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【安禄山と安史の乱】
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罵声に耐えかねた安禄山は舌を切り取り、全身を細切れにするほど。いやはや、なんとも壮絶な忠臣の最期です。
ここにきて玄宗は楊貴妃を連れて、蜀へと脱出。
その逃避行の中で、悲劇が起こります。
楊貴妃が付いていくなら護衛しないと兵士達が騒ぎ出し、やむなく玄宗は彼女を殺すことになるのです。
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皇帝僭称からスピード暗殺 犯人は実の息子だった
756年、正月。
安禄山は、洛陽で雄武皇帝として即位し、国号を燕としました。
しかしこの頃から徐々に自堕落になり、目の病気にもかかります。
そのストレスから周囲に当たり散らし、部下に見放されます。
そして即位から僅か一年後。
安禄山は二男の安慶緒と宦官の李猪児によって大きな腹をブスリと刺されて、あっけない最期を迎えるのです。
「我が子にやられるとは!」
安禄山は絶叫。
腹からは内臓が数リットル流れ出したと伝わります。
その後、乱を起こした安禄山の子と、史思明の一族らは互いに殺しあい、乱は9年でやっと終息します。
同時に唐の全盛期も終わっていました。
領土を失い、輝きも失せ、かつての繁栄を失うのです。
赤ちゃんごっこが結果的に凄まじい犠牲者を産む
国際的な大帝国であった唐。
その終わりの始まりが、世紀の美女・楊貴妃と巨漢・安禄山による赤ちゃんごっこだと思うと、どうにも虚しくなります。
悲劇が降りかかったのは楊貴妃だけでなく、高仙芝や封常清、顔杲卿らも同様です。
前述の通り、この乱では第一次世界大戦よりも多数の死者数が出ています(参照)。
・第一次世界大戦が推計 854万人~2,100万人
・安史の乱が推計 1,300万人~3,600万人
同時にこの乱は、中国史において大変難しい課題をつきつけてきました。
「異民族に滅ぼされたら困るけど、異民族からの侵攻を防ぐために軍隊に力を持たせたら、それはそれで危険」
このバランス取りが実に難しい。
中国大陸という広大な地を治めるのはそれだけで困難であるという、そんな歴史が見えてくるのです。
なお、余談ですが。
主君である自分の意に背く巨漢の西郷隆盛を、島津久光は憎しみをこめて「あの安禄山め!」と罵っていたそうです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
井波律子『裏切り者の中国史 (講談社選書メチエ)』(→amazon)