安禄山と安史の乱

安禄山/wikipediaより引用

中国

安禄山と楊貴妃の赤ちゃんごっこが安史の乱へ 数千万人が死す

こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
安禄山と安史の乱
をクリックお願いします。

 

罵声に耐えかねた安禄山は舌を切り取り、全身を細切れにするほど。いやはや、なんとも壮絶な忠臣の最期です。

ここにきて玄宗は楊貴妃を連れて、蜀へと脱出。

その逃避行の中で、悲劇が起こります。

楊貴妃が付いていくなら護衛しないと兵士達が騒ぎ出し、やむなく玄宗は彼女を殺すことになるのです。

 


皇帝僭称からスピード暗殺 犯人は実の息子だった

756年、正月。

安禄山は、洛陽で雄武皇帝として即位し、国号を燕としました。

しかしこの頃から徐々に自堕落になり、目の病気にもかかります。

そのストレスから周囲に当たり散らし、部下に見放されます。

そして即位から僅か一年後。

安禄山は二男の安慶緒と宦官の李猪児によって大きな腹をブスリと刺されて、あっけない最期を迎えるのです。

「我が子にやられるとは!」

安禄山は絶叫。

腹からは内臓が数リットル流れ出したと伝わります。

その後、乱を起こした安禄山の子と、史思明の一族らは互いに殺しあい、乱は9年でやっと終息します。

同時に唐の全盛期も終わっていました。

領土を失い、輝きも失せ、かつての繁栄を失うのです。

 


赤ちゃんごっこが結果的に凄まじい犠牲者を産む

国際的な大帝国であった唐。

その終わりの始まりが、世紀の美女・楊貴妃と巨漢・安禄山による赤ちゃんごっこだと思うと、どうにも虚しくなります。

悲劇が降りかかったのは楊貴妃だけでなく、高仙芝や封常清、顔杲卿らも同様です。

前述の通り、この乱では第一次世界大戦よりも多数の死者数が出ています(参照)。

・第一次世界大戦が推計 854万人~2,100万人

・安史の乱が推計 1,300万人~3,600万人

同時にこの乱は、中国史において大変難しい課題をつきつけてきました。

「異民族に滅ぼされたら困るけど、異民族からの侵攻を防ぐために軍隊に力を持たせたら、それはそれで危険」

このバランス取りが実に難しい。

中国大陸という広大な地を治めるのはそれだけで困難であるという、そんな歴史が見えてくるのです。

なお、余談ですが。

主君である自分の意に背く巨漢の西郷隆盛を、島津久光は憎しみをこめて「あの安禄山め!」と罵っていたそうです。


あわせて読みたい関連記事

西郷隆盛
西郷隆盛 史実の人物像に迫る~誕生から西南戦争まで49年の生涯

続きを見る

島津久光
西郷の敵とされる島津久光はむしろ名君~薩摩を操舵した生涯71年

続きを見る

中国四大美人
中国四大美人の伝説&史実まとめ 西施・王昭君・貂蝉・楊貴妃の美とは

続きを見る

ムーランの元ネタ
ディズニー映画『ムーラン』の元ネタ 中国の女戦士「木蘭」とは?

続きを見る

楊貴妃が愛する皇帝に殺されるまで 世界三大美女の一人に起きた悲劇

続きを見る

始皇帝の生涯50年 呂不韋や趙姫との関係は?最新研究に基づくまとめ

続きを見る

北斗の拳世代必見『コール・オブ・ヒーローズ 武勇伝』のアクションはデブゴン仕込み!

続きを見る

文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
井波律子『裏切り者の中国史 (講談社選書メチエ)』(→amazon

TOPページへ


 



-中国

×