ルーズベルト大統領が事前に知っていたかどうか――いわゆる「陰謀論」の研究はワタクシのライフワークでもありますが、ともかく多くのアメリカ人にとって真珠湾攻撃は寝耳に水でした。
確かにキナ臭い動きはあったものの、一応は平和だった日常生活が、この日を境にガラリと大転換してしまったのです。
日本側が決死の思いで敢行した真珠湾攻撃当日も、その時までアメリカ本土は呑気なものでした。
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そのとき東海岸はお昼時 アメフトで大盛り上がり
真珠湾奇襲はハワイ時間の1941年12月7日午前7時55分に始まりました。
諸説ありますが、現在のアメリカ側では、この時間をもって開始したとなっています。
時差がある分、各地で様々な展開となります。
日本では8日午前3時10分。
では、ルーズベルト大統領など政権の要人がいたであろう東海岸は何時だったのか?
答えは7日の午後12時55分です。
要するにお昼時だったのですね。
もっとも、世間の注目はと言うと、恐らくその直前まで、あるイベントに向いていた。
ちょうどこの日、ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)で3試合が行われていたのです。
70年以上の歳月を経た今、当時の様子をサラリと報じているのはNFL殿堂のHP。
当日の組み合わせは、
◆ニューヨークのポロ・スタジアム
【ブルックリン・ドジャーズvsニューヨーク・ジャイアンツ】
◆ワシントンのグリフィス・スタジアム
【ワシントン・レッドスキンズvsフィラデルフィア・イーグルス】
◆シカゴのコミスキー・パーク
シカゴ・ベアーズvsシカゴ・カーディナルズ
上記の3試合でした。
スタジアムに緊急放送「将軍は急いでお帰り下さい」
そのタイミングでハワイへ現れたる南雲機動部隊。
当時、場内ではアナウンサーが実況中継を流すというサービスを行っていたそうですが、中断されたのは言うまでもありません。
「場内でご観戦中の軍人の皆様、お手数ですが直ちに所属部隊へご連絡下さい!」
そんなアナウンスが流れまくり、詰めかけた観客は「えっ、何? 何が起きたんだ?」と騒然となったと言います。
当日の様子を生々しく回想するのは、アメフトファンのヘイゼル・ヘイトさん。
1991年にアメリカのUSAトゥデー紙(→link)の取材に、こう答えています。
その日も、御本人は何時もの試合でそうするように、お気に入りの席に座って観戦する積もりでした。そこにけたたましく、かつ不吉なアナウンスが。
「A将軍にB将軍、どうか職場まで御連絡を……X提督にY提督、どうか職場まで御連絡を」
ちなみに、試合開始は午後2時からだったそうで、要するに球場を開門して観客を入れていた頃のアナウンスだったのですね。
軍人のファンにしたら、ちょっと寒い中を早めに行って、選手の練習している所に声をかけてコミュニケーションでも図ろう。
それでもって、場内の売り子にホットコーヒーとハンバーガーなんかを頼み、くつろぎながら、さぁ試合観戦……となるところです。
こういう世間の一大事の常に漏れず、まず第一報を知らされるのは将軍とか提督のエライさん。
下っ端の兵隊さんが知らされるのはずっと後というのはお約束です。
ただし、この時ばかりはいささか事情が異なります。
なんせ試合開始の数分前に海軍省が「真珠湾攻撃される!」という知らせを正式に受けたのですから、大騒ぎの始まりとあいなりました。お偉い方も下っ端も四の五言ってる時間はありません。
政治家センセイたちに知らされたのも、試合開始の数分前だった模様。
ちなみに球場内の記者席電光掲示板には【奇襲の第一報】が表示されていたそうです。
落ちこぼれ記者の成れの果てとは言え、こうした展開がどんな感じだったかぐらいは、手に取るように分かります。
けたたましくなる固定電話の向こうから、本社の同僚等が絶叫。
「もうそっちはどうでもエエから、本社に戻って来て号外作り手伝ってくれや! 試合の取材? あぁもう、そんなもん通信社の記事使うがな、通信社の記事を! 分かるやろうが! こんなんなってもたら、載せるスペースがあったかって、せいぜい4〜5行じゃ」
おそらくそんな感じだったでしょう。
一般人だったヘイトさんは、他の善良な2万7000人の観客同様「えっ、一体全体どうしたのよ」と呆然。
「何しろさ、そこら中の席が全て空いてしまったのよ。凄い事が起きたってのだけは分かったけど、中身について知ったのは試合後だったわね」
そう語っております。
なお、試合の方はつつがなく?終わり、レッドスキンズが20対14でイーグルスを下しました。しかし……。
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