孫子

孫子/photo by vlasta2 wikipediaより引用

中国

信玄や曹操などの名将たちが愛用した~兵法書『孫子』と著者の孫武は何が凄い?

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『孫子』は『三国志』にも大いに関係あり

三国志』において、とにかく『孫子』と関わりが深いのが曹操です。

長い戦乱の中、著作が散逸しがちな中国大陸。

そんな中、コレクター魂みなぎる曹操は『孫子』を集め、しかも自らノリノリで注釈を入れました。

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当然ながら暇だったわけではない。

群雄が割拠し、宿敵・袁紹との対決が迫る時期に、注釈を入れていたようです。

そのおかげもあってか。

曹操は当時でもトップクラスの強さを誇りました。自分自身でバリバリに作戦を立て、家臣とはその練り込みをするわけです。

この注釈を入れるという作業そのものが、なかなか重要でして。

『三国志』そのものも制約があって物足りない――そんな陳寿の記述に対する裴松之はいしょうしの注あってこそと言えます。

ところが後世の人間は、この『魏武注孫子』に複雑な思いを抱くこととなります。

「こいつ(曹操)が集めて注釈入れなければ、ここまでしっかり残っていないと思うんだよね……」

「でも、こいつ嫌いだわ〜。人間のクズでしょ」

「わかるわ! こいつ以外、例えば諸葛亮様あたりが注釈つけていて欲しかったよね!」

「諸葛亮様の兵法書の方が絶対いいって!」

「それにこいつ性格がアレだもんな。絶対なんか変な改変しているよ!」

そんな改竄疑惑を抱かれていた曹操。

現在では書簡の発掘も進み、真面目に注釈をつけていたということが判明するようになりました。よかったですね、おめでとうございます。

ちなみに「アイツはクズだから偽の墓もあるんだよ! しかも罠まみれだかんね!」という疑惑も解消されました。

しかも、贅沢とは無縁のシンプルな埋葬スタイルが称賛。

発掘が大きく歴史を変えました。

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信玄が「風林火山」を掲げた真の理由

さて『三国志』から時代と国を一気に飛ばしまして。

『孫子』といえば、武田信玄

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特に旗に記された「風林火山」の文字は有名です。

これを、字義だけでとらえていると、見えてこないこともあります。

あの旗で信玄がアピールしたかったこととは?

それは「俺は『孫子』マスターだ!!」という自信です。

なんせ戦国時代は、明からの輸入品がステータスシンボルでした。

明サイドの海禁政策もあり、プレミアはどんどん高まっていったため「どんなガラクタでも、日本に持ち込めば高値がつくぞ!」なんてことすら言われていたこともあったほど。

戦国時代のリッチ層は、明からの食物を楽しみ、書籍や茶器集めで楽しんでいたのですね。

そんな時代に、漢籍である『孫子』を取り寄せ、マスターしているとアピールすることで己の物流パワーを自慢し、敵に威圧すら与える。

いわばステータスシンボルとして見せつけよう!という信玄の気持ちがそこにあったんですね。

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