その美しさゆえに多くの人が魅了され、血生臭い争いが起き、現代の日本男性にとってはプロポーズをためらう原因となっている石ですが、珍重されるようになったのは比較的最近のことだったりします。
1905年(明治三十八年)の1月26日、トランスヴァール共和国(現・南アフリカ共和国)で当時【世界最大のダイヤモンド原石・カリナン】が発見されたのもそのきっかけの一つでした。
なぜ「原石」かというと、ダイヤに限らず多くの宝石はそのままの状態だと宝飾品等に使えないからです。
掘り出したときには輝きがなかったり、別の鉱石の間にめり込んでいたりするので、周りの余分な鉱物を削ったり研磨しなくてはいけません。
ダイヤは屈折率が高い=光る=目立つため原石の状態でも比較的わかりやすいほうですが、宝石の価値が絶対的になる前は、他の宝石はただの石と勘違いされるということも珍しくはありませんでした。
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600グラムの重すぎるダイヤをバラバラに
カリナンは3106カラットというまさに桁違いの大きさでしたから、鉱夫や鉱山の持ち主を一瞬で魅了したでしょう。
1カラット=200mgですので、原石の状態で約621g。
重さで考えると500mlペットボトル以上のダイヤ……想像もつきませんね。
実際の形状としては長さ11センチ・幅5センチ・高さ6センチだったといわれていますので、見た目の大きさとしてはもう少し小さかったようです。
しかし、この巨大な原石をそのまま研磨したのでは宝飾品として使えませんし、高価すぎて誰も購入できなかったでしょう。
その他諸々の理由もあって、カリナンは大小あわせて100個以上にカットされました。
そのうち大きなものには【カリナンⅠ~Ⅸ】という9つの番号がつけられ(TOP画像)、主にイギリスの王族が所有する事になります。
なぜ南アフリカのダイヤがイギリスへ?
というと、トランスヴァール共和国の政府がイギリス国王・エドワード7世(現女王のひいおじいさん)の誕生日に贈ったからです。
トランスヴァール共和国自体はアフリカにあったイギリスの植民地から独立した人々が建てた国だったのですが、カリナンが出た鉱山の持ち主(トーマス・カリナン)がイギリス人だったことが影響したのかもしれません。
現在、カリナンⅠ(別名・偉大なるアフリカの星)はイギリス王笏に、カリナンⅡは同じくイギリス王冠を飾っていて、儀式で使うとき以外はロンドン塔で展示されています。
かつては処刑場であり、今も幽霊の目撃談が絶えないロンドン塔がイギリス屈指の観光名所になっているのも、おそらくこの二つのダイヤを見たいという人が多いからなのでしょうね。
ちなみにカリナンよりも前に見つかったダイヤで名前がついているものでは「ユーレカ」というものがありまして、こちらは川辺で遊んでいた少年達が偶然見つけたのだとか。
ユーレカとはギリシア語のエウレカの英語読みで「見つけた!」という意味です。スゴさの割には何というか……ひねりのない名前……。
アルキメデスが重力と浮力のときに叫んだ言葉でもありますし、某大作RPG第三弾におけるラスダンの悪夢を思い出す方もいるかもしれません。
よくゲームでダイヤの武具がでてきますけど、そんな大きさの原石が存在したら多分戦争になってるでしょうね。
伝説のダイヤモンド「ホープ」
二次元の話はそこまでにしまして、ついでに歴史に関係のある宝石を並べてみましょう。
歴史で宝石ときたら誰もが思い出すのは「ホープ」ではありませんか?
大きさは45.5カラット(9.1g)。希望という意味のくせに所有者を次々呪い殺したというブラックジョークにもほどがある石ですが、被害者とされている人物の中にはかなり創作が含まれているとか。
史料に初めて出てくるのは17世紀で、インド神話のシータという女性の像に嵌っていたのをフランス人が盗んだ……のではなく、インドのどこかで買い取ったそうです。
これを太陽王・ルイ14世が買い取り、約120年ほどはフランス王室の宝物庫へ。
しかしフランス革命の際盗賊に奪われ、どこをどうたどったのかイギリス商人の手に渡りました。既に当初の大きさでなく、いくつかにカットされたうちの一つとなっていたそうです。
このため「実は”呪いのダイヤ”は二つ以上あるのでは?」ともいわれていますね。怖い怖い。
1824年にはヘンリー・フィリップ・ホープという人物が所有していたとの記録が残っており、彼の孫がこのダイヤを「ホープ」という名付けることによって相続権を主張したといいます。
持ち物には名前を書かないといけませんが、ダイヤにサインするわけにはいきませんものね。
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