『キングダム』35巻で将軍となった「壁」。
シリーズ当初からなにかと「信」に目をかけてくれていた、気さくなお兄ちゃんキャラで、ひそかにファンの方も少なくないと聞く。
豪傑・知将とバケモノだらけの『キングダム』では珍しく“普通の人”というのに親近感を覚えるのだろうか。統率術や兵法を学びながらコツコツと成長してきたタイプでもある。
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たった一行だけ史書に登場する「壁」
そんな「壁」は、てっきり作者が作り出した架空の人物かと思っていたら、ちゃんと史書にも名前が登場する、れっきとした実在の人物だったりする。
『史記』の秦始皇本紀には、彼の事績が一行だけ載せられていた。
八年,王弟長安君成蟜將軍擊趙,反,死屯留,軍吏皆斬死,遷其民於臨洮。
(始皇八年(紀元前239年)、秦王の弟である長安君成蟜が将軍として隣国の趙を攻撃したが、(途中で)反乱を起こし、屯留で死んだ。(反乱に加担した屯留の)軍事関係者はみな切り殺され、一般市民は臨洮という街(のちの万里の長城の西の起点)へ移された。)
將軍壁死,卒屯留、蒲鶴反,戮其尸。河魚大上,輕車重馬東就食。
この「將軍壁死」という一文が問題の部分。
「壁」という名前の将軍がいたが、なんらかの理由で死んだと書かれている。
二通りの解釈の狭間で
しかし、この「將軍壁死」という文は、
「將軍・壁、死(将軍である壁が死んだ)」
という解釈のほかにも、
「将軍・壁死(将軍が壁死した)」
とも解釈できる。
「壁死」とは、城壁のなかで死ぬことを表す熟語だ。
この解釈をとるならば、「壁」という名前の将軍はいなかったことになる。
壁死した将軍とは、軍を率いて趙へ赴き、「屯留」で謀反を起こした「王弟長安君成蟜」ということになるのだろう。
作者の原氏は35巻のあとがきで、「壁」は「壁死」を「将軍である壁が死んだ」と誤って解釈した結果生まれたキャラクターであり、本当は人名ではなかったとしており、途中から「将軍が壁死した」という解釈をとったようだ。
本当は生まれるべきキャラクターではなく、もし実在しても王弟・成蟜の反乱とともにに死ぬ運命であった「壁」。しかし、35巻まで来ての解釈変更でなんと生き残ってしまった。
これには作者も
「壁の生命力おそるべし!!!」
と苦笑い。
無事“死亡フラグ”を回避した「壁」は、今後も「信」のよき兄貴分として活躍しそうだ。
ちなみに、「壁死」という熟語の用例を「史記」や他の史書で探してみたが、この部分の他には見当たらなかった。なので、「将軍である壁が死んだ」という解釈がまったくの誤りかといえば微妙なところ。
そもそも作中では「屯留」(太原の南に現在も県として実在)の街の僭主として描かれている「蒲鶴」も、実は「屯留」と同じ地名なのではないかという説もある。
漢文全般に言えることだが、この辺りの解釈はとても難しい。一応仮に「将軍が壁死した」、「蒲鶴は人名」と解釈すると、先に引用した史記の一文の最後は、
成蟜が屯留での籠城中に死ぬと、ついに屯留の蒲鶴という者が反乱を起こし、その死体(成蟜の?)は戮せられた(刑罰の一種で、死体を損壊して見せしめにする)。
(その年は黄河が氾濫し)河魚がたくさん打ち上げられた。(西方は飢饉になったので)ひとびとは馬や車を連ねて東方へ向かい、そこで食にありついた。
とでもなろうか。
しかし、学者ならばともかく、普通の人ならば“正しい解釈”にこだわる必要はないだろう。いろんな風に解釈して想像の翼をはばたかせてみるのも楽しい。
副官「騰」も一行だけ「史記」に登場!
さて、『キングダム』には「壁」以外にも、史書に一行しか登場しない人物がいる。
たとえば、王騎の副官として仕えていた「騰」だ。
史書には彼が王騎の副官であったという記述はない。正確には二行ほど、その事績がわずかに残っている。
十五年,大興兵,一軍至鄴,一軍至太原,取狼孟。地動。十六年九月,發卒受地韓南陽假守騰。初令男子書年。魏獻地於秦。秦置麗邑。十七年,內史騰攻韓,得韓王安,盡納其地,以其地為郡,命曰潁川。地動。華陽太后卒。民大饑。
始皇十五年(紀元前232年)、秦は大規模な軍勢を興し、(それを二手に分け)一軍を「鄴」、一軍を「太原」へ派遣、「狼孟」という街を奪取した。……
翌十六年九月、韓から領地・南陽を譲り受け、「騰」を仮の太守とする。……
十七年、内史の「騰」が韓を攻め、韓王・安を捕虜にする。韓の領地はことごとく秦のものとなり、郡となった。名前は潁川郡と名付けられる。この年に地震が起こり、華陽太后(「政」の義理の祖母。「政」の父を養子にし、秦王即位のお膳立てをした)がなくなった。飢饉で民はおおいに飢餓で苦しんだ。
「騰」の役職である内史は、今でいうところの都知事+警視総監のような立場だろうか。
作中では根っからの武将といった感じだが、内史はそれだけでは務まらなかったはず。実際には、行政手腕にも長じていたのではないだろうか。
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文・やなぎ ひでとし(33歳、独身♂)