過去の歴史認識は、とかく国家同士の揉め事に発展しがちですよね。
「世界で最初にエンジンを付けて空を飛んだのはライト兄弟だ」との認識は、アメリカだけでなく全世界共通でしょう。
ところが、そこへ「ライト兄弟よりも早く飛んだ人がコネチカットにいた」との異論があります。
そして、遂にはコネチカット州議会でも支持する動きが出てきました。ライト兄弟が育ったオハイオ州にしたら面白く無い事この上ありません。
いったい何がどうなっているのか?
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ライト兄弟の初飛行は1903年12月17日
報じているのはcleveland.com(→link)というサイト。
簡単なおさらいをいたしますと、ウィルバー・ライトとオーヴィル・ライトの、いわゆるライト兄弟がバイクのエンジンを2つ装着した動力式の飛行機を、ノース・カロライナ州のキティ・ホークで空に浮かべたのが1903年12月17日。
この日が飛行機の誕生と見なされています。
で、ライト兄弟はインディアナ州出身なのですが、主な生活の場はオハイオ州のデイトンでした。
飛行機も、デイトンから持っていったぐらいです。
という訳で、オハイオ州とノース・カロライナ州の両方にとって、ライト兄弟は誇らしい存在なのです。
しかし1901年に飛んでいた?証拠写真は自撮り
ところが、それに異議を唱える説があるのです。
コネチカット州のフェアフィールドのグスタフ・ホワイトヘッドなる人物が1901年8月14日に自らが開発した飛行機を0.5マイル飛ばすのに成功していたというのです。
この説自体は目新しくなく、1930年代からあるのだそうですが、歴史家の間では否定されていた見解です。
ただ、ややこしいのは、完全に否定できるかというと、そうでもないところ。
何しろ、ホワイトヘッドが1902年1月17日に撮影したとされる写真が残っているのですから、頭ごなしに「違う」とも言い切れないのですね。
これがそうです。サイトより引用させて頂きます。
何だか、ジブリのアニメに出てきそうな飛行機ですね(笑)。
写真説明を見ると、「プレーン・ナンバー22」との名称だったとか。すると、22回も試行錯誤していたのでしょうか。
コネチカット州が「こっちが最初」との決議案
で、2014年になって政治問題化しました(汗)。
コネチカット州議会が「ホワイトヘッドこそ、人類初の動力飛行機を空に浮かべた人物だ」との決議案を採択したのです。
しかも、公式サイト(→link)に堂々と公開して世に訴えかけているぐらい。
完全に、喧嘩売ってまんな(脂汗)。
オハイオ州側も受けて立ちました。
他ならぬデイトン選出のリック・ペラレス州議会議員が、コネチカット州の主張を非難する決議案を提出したのです。
コネチカット州は、Constitution Stateとの俗称があります。直訳すれば「憲法の州」。
1638年から1639年にかけて北米初の憲法とされる基本的秩序を制定した事に由来しているそうです(ウィキペディア日本語版などからまとめさせてもらいました)。
で、このcleveland.comではオハイオ州で展開している事もあって、「ペラレス氏の決議案は、憲法の州(コネチカット)の住人らにノース・カロライナとオハイオにあるライト兄弟の史跡を訪れ『飛行機の発明に関する正しい知識を学ぶ』事を促すものである」と書いて援護射撃しています。
煽ってますね〜(大脂汗)。
オハイオ州の反撃は一旦はお流れに
この法案、審議未了のまま議会が休会に入ってしまい、一旦はお流れとなったのですが、当のペラレス氏は鼻息が荒く、メディアのインタビューに「再提出して夏までに決議させる」との意向を示しています。
オハイオ州のライト兄弟の史跡は、年間数百万ドルもの観光資源になっており、コネチカット州の意見が世に定着しようものなら、大変な経済的損害になってしまうという背景もあるようです。
御本人も「当然の行為だろ」と怒っています。
こうした姿勢にコネチカット州側は一歩も引いていません。
「オハイオ州議会で決議案が成立しなかったのは、この歴史認識が全く馬鹿げているからに他ならない」
と、コネチカット州のストラトフォード市のジョン・ハーキンス市長は言い切っています。
このストラトフォードという街はホワイトヘッドが飛ぶのを見たと証言した人が住んでいたそうで(ウィキペディア英語版による)、市長としても是非とも擁護したかったのでしょう。
何しろ「オハイオ側は自分達が唱えてきた科学と発明を取り下げようとしている。ストラトフォードはブリッジポート(ホワイトヘッドの飛行機が空を舞ったとする記録が残っているコネチカットの街)ともども、過去も現在も未来もアメリカの飛行機のゆりかごとなった場であり続けるのだ」と息巻いているぐらいです。
「だから皆さん、私達の街に観光に来てね」となるのでしょうか(汗笑)。
当時の新聞でも初飛行掲載されていた!しかし決定的な証拠写真は無い
賢明な武将ジャパンの読者の皆様は、次のような疑問をお持ちになったかもしれません。
「ねぇ、そんな大ニュースを当時の新聞は取りあげなかったの?」
ごもっともですね。取りあげているのです。これがそれです。サイトがリンク先を張っていたので引用します。
ハーキンス市長の発言に出てくるブリッジポートで当時発行されていた、ブリッジポート・ヘラルド紙の1901年8月18日付けの5面の記事だそうです。
随分と大きな扱いですね。矢張りビッグ・ニュースだった事が分かります。
じゃあこれで、栄冠はコネチカットとホワイトヘッドに? まぁまぁ、そう先を急がないで下され(苦笑)。
見てお分かりのように、肝心の「飛んでいる所を収めた写真」が無い。日付も飛行したとされる3日後。記事では目撃者の証言で固められていたそうですから、ホワイトヘッドさんPRが下手やで。
1906年撮影のものとされる飛行写真は、残っています。
サイトがリンク先を張っていましたので、再び引用させて頂きます。…ピントがボケ過ぎ。それに、ライト兄弟の飛んだ後の日付ではね〜。
「Eastスポみたいな記事を載せる欄に掲載されてまっせ」との指摘が
では、こうした両州の争いを、専門家はどう見ているのでしょうか。
スミソニアン航空宇宙博物館の航空学部門のトム・クローチ上席学芸員は、こう話しています。
「この記事は、当時のhoaxes and funny stories(つまり◯スポみたいな記事)を載せるページに掲載されています。また、目撃者の少なくとも1人は、後で証言を撤回しているのです。ホワイトヘッドが空を舞ったと結論づける証拠は無いというのが、私の意見です」
確かに、これが本当なら1面トップだし、号外モノのニュースですよね。
一方、オーストラリアに住むフリーランスの航空史研究家のジョン・ブラウン氏は、ホワイトヘッドが初飛行したとする意見に賛成しつつも「オハイオ州が論争に介入するのはいかがなものか」と困惑しているそうです。
「ホワイトヘッドが初飛行に成功したとしても、ライト兄弟が世界最初の実用的な飛行機を開発し、成功させた場がオハイオ州だとの歴史的な意義を損ねるものではない」と、メールで返答してきたようで。
確かにそうですよね。しかし、火を付けたのはコネチカット側だし……。
まるで、どこかとどこかの国の争いを見てるような(大々的脂汗)。決議案通るとややこしい展開になりそうだな。
南如水・記