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「事実は小説よりも奇なり」の名言を放ったのは誰? 英国のイケメンチャラ貴族バイロンさんです

この世には多くの名言や格言、ことわざがありますね。知らなくても生きてはいけますが、知っているといずれ心の支えや自説の説得力を増すものにもなります。
が、そうした言葉を残した人が、必ずしも人格も優れていたかというと、そうとも言い切れなかったりして……。
本日はそんな一例と思われる、とある詩人のお話です。

1824年(日本では江戸時代・文政七年)4月19日は、詩人として有名なジョージ・ゴードン・バイロンが亡くなった日です。
肖像画からもわかる通り大変な美男子ですが、容姿の良さに反比例するかのように、素行は「ノーコメント」な感じでした。

アルバニア風衣装のバイロン/wikipediaより引用

 


貴族の仕事もそこそこに、旅をしながら放蕩生活

バイロンは、1788年にイギリス貴族の家に生まれました。

生まれつき足に障害があったといわれていますが、後々ダーダネルス海峡(トルコの西、地中海に面する海峡)を泳いで渡ったりしていますし、かなり広い範囲に旅行をしているので、さほど重いものではなかったと思われます。

当時の当主はバイロンの大伯父というやや遠い親戚で、他に跡継ぎがいなかったため、バイロンが爵位を継ぐことになります。このとき彼は10歳ですから、突如背負わされた重責をさぞ煩わしく感じたことでしょう。

そのためか生来のものか、真面目に貴族の仕事をするつもりはなかったようで、ハーロー校やケンブリッジ大学など、イギリスの名門校に所属していながら、数々の浮き名を流すことになります。
19歳のとき初めて作品集を出しているが、こちらの評判は芳しくありませんでした。

貴族の義務として議員にもなっているのですけれども、卒業を待たずにケンブリッジを去り、ポルトガル・スペイン・ギリシャなどを旅しながら、創作活動を継続。23歳でイギリスに帰国後、機械化により失職を恐れた紡績業などの職人や労働者が起こした「ラッダイト運動」を、アメリカ独立戦争になぞらえて擁護する演説を行い、やっとまともな意味で有名になります。
そのまま真面目な方向に戻ればよかったのですが、放埒な生活は続きました。また、収入に見合わぬ派手な生活や賭博での浪費が原因で懐も苦しくなっていきます。

まあ、当時のイギリス政府はラッダイト運動を弾圧する方向になっていたので、バイロンは貴族でありながら(義務を果たしていない上に)政府に逆らったことになりますから、社交界からの視線が冷たくなり、その結果収入が芳しくなくなるのも当たり前ではありますが。
バイロンは現実よりも、自分が生み出した夢のほうが大事だったんでしょうね。

 


ヨーロッパを転々としながら浮名を流す

関わった女性たちへの態度もそんな感があります。
というのも、バイロンはモテる上に関係した女性も多いのですが、最後まで連れ添ったとか長く付き合ったということがなく、打ち上げ花火のようにパッと燃え上がってすぐ終わる恋愛ばかりしているのです。

例えば、1815年にアナベラ・ミルバンクという女性と結婚しているのですけれども、娘が生まれた翌年に実質的には離婚しています。
これは現代の男性でもよくある(?)「妻が母親になってしまって、女性として見られなくなってしまった」からなのでしょうか……。

その後は、再びヨーロッパ各地を巡りながら浮き名を流し続けました。
このような地位のある&政治的に有名になったことがある人物ですから、あっという間に噂が流れるでしょうに、よく女性たちもバイロンに近づこうと思ったものですね。
顔が綺麗なことは間違いないのですが、やはり「私だけには本気なのね」と思ってしまうのが恋なんですかね。

 


恋愛が豊富だったからこそ名言も数多い!?

1824年、彼の情熱は別の方向に燃え上がります。ギリシャ独立戦争へ参加することを決めたのです。
当時ギリシャはオスマン帝国の一部になっていたのですが、この頃のオスマン帝国は「瀕死の病人」になり始めており、独立の気運が高まっていました。

そしてギリシャ・メソロンギにやって来たのですが、そこで熱病に罹り、あっけなく亡くなってしまいました。
当時36歳。まだまだ著作や活動もできたでしょうに、これではギリシャの人々も「お前何しに来たの(´・ω・`)」と言いたくなったに違いありません。
直接の死因は瀉血(※1)だったそうなので、処置をした医師の腕前か、衛生状態がまずかったのでしょうね。

※1 しゃけつ/血をある程度抜くことで病気を治そうという治療法。中世~近世のヨーロッパで流行した。万能な治療法と思われていたが、現在では実際に効くのはごく一部の病気のみということがわかっている。

そんなアレな恋愛遍歴と残念な最期だったバイロンがなぜ詩人として有名なのかというと、名言が多いからという点があります。
その一部をご紹介しましょう。例によって意訳が含まれますのでご注意ください。

・女性は初恋のときは恋人に恋をするが、次からは恋そのものに恋するようになる
・友情は愛になりうるが、その逆はありえない
・事実は小説より奇なり
・知恵は悲しみに繋がる。より多くのことを知っている者は、より深く嘆かねばならない
・逆境は真理に至る最初の一歩である
・過ぎ去った時代は全て「良かった」と言われるようになる

皆さんはどの発言に共感したでしょうか。
名言に限らず、言葉の受け取り方はケースバイケースですので、どれがいいとか悪いとかいうこともないですけれど……彼の人生を知ると、説得力が半減するようなゲフンゴホン。

長月 七紀・記

参考:ジョージ・ゴードン・バイロン/wikipedia 日本バイロン協会 eStoryPost




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