秦檜

秦檜/wikipediaより引用

中国

ヤツは売国奴か平和主義者か? 南宋の秦檜と岳飛は今も評価が揺れ動き

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秦檜と岳飛
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「中興四将」が目障りに

当時、南宋には四人の名将がいました。

・岳飛
・張俊
・韓世忠
・劉光世

中興四将(左から岳飛・張俊・韓世忠・劉光世 ※弓を持っているのは従者)/wikipediaより引用

貧しい出自からのし上がり、自ら集めた義勇軍を率い、果敢に金軍と戦う彼らの人気は絶大なものがありました。武功も素晴らしいものがあります。

しかし、だからこそ目障りということもあるのです。

和平策を目指す秦檜にとって、好戦的な四将は邪魔者です。

1140年、ついに秦檜の悲願である金との和睦が目前に迫りました。

そうなれば四将がともかくうるさい。

劉光世は病死していました。

張俊は秦檜の意見に理解を示しています。

韓世忠もやむを得ないと妥協しそうな気配です。

しかし、最後の一人の岳飛は別です。

岳飛/wikipediaより引用

秦檜はそこで岳飛とその養子である岳雲の罪を捏造して、謀叛の罪で死罪に追い込みました。

四将の一人である張俊も、この捏造に一枚噛んでいたとされます。

韓世忠はあまりのことにショックを受け、「いったい岳飛が何をしたのですか?」と秦檜に問い糾します。

彼は一言だけ返事しました。

「莫須有(あったかもしれない)」

「たった三文字で、天下の人々が納得するとお思いか!」

韓世忠はそう怒りをぶつけると、以降、政治からも軍事からも一切手を引き、世捨て人になってしまうのでした。

 

「秦檜だけは絶対に許さんぞ!!」

こうして岳飛父子の命と、多額の賠償金を引き換えに、南宋は金と和睦を結びました。

そのあと死に至るまで、秦檜は政敵を排除し、自らを悪く書いた文書は廃棄し続けます。

子孫は歴史文書管理係につけ、彼のしたことを隠蔽させるようにしたとされます。

しかし、そんな努力も虚しく……。

「なんて酷い奴なんだ、秦檜!」

「秦檜だけは絶対に許さんぞ!!」

後世の人々は、無実の岳飛を死に追いやり、女真族相手に屈辱的な和睦を結んだ秦檜に憎悪をぶつけ続けることになるのでした。

岳飛が関羽と並ぶ武神として敬愛された一方で、秦檜は憎しみの対象となったのです。

関羽は死後が熱い!「義」の代表が「万能の神」として崇敬されるまで

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曹操あたりは「敵だけど強い」部分もあります。

が、秦檜の場合憎悪を全力でぶつけてよい対象とされ、かなり酷い扱いを受けています。

秦檜と王夫人が跪く像・唾棄してもよいものとされてきました/wikipediaより引用
photo by helennawindylee originally posted to Flickr as 油條

※ドラマ版『岳飛伝 THE LAST HERO』(公式サイト)でも秦檜は悪そうに描かれております

一方、こちらは杭州の岳飛廟・関羽と並ぶ武神として扱われております/wikipediaより引用 photo by Peter Potrowl

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