クリスティーナ女王/wikipediaより引用

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王冠を投げ捨てたクリスティーナ 個性強烈なアナ雪が北欧に実在した!

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アレンデール王国、戴冠式の日。
女王となるはずだったエルサは、隠していた魔法が暴走してしまいます。
耐えきれずに逃げ出し、エルサは山に引きこもると「ありの~♪ ままの~♪ 姿見せるのよ~♪」と開き直って、王冠を雪の中へ。

ご存知、ディズニーの大ヒット映画『アナと雪の女王』のあらすじですね。

 

映画は言わずもがなフィクションですが、エルサと同じように北の王国で女王となりながら、王冠を投げ捨て、自由に生き抜いた女王が実在します。

スウェーデンの女王・クリスティーナ(1626-1689年)。

ありのままの姿を見せ、ありのままに生きた人生でした。

 

生まれたのは王子? それとも王女?

スウェーデン。
現在は北欧の福祉国家であり、家具メーカーIKEA発祥の地として知られます。スウェーデン王といえばノーベル賞授賞式でもおなじみですね。

今では穏やかな国という印象ですが、かつてはロシアと火花を散らし、北の雄と称された王国でした。

神聖ローマ帝国で行われ、国土を惨禍に巻き込んだ三十年戦争(1618-1648)。
ヨーロッパの覇権を賭けたこの戦いに、スウェーデンは1630年から参戦しました。

戦争に介入したスウェーデン王グスタフ二世・アドルフは、戦士としての誉れ高く「北方の獅子」と称され、若い頃から戦場を駆け抜いておりました。

そんな勇猛果敢な王の悩みは、膠着した戦線だけではありません。
ヨーロッパ一の美貌をうたわれる王妃マリア・エレオノーラは、夫に家庭的なやすらぎよりも、ストレスを与える女性でした。

彼女は夫を強く愛し過ぎるがゆえに、精神的に不安定だったのです。
しかも、その妻から生まれた子が次々と夭折。せめて子供が健やかに成長すれば王妃も落ち着くだろうに、それより何より世継ぎができないのは困ったことだ、と王も周囲も頭を痛めていたのでした。

三人の子が夭折したあと、王妃は四人目を妊娠。そして1626年12月8日、王妃はついに出産の日を迎えました。
かなりの難産の末、その子は産まれました。

「おめでとうございます。立派な王子様ですよ」

当初、周囲はそう思いました。
王は喜びましたが、赤ん坊を調べて見ると王子が持つべきはずの器官がありませんでした。

「陛下、生まれたのは王子ではなく王女様でした……」

そう訂正された報告を受け取り、王は一瞬落胆しましたが、すぐ気を取り直した。

「まあよい、わが娘はきっと賢い子になるであろう」

 

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父が戦死し、6歳の幼い女王が誕生する

このとき王はまだ33歳。
男子を儲ける機会はいくらでもあるだろう、そう思ったとしても自然なことです。

しかし、産褥で我が子の性別を知った王妃は激怒しました。

「王子でなくて、王女を産んだなんて! こんな大きな鼻をした色黒で醜い赤ん坊を……連れてお行き! こんな怪物、いらないわ!」

産後鬱に苦しむ王妃はそう叫んだのでした。

王女の名はクリスティーナ。
生後すぐに、彼女は実母に憎まれてしまいます。

国王夫妻の子のうち、育ったのはクリスティーナ一人だけ。
そして1632年、グスタフ二世・アドルフは三十年戦争の最中、38歳にしてリュッツェンの戦いで戦死。

かくして僅か6歳の幼い女王が誕生したのでした。

 

余は女ではない……性別への違和感

グスタフ二世・アドルフは、将来国王となるクリスティーナに厳しい躾を課しました。

幼くして彼女は午前4時に起床し、12時間の勉学。
そんな環境に慣れたのか、もとから賢かったのか。4時間以上の睡眠は無駄だと豪語する彼女は、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ラテン語での読み書きができました。

カエサルやアレクサンドロス大王といった歴史上の偉人を崇拝し、乗馬や狩猟といったスポーツにも熱心に取り組みました。クリスティーナは早熟で聡明であり、13歳の時には、評議会に出席するようになります。

クリスティーナは着飾ること、宝石、化粧、ドレスには全く興味はありませんでした。
かえってそういったものを嫌い、軽蔑すらしました。

肖像画では美しいドレスに身を包み、長い髪で微笑んでいるクリスティーナ。それはあくまで世間が女王に求めた姿です。
本当の彼女は、男性と同じ服装と短い髪型で、腰に剣をつけ、大股でズカズカと歩き、大声で喋るのでした。
しとやかさが求められた当時理想の女性像とは正反対です。

彼女が女らしさを嫌い、父のような男らしさに憧れるようになったのは、母との確執も背景にありました。

最愛の夫を失ったマリア・エレオノーラは哀しみのあまり、ただでさえ不安定であった精神のバランスが大きく崩壊。
即位して政務に目を通さねばならない娘に、自分のように喪に服すことを要求する有様です。

母の寝室には、亡き夫の心臓が入った箱が安置されておりました。
その周りでは昼夜聖職者が祈りをささげ、窓は黒く分厚いカーテンで覆われております。
そんな日の光の差し込まない居室で、喪に服すよう強いられたのです。

「父は勇敢で素晴らしかった。それにひきかえ、母は、なんと弱々しく愚かなのだ」

クリスティーナが幻滅するのも無理はありません。
母のくびきから脱するためにも、父のようにスウェーデンを統治するためにも、男らしく振る舞わねばならない!

かくしてクリスティーナは、日々男らしくたくましく、成長していったのです。

 

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ありのままに財を使うのだ!

1644年、18歳のクリスティーナは親政を開始しました。

その政治的見識、優れた判断は、名君誕生を感じさせます。
4年後の1648年には、泥沼と化した三十年戦争をヴェストファーレン条約の調印よって終わらせ、スウェーデンは多くのドイツ領の都市を獲得、「バルト帝国」と呼ばれるほど広大な領土を手にしました。

と、ここまではよかったのですが……。
三十年戦争でスウェーデンの国庫は尽きき欠けていました。
戦争で戦った騎士たちに恩給を払わねば成りませんし、広大な領土を維持する平和にも金がかかります。広大になり過ぎたゆえに、国家財政はバランスを崩してしまったのです。

しかもクリスティーナには浪費癖がありました。高いドレスや宝石類に使ったわけではありません。

「ストックホルムを北方のアテネにしようではないか!」

そう考えたクリスティーナは、デカルトはじめ多くの文化人を宮廷に呼び寄せ、書籍を大量に購入。豪奢な舞踏会を開き、宮廷を賑やかなものとしました。
必ずしも悪い政策ではないのです。特に文化政策は善政とも言えるものかもしれません。出費が適切であれば、の話ですが。

さらにクリスティーナと周囲を悩ませる問題がありました。縁談です。

「陛下にはご結婚いただき、お世継ぎを産んでいただかねばなりませんなぁ」

そんな周囲の期待にクリスティーナは困惑します。
しかも女王が結婚した場合、夫に統治を任せることが当然とされている時代です。

「男のように、女王ではなく王として振る舞ってきた余であるのに、求められるのが結婚と出産とは。しかも統治を夫に任せるなど言語道断である!」

 

ありのままに結婚は断る!

クリスティーナは縁談に全く興味関心を示さず、断り続けました。
ずば抜けた聡明さを持つ彼女からすれば、結婚したという理由だけで統治をゆずるなんて、耐えがたい屈辱です。

かといって、クリスティーナに結婚する気が全くなかったわけでもありません。
彼女は16歳の時に、4歳年上でイケメンの従兄カール・グスタフ(のちのカール十世)に熱を上げました。

カール・グスタフは、グスタフ二世・アドルフ戦死ののち、元老院で王家の後継者として認められていました。元老院としては、カール・グスタフとクリスティーナを結婚させるつもりだったのです。

そうすれば、カール・グスタフのあとに王位を継ぐ子には、クリスティーナ経由で王であるヴァーサ家の血が流れることになります。この二人の関係は、大河ドラマ『おんな城主直虎』における、井伊直虎と直親のそれと同じようなものです。

クリスティーナは情熱的な言葉を書き連ねたラブレターを送り、カール・グスタフ相手に愛を何度も誓いました。
しかし、言葉以上の行為に進もうとすると、慎重に拒むのでした。

「きっと、結婚するまでは貞操を大事にするタイプなんだね」

カール・グスタフとしてはそんな気持ちですね。
しかしクリスティーナが成人年齢である18歳になっても、縁談は進みません。
カール・グスタフはその後5年間焦らされた挙げ句、クリスティーナが議会で宣言した、衝撃的な内容を聞くことになるのでした。

「余はカール・グスタフを、余の正式な後継者に指名する。されど余は結婚できない。絶対に無理なのだ。余の性格は結婚に向いていない! どうにかならないかと熱心に祈り続けたが、駄目だ。余は、絶対に、結婚できない」

ええーっ!
これにはカール・グスタフのみならず、誰しも口をあんぐりさせたでしょう。
クリスティーナは、未婚を貫いたイギリス女王・エリザベス一世の伝記を読み、尊敬していたと言います。




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果たして、彼女の決断はその影響だったのでしょうか。
それとも別の理由でしょうか。]
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