一昔前までは、時代劇や特撮ものというと「勧善懲悪」がお決まりでした。
しかし最近では、もう少し敵側の事情を深掘りしたり、「実はいい人だったが、あるきっかけで悪の道に入ってしまった」というようなストーリーも人気が出ておりますよね。
DRAGON BALLベジータのように、主人公とはちょっと違ったワルい雰囲気を漂わせていたり、“ダークヒーロー”と呼ばれるような登場人物には、根強いファンがいます。
今回は実在した「ダークヒーロー」という感じの人物に注目です。
1934年(昭和九年)7月22日は、アメリカの犯罪者ジョン・デリンジャーが射殺された日です。
最期が「射殺」だなんて言うと、連続殺人くらいやってそうな凶悪犯に思えますが、彼の罪状はちょっと違うものでした。
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ドイツ系移民だったジョン・デリンジャー
デリンジャーは、1903年にインディアナ州とオハイオ州の境にあるブライトウッドという町に生まれました。
成長後の写真からして、愛らしい幼少期だったのではないかと思われますが、不幸な偶然が重なったために、道を踏み外してしまいます。
・父親がドイツ系移民二世で厳格な人だった
・実母が早くに亡くなった
・継母との仲が悪かった
という、いかにもな条件の下で育ったのです。
近代の凶悪犯って、だいたいこんな感じの幼少期を過ごしていますよね……。
といっても、デリンジャーの場合は、そこまで悪い環境ではありませんでした。
14歳上の姉・オードリーがデリンジャーの面倒を見ていたそうなので、やはり姉よりも親の影響が上回ったのでしょう。
デリンジャーは10代のうちに、暴力沙汰や窃盗の常連になってしまっています。
絵に描いたような不良コースというやつですね。
田舎暮らしに馴染めず、結局、父親に勘当される
16歳で学校を辞めてからは、機械工場に勤めて真面目に仕事をしていたこともありました。
が、稼いだお金を夜遊びで使いまくったために、やはり父親に口を出されてしまいます。
そして父親は「都会にいるから夜遊びなんかするんだ。田舎に引っ越そう」とこれまた極端な選択をしちゃいます。
親の愛だったのでしょう。
しかしデリンジャーは田舎暮らしに馴染めず、生活は荒れたままでした。
「孟母三遷(もうぼさんせん)の教え」ということわざもありますが、一回引っ越したくらいで人間そうそう変われませんよね。
よほど劇的な出会いでもあれば別ですが……。
そんな状態でデリンジャーは自転車を盗むという事件を起こし、ブチキレた父親からとうとう勘当。
一時は食いつなぐために海軍に入りながらも、職務放棄のため数ヶ月で不名誉除隊になりました。なぜ、よりによって軍という厳しい組織を選んだのか。
そして故郷に戻り、ベリル・ホービスという16歳の少女と結婚しました。
この頃は人並みの暮らしをしたいと考えていたようですが、なかなか仕事が見つからず、また盗みをするようになってしまいます。
奥さんがいつまでも我慢しているはずもなく、五年ほどで離婚しました。むしろ五年もつきあってくれたベリルが優しすぎな印象も……。
「客に危害を加えない」だけでダークヒーローってのも……
離婚後も犯罪で生計を立て、1924年に強盗を試みて失敗。
初めてお縄になっています。
罪状を認め、他の容疑もあったために、合わせて30年前後の刑期が課されました。
刑務所では洗濯を担当しつつ、所内で野球チームに参加し、人気者になっていったとか。
なぜそれをシャバでできなかったのか(´・ω・`)
仮釈放になった後は、刑務所の中で知り合った強盗犯と組み、今度はグループで強盗をしようと計画します。
お仲間はまだ刑期が残っていたそうですが、デリンジャーが脱獄の手引きをしたために強盗団が結成できたのだとか。
だからなぜその脳みそを真面目な方向に使えないのかという……。
デリンジャーの一味は着々とメンバーを増やしていき、12件の銀行を襲って500万ドルもの大金を強奪したといいます。
1ドル110円のレートだとすると、日本円で5億5000万円くらいですかね。
現在の貨幣価値に換算しますと、軽く倍以上の価値がありそうですね。
ところが彼らは、思いもよらない方向から世間の評価を得ます。
あくまで銀行から金を奪うだけで、居合わせた客には一切の危害を加えなかったため、世間からダークヒーロー扱いされるようになったのです。
うーん、それでいいのかアメリカ人。
脱獄と投獄を繰り返し、ついに警官を射殺してしまう
もちろん、これだけ荒稼ぎしておいて、警察が黙っているわけがありません。
デリンジャーは仮釈放になってからたった4ヶ月で再逮捕され、刑務所へ逆戻り。
それでもなお諦めず、1933~1934年の年末年始にかけて脱獄と投獄を繰り返し、また銀行強盗を複数やってのけました。
こりゃまた好き勝手に暴れるのか?
と思いきや「世に悪の栄えた試しなし」といわれる通り、いつかは年貢の納め時が来るものです。
デリンジャーの場合は、オハイオ州のある銀行を襲ったときがそうでした。
よりによって警官を射殺してしまったのです。
それまで強盗は日常茶飯事でしたが、デリンジャーは殺人を犯したことはありませんでした。だからこそ、一般人も持て囃すような態度でした。
そして、いつの時代も、警察や軍は身内の被害に非常に敏感なものです。
警察はもちろん、当時は設立から日が浅かったFBIまでもが仲間の仇討ちに燃え上がりました。
さらにデリンジャーは、別件で誤って一般人を一人殺めてしまい、世間からの目も厳しくなります。
これを好機と見てか、司法省から「ジョン・デリンジャーの情報提供者には5千ドル、捕まえた者には2万ドルの賞金を出す」という発表がされます。
さらにFBIからも
「ヤツは社会の敵No.1だ!」
という不名誉な認定もされました。
外堀は徐々に着実に埋められ、そして運命の日はやってくるのです。
ガールフレンド2人と映画に出かけ、直後に射殺
1934年7月22日、デリンジャーはガールフレンド2人とシカゴ近郊の映画館に出かけていました。
そのうちの一人アンナ・セージという女性がルーマニアからの移民で、売春宿を経営していたそうです。
しかし摘発されると強制送還されるおそれがあったので、見逃してもらうためにデリンジャーの情報をFBIに売ったのだとか。
当日、彼女はFBIの指示で、真っ赤なドレスを目印のために着ていました。
普段は地味な彼女が、派手な服装をしていたことを怪しまなかったのがデリンジャーの命取りになった……ともいえそうです。
他の人にもからかわれておしまいだったらしいので、おそらくアンナは「いつもは目立たないが、実は派手な色が似合う」というタイプだったのかもしれませんね。
そして映画を見終わり、映画館から出てきたところを警察に一斉に撃たれ、デリンジャーは絶命しました。
公式には「デリンジャーは一言も言わずに死亡した」と発表されましたが、“デリンジャーは「撃たないでくれ、Gメン!」と叫んでいた”という目撃証言もあるとか。
これを隠しても大した意味がない気がするのですが、なぜでしょうね。
“社会の敵No.1”というキャッチフレーズに惹かれてか。
死後もデリンジャーのファンと称する人々は少なくありませんでした。
遺体は、インディアナポリスのクラウンヒル墓地に埋葬されているようで、ファンたちが墓石の破片を記念に持って帰る、ということがままあったとか。
他にもファンクラブがあったり、射殺された日を記念日と呼んだり、射殺現場を訪れたり……いろいろされているそうです。
ちなみに、アンナはデリンジャーが射殺されてから2年後にルーマニアへ強制送還されたそうです。
たぶん直接の原因は別件でしょうけれども、なんとも後味の悪い話です。
もっとも、一番迷惑したのは現場に居合わせたもう一人の女性でしょうね。
知人がもう一人の知人を売った上に、目の前で射殺現場を見てしまったわけですから。
長月 七紀・記
【参考】
ジョン・デリンジャー/Wikipediaより引用