悲喜こもごもがハンパじゃない科挙の合格者発表/Wikipediaより引用

中国

アナタも「科挙」を体感してみません? 中国エリート官僚の受験地獄

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年が明け2018年。
受験生の皆様はセンター試験を目前に控え、いよいよ気持ちを引き締められているでしょう。

本サイトの読者様の中にも、過去に受験地獄を経験した方もおられるはずで、
『エナジードリンクを飲みながら頑張ったあの日には、二度と戻りたくない』
なんて、未だにその悪夢を思い出してしまう方もおられるかもしれません。

しかし、現代人の試験地獄は、まだまだ甘い。

なんて生意気言ってスミマセン。
いや、もう、「科挙」の歴史を知ってしまうと、それはもう想像を絶するほどで……。

中国および朝鮮半島、ベトナムでは、官吏登用試験に長いこと「科挙」というシステムを導入しておりました。

では、実際にどれほどキツかったのか?
その実態を振り返ってみましょう。

 

科挙以前の人材採用

能力のある人物を、ガンガン取り立てて出世させたい!
そう思うのは、古今東西、人類共通の願いでございます。

もちろん、単に能力が高くても、人としてはダメ人間で、不倫だの贈収賄だのやらかしたりとか、そういうのは困ります。

人材登用にはコネやしがらみも邪魔します。
我が子を重要ポストにつけたい、という願いも人間持つわけで。

長い中国の歴史では、ともかく有用な人材発掘に智恵を絞ってきました。

わかりやすいのが『三国志』の曹操でしょうか。
「才能があれば不倫しても贈収賄するようなクズでも俺は構わない。出世のために奥さんを手に掛けた鬼畜でもいいと思う。ともかく才能さえあればいいから! 才能ある奴、カモンカモン! 役人たちもどんどん推挙して」
という“唯才是挙”(才能さえあればリクルート)の「求賢令」を出しておりました。

才能があるのに仕官をしぶった司馬懿に向かって「俺に仕官するのと今すぐ逮捕されるの、どっちがいい?」と究極の二択を突きつけて強引にゲットしたほどでした。

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一方、曹操の子・曹丕は「九品官人法」を制定しました。

これは実力よりも家柄を重視する制度で、
「上品に寒門なく、下品に勢族なし」
(名家の出ならば貧乏にならないし、名家以外の出なら出世は無理)
という状態を産み出してしまいます。

これではイカン。
家柄に関係なく、実力者を登用しよう。
と、隋の文帝から始めたのが【科挙制度】でした。

ここから先は、読者の皆さまが受験生気分になるような、
「科挙を目指す男性の一生涯」
目線で試験の手順を追ってみたいと思います。

 

科挙合格のための戦いは生前から始まっている

かつて中国には「五子登科」という吉祥画(縁起物の絵)がありました。

五子登科/Wikipediaより引用

この絵の意味は、
「五人の息子を授かり、その子が全員科挙に合格しますように」
という意味です。

ハードルが無茶苦茶高い、だからこその験担ぎですね。
中国の花嫁は、この願いをこめた絵を持参し、相手の家に嫁ぎました。

身ごもったらば、まずは「胎教」開始です。
不吉なものを見たり、刺激強いものを食べないようにしたりして、無事男児を授かるよう祈り続けるのです。

そして、いざ男児が生まれますと「及第状元」と刻んだ銭をバラ撒いたり、絵を飾ったりして祝います(百度で検索した「及第状元」の絵)。

かつては弓を射して魔除けの行事もしておりましたが、科挙の普及後は「武より文」の重視で廃れていきます。
この慣習は、日本の武家に残りました。

 

早い場合は3才から英才教育スタート!

子供が満5才、今でいうところの3才にもなると、早い家庭では教育がスタートします。
といっても、科挙の試験科目である古典文学偏重です。

特に出来の良い天才少年向け「童科」というジュニア版科挙も宋代にはありましたが、どうにも童科出身者はのちに伸び悩むということで、次第に下火になりました。

遅くとも8才、小学校一年生くらいから本格的な勉強が始まります。
裕福な家では家庭教師をつけて厳しい特訓開始。
中流以下の場合は、学校に入り学びました。

こうした科挙特訓校の教師や、参考書の著作者は、自身もかつて科挙を目指したものの、突破できなかった元受験生たちでした。
現在の中学三年生程度、15才あたりまで続けられます。

 

学校試~予備試験だけで四段階もある

科挙制度は時代によって異なります。

ここでは最も煩雑であった明清以降をもとに過程をたどりたいと思います。

明代以降、科挙の前に予備試験といえる「学校試」がありました。
「学校試」の別名は「童試」。子供向けの試験ということでした。
昔の中国での成人年齢は15才ですから、一応この試験は14才以下という建前です。

15才以上が受験不可というのではありません。15才以上は大人ですから難易度をあげますよ、というシステム。

当時は戸籍がありませんし、願書で年齢をサバ読むことは可能です。
「学校試」の受験生は、難易度を下げるために年齢を偽ることはよくありました。

17才が14才ですと言い張るのならばまだしも。
「お前のような14才がいるか!」レベルの大胆なサバ読みもありまして。
40代だろうが、50代だろうが、真顔で「14才です!」を押し切る人もいたのです。

試験官も、とりあえず髭を剃っていれば、
「あ~、はいはい、随分と老けた14才なんですね~」
と通したそうで。なんだかコントみたいな話ですね。

ちなみにこの学校試だけでも、
・県試
・府試
・院試
・歳試
と4回も受けなければなりません。想像するだけでキッツイ!

というか、ここまで受かればもうええやん、と思ってしまいますよね。
これは当時も同じでして、科挙の受験資格を得た学校試クリア段階で「生員」(美称は秀才)と呼ばれる資格が得られます。

実質的には「士大夫」という、エリートの仲間入りを果たせるのです。
生員で特に優秀と認められれば、地方官吏に任命されることもありました。

明代の士大夫/Wikipediaより引用

 

科挙試~ここからが本番だ

予備段階で4回受験、それを乗り越えるだけでもたいしたものです。

しかし、これでもまだ予備段階。本番はこれから。

第一段階が「科試」になります。
この合格者は「挙子」と呼ばれ、次の「挙試」に進めます。ここまで読めば想像はつくかと思いますが、挙子になった時点でスーパーエリートです。

ちなみに挙試は毎年やるわけではなく、郷試は三年に一度。キツイ。
ただし、皇帝即位等の慶事があると特別開催されることもありました。

受験生たちは「貢院」という試験会場に向かいます。

貢院の模型/Wikipediaより引用

貢院は三年に一度しか使わないため、黴臭く、場所によっては崩れていて、お世辞にも快適とは言えない場所でした。受験生が多いため、入場だけで一日かかります。

試験時間は早朝から始まり、なんと丸2日間かかります。

席は狭く、冷暖房なんて贅沢なものはありません。そんな場所で長時間、人生を賭けて試験を受けるわけです。
徹夜で試験を受けるわけにもいきませんから、このカプセルホテルよりはるかに狭い席で、体を丸めて眠るわけです。
頭脳だけではなく、体力勝負でもあります。

科挙試験の席/photo by Dr. Meierhofer Wikipediaより引用

カンニングはできないように身体検査がありますが、実行に移す人はいたようで。
専用のグッズも現代に残されています。

科挙試験のカンニングに使われた下着/photo by Jack No1 Wikipediaより引用

 

貢院~心霊現象が起こる場所

黴臭く、薄汚い貢院。
いかにも何かが出そうですが、案の定、怪談話の舞台にもなります。

とある受験生が「許してくれ!」と絶叫しだし、のぞき込んだら首を吊っていたとか。
その答案用紙には女物の靴がポトリと置いてあったそうで……。

確かに薄暗そうな貢院/Wikipediaより引用

また別の受験生が頑張って試験を説いていると、尼僧の幽霊がぬぅ~っと現れまして。
腰を抜かしそうになると、幽霊は、
「あっ、場所、間違えちゃった。ごめんなさい」
と隣に向かいまして、んで、隣から絶叫が響いてくる、という。

他にも貢院に向かう受験生の背後を女性の幽霊が歩いているとか。
貢院に向かう女の幽霊と通行人の目があったとか。
心霊現象、しかも女性がらみの話が尽きません。

こういう話は「科挙を受けるのに女に対していかがわしいことをした挙げ句、捨てたりしたら、祟られてえらいことになるぞ」という脅しの意味もあるのでしょう。

怪談とは反対に「日頃よいことを行い、老人を助けていたら、試験の時に恩返ししてもらった」系の話もあります。
科挙を受験するなら真面目にやっておけよ、という戒めでしょうね。

 

やっと念願の科挙に合格したぞ!

この「挙試」まで合格すると、晴れてウルトラエリート「挙人」になります。
この時点で一応「あがり」。
しかし試験そのものはさらにあります。

・挙人会試
・会試
・会試履試
・殿試

ここまであるのです。

ただし、時代によって異なっておりまして。
皇帝の前で受ける「殿試」はまさにミラクルエリートの試験です。

トップ3はそれぞれ一位からこう呼ばれました。

1. 状元
2. 榜眼
3. 探花

明代の状元の回答用紙/photo by 三猎 Wikipediaより引用

彼らは現代ならば北京大学主席卒業くらいのスーパースター。
もし独身であれば「うちの娘をもらってくれ!」と、有力者たちが押しかけてきます。

関東料理には「状元及第粥」という、レバー入りのお粥があります。
その昔、これを食べていた受験生が状元になったことが由来の一説です。
状元及第粥・百度の検索結果へ

現代でも中国では大学入試の主席合格者を「状元」と呼ぶことがあり、伝統として根付いているのと感じます。

 

挙人になったは、よいけれど

スーパーエリートになることを人生の目標として生きてきた、中国の受験生たち。
しかし、合格すれば人生バラ色とはならないところも難しい。
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