『キングダム』における趙国の旧・三大天から跡を継いだのが、新しい三大天の「李牧」と「龐煖(ホウケン)」だ。
作中での龐煖は「我、武神龐煖也」などと宣言してしまう、かなり中二病の入った武力ヲタク。
しかし、史実ではかなり様子が違う。
廉頗出奔後、趙の第一人者として兵を率いる傍ら、縦横家(外交術を駆使して諸国を動かす遊説家)としての著書も残す(散佚して伝わらず)など、文武に優れた才人であった。
戦国時代一の名将「楽毅」と長年戦場を共にした燕の「劇辛」(24巻に登場)とは、縦横家時代からの知り合いで「与し易きのみ(やりやすい相手だ)」などと侮られているが、戦場では見事に燕軍を破り、劇辛を敗死させている。
もう一人の三大天「李牧」は、滅亡寸前の趙を最後まで支え続けた名将である。
独自の列伝こそ立てられていないが、『史記』廉頗・藺相如列伝には比較的詳細にその一生が記述されている。
それによると、李牧はもともと雁門(代にあった要衝。長らく北方異民族に対する最前線だった)に駐屯して匈奴と戦っていた「北辺の良将(『史記』)」で、ときに「大破殺匈奴十餘萬騎(匈奴群を大破して十余万騎を殺した)」ばかりか、襜襤・東胡・林胡といった連中も次々と下し、「其後十餘歲,匈奴不敢近趙邊城(その後十年余り、匈奴は趙の辺境に近づけなかった)」ほどだった。
漢の時代にも懐かしまれるほど強かった廉頗に李牧
その一方で、趙の対秦戦線は芳しくなかった。
趙の悼襄王七年、秦が大挙して趙を侵略し、将軍・扈輒(こちょう)を殺してしまう。
そこでピンチヒッターとして呼ばれたのが、李牧だった。
李牧は大将軍に任命され、宜安という街で秦軍を破り、「桓騎(桓齮)」を敗走させる。この功績で、李牧は武安君に封じられた。
その後も逆に秦を攻めて撃破したり、韓・魏の侵攻を防いだりしている。
彼ら趙三大天、特に廉頗・李牧の強さは時代が下がって漢の時代でもよく記憶されていた。
匈奴の侵略に頭を悩ませていた漢の文帝などは
「嗟乎。吾得廉頗李牧之為將。豈憂匈奴哉」
(あぁ、廉頗・李牧のような武将がいればなぁ……匈奴に悩まずに済むのに)
と嘆いていたほどである(史記『孝文皇帝紀』)。
李牧の合従軍に集結した将軍・汗明は微妙なところ
李牧が秦の滅亡を図り、結成した“合従軍”。
史実では、その宰相「春信君」が催したもので、史書にはその同じ年、龐煖(ホウケン)が趙・楚・魏・燕の四カ国軍を率いて秦の蕞(さい)を攻めたことが記されている。
この合戦に参加していた楚の汗明、魏の呉鳳明、韓の成恢、燕のオルドといった将軍たちも実在したのだろうか。
まずは汗明。
『戦国策』の楚の巻(楚策)にその名前が見えるが、武将ではなく弁士であり、こんな話が残されている。
汗明は仕官のため春信君に会見を求めていた。
が、春申君は食客を多数抱えていたことで有名な戦国四君の一人だけあって、なかなか会わせてもらえない。
結局、三か月も待たされた挙句、会見もたったの1回だけ。
「あなたの人となりはよくわかった」と言われ、再度の会見の場は設けられなかった。
そこで、汗明はチクリと刺す。
「堯ですら舜を理解するのに三年かかったのに(堯も舜も古の聖王)、あなたは1回で私を分かったのですね」
春信君もこれには参ったらしく、以降、五日に1度は話を聞くという待遇に引き上げたが、それでも汗明は正式な部下として採用されなかった。そこで次のような売り込みもしている。
「“驥(き)”について聞いたことはありませんか? 驥は歯が生えそろってもまだ太行山脈を行く塩車引きに甘んじていました。蹄は伸び、膝は曲り、尾はだらしなく垂れ、脚は潰れ、汗だらだらで、坂の途中でノビてしまい、もはや登れない有様でした。
しかし、(馬を育てるのが上手で有名な)伯楽がこれに会い、車を降りて抱いて泣き、自分の服を脱いでかけてやると、驥は伏せて鼻を鳴らし、仰いでいななき、その声は天に届き、さながら金石から出されたもののようでした。
それはなぜでしょう? 伯楽が驥を良馬と認めてくれたからです。
不肖、わたくしもこの土地から離れられず、侘しく暮らし、庶民と変わらぬ生活に身をやつしていますが、あなたも伯楽のように私を認め、高らかにいななかせる気はございませんか?」※1原文は文末に掲載
このセールストークが成功したのかどうかは、残念ながら伝えられていない。
が、後に、”世に用いられない“ことを嘆くことを意味する故事成語として「塩車の憾(うら)み」「驥、塩車に服す」が引用されることがある。
また、成恢も『戦国策』の『魏策』『韓策』に名前が見える。
ただし、『魏策』に成恢とともに登場する犀首(公孫衍)という人物が、秦昭王の前の武王(始皇帝の4代前の王)なので、『キングダム』の時代からはだいぶ離れており、名前を借りただけの様子。
残念ながら、呉鳳明とオルドの名前は史書には見られない。
hanamoyu20150524
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文・やなぎ ひでとし(33歳、独身♂)
※1 汗明曰:「君亦聞驥乎?夫驥之齒至矣,服鹽車而上太行。蹄申膝折,尾湛?潰,漉汁灑地,白汗交流,中阪遷延,負轅不能上。伯樂遭之,下車攀而哭之,解紵衣以冪之。驥於是俛而噴,仰而鳴,聲達於天,若出金石聲者,何也?彼見伯樂之知己也。今僕之不肖,阨於州部,堀穴窮巷,沈?鄙俗之日久矣,君獨無意?拔僕也,使得為君高鳴屈於梁乎?」