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【カロデンの戦い】
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戦いの趨勢は決していたが、容赦なく攻撃され
装備面で大きな差があった両軍。
銃や大砲を装備したイングランド政府軍に対して、ジャコバイトの装備は貧弱でした。
槍や剣、あるいはせいぜい農具のような棍棒のみです。まるで勝負にならないわけです。
チャールズは命からがら戦場を抜け出しましたが、残されたハイランドの戦士たちは悲惨な目に遭いました。
息のある負傷者は執拗にとどめをさされ、女性や非武装の民まで捕らわれ、住居は徹底的に破壊されます。
この攻撃があまりに悲惨であったため、カンバーランド公は「屠殺者」という名で密かに呼ばれるようになるほどです。
戦いの結果とはいえ、放っておいても崩壊しそうな流れです。
それを一方的に惨殺するというこの戦いは、スコットランド人にとって深いトラウマとして刻まれました。
ただし、ハイランドの氏族を嫌いなローランドの氏族は、喜んでいたとも言われています。
このあたりに、氏族間の激しい対立を感じます。
マイ・ボニー「水の向こうの王へ乾杯」
さて、戦場を脱出したチャールズはどうなったのでしょうか。
カンバーランド公の配下は、チャールズを追いかけてスコットランド中を探し回りましたが、一向に行方をつかめません。
逃げ回るチャールズは、ヘブリディーズ諸島にたどりつきます。
そこで、友人を訪ねて来ていたフローラ・マクドナルドという勇敢な娘に出会います。
フローラはチャールズを女装させ、ベティ・バークというアイルランド人侍女だと名乗らせました。
そして女装したチャールズを小舟に乗せ、ヘブリディーズ諸島北方のスカイ島へ。チャールズはそこからフランスまで亡命します。
フローラはこのことにより、逮捕されてロンドン塔に収監されてしまいます。
しかし、釈放後の彼女は、夫ともに天寿を全うしており、悲惨な死が待ち受けてなくてよかったところです。
彼女は勇敢なジャコバイト女性として、歴史に名を残したのでした。
一方、フランスに亡命したチャールズ。
彼に残されたのは、43年間にわたって破れた夢を追う日々でした。
彼は、彼の野望によって虚しく死んだハイランドの人々を罵り続け、性欲や酒への耽溺に変えて生き続けたのです。
人々を魅了した魅力的な王子の姿は、欠片も残っていません。
それでもジャコバイトは、彼を慕い続けました。
「水の向こうの王へ乾杯」
ジャコバイトの人々の集まりでは、乾杯をするときこう言い合いました。
水=海であり、「チャールズに乾杯」という意味ですね。
★
『マイ・ボニー』というスコットランド民謡があります。
ビートルズが歌いヒットし、日本語でカバーもされ、日本でも知られている名曲です。
愛しいボニーは海の向こう側にいる、ボニーを私のもとへ返して……そう歌い上げるこの曲も、チャールズへの思いを表現しているとも言われています。
21世紀になってからも、スコットランドはしばしば独立の機運が盛り上がります。
イングランドからすれば「何で今さら……」なのかもしれませんが、スコットランドからすれば積年の恨みつらみがあることでしょう。
今は連合王国として存在するけれども、かつては色々あった。
歴史を振り返れば苦い思いと熱い愛国心がわきあがる。
それがスコットランドの歴史なのです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
リチャード・キレーン『スコットランドの歴史』(→amazon)