近現代史というとほとんどの期間が戦争だという印象です。
とはいえ、その中でも比較的穏便に問題が解決したこともありました。
1898年(明治三十一年)9月18日に起きたファショダ事件です。
場所は、当時欧米列強が覇権を競っていたアフリカ。
ヨーロッパからもアメリカからも近いという何とも不幸な位置にいたがために、本来であれば地元の人々が活用するはずだった土地も資源も奪われ、はたまたそれを巡って余所者が戦争をしに来るという最悪にもほどがある状態でした。
現代でもアフリカではこの時代の尾を引いた問題が数多く存在しています。
植民地にした国(ベルギー)が無責任な部族の区分けその他諸々をやったがために、ほとんど同じ民族の間で悲惨な内乱になってしまったルワンダなどが有名ですかね。
「ホテル・ルワンダ」として映画化もされましたし。
ボスに聞かなきゃ喧嘩はできひん…うん、そやな…
ファショダ事件はそこまでの悪影響は及ぼしておらず、むしろこれを模範にしておいてほしかったと思わせる出来事です。
一行で強引にまとめますと。
「アフリカを縦断しようとするイギリス軍と横断しようとするフランス軍がファショダというところでぶつかったが、お互いドンパチを始める前に本国へ指示を仰いだため、事なきを得た」
ものすごくザックリ言うと
「対立するヤンキーのNo.2同士がガンを飛ばしあったが、ボスが不在のときに勝手に手を出すとマズイのでその場は互いに引き下がった」
というところでしょうか。
何でこんなことができたのか?
というと、当時はイギリスもフランスも順風満帆とはいえない時期だったからです。
フランスは革命とそれに付随する戦争での失敗からようやく立ち直ろうとして、代わって国力を増してきていたドイツと一発触発状態。
国境が陸上だと本当に大変です。
一方、イギリスはアヘン戦争で清をフルボッコにし、ヴィクトリア女王の下最盛期を迎えていました。
しかし、植民地が増えた分各国と衝突する機会も増え、第一次ボーア戦争(南アフリカ)などをやっていた頃です。
つまり、両国ともに大国と戦争をする余裕はなかったのでした。
政治上のオツキアイと国民感情は別物です
平和のためではなくて自国の損耗を防ぐ――。
何とも利己的な理由ではありますが、もしここでイギリスとフランスが戦争をおっぱじめていたらとなるよりマシでしょう。
この後、両国は「ドイツが力つけてきてやべーし、今までのことは水に……流せないけどちょっと手組もうぜ」ということで英仏協商を結びます。
二度の世界大戦もこれによって協力していますし、ドーバー海峡を横断する国際列車・ユーロスターにもそれぞれの言葉で「英仏協商」と書かれているとか。
その割にエスニックジョークやニュースではお互い散々に言いあってますけども、政治上のオツキアイと国民感情は別物ということですね。よそのこと言えないか。
各国がいつもこのくらい先を読んで行動してくれていれば、その後の大戦の被害も少しは減ったのではないかと思うと残念でなりません。
第一次世界大戦は7月に始まって「クリスマスまでには終わるだろう」と予測され、その後四年も終わらず、さらに「戦争を終わらせる戦争」とまで呼ばれていたにもかかわらず、たった21年後には第二次世界大戦が起きています。
それぞれ直接開戦したきっかけは違いますが、潜在的な問題を膨れ上がらせた結果がこれだよ、と言うしかありません。
今後は、似たようなアホな経緯でこれ以上戦争が怒ることのないように祈りたいものです。
長月 七紀・記
【参考】
ファショダ事件/Wikipedia