカは、この問題を検閲していました。アメリカで最初に報道したのはジョン・ハーシーというジャーナリストでしたが、1946年9月でした」(ベノイトさん)
中立国のスイスだからこそ出版可能だったのでしょう。
国際赤十字委員会では、マルセル・ジュノーの人道援助のパイオニアとして戦地で活躍した功績は記憶に留められて然るべきだとしています。
「極端なまでに仕事に打ち込む人でした。国際赤十字社には、一時的に参加するだけだったのが、一生の仕事となったからです」
そう話すのは、国際赤十字社で国際法とコミュニケーションの担当責任者であるフランシス・バグニオン氏。
「彼の行動が、今日の医師団派遣のモデルになったのです。我々の医師団には、あらゆる意味でジュノーの精神が宿っているのです」
広島平和記念公園に顕彰碑
1961年6月16日、心臓発作で世を去りますが、こうした活躍を称え、1979年には広島平和記念公園に顕彰碑が建てられたほどです。
また、1990年から毎年6月に追悼式展が行われています。
2015年の70周年のときには、この顕彰碑を基にした記念碑のお披露目式が行われたそうです。
なお、ウィキペディア日本語版(→link)によると、在日朝鮮人の帰還事業に関連し、赤十字国際委員会から日本への使節として、8月23日に来日して、岸信介首相、藤山愛一郎外相らと会見。
日本政府の帰還調整委員会にオブザーバーとして出席するなど、約1ヶ月間日本での業務にあたったとあります。
碑はあっても、多くの日本人にはおそらく無名であろうマルセル・ジュノー。
機会があれば、顕彰碑に献花しても良いかもしれません。
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南如水・記
【参考】
swissinfo.ch(→link)