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【クリスティーナ】
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ロマンスもありのまま? お相手には美女も含まれ
結婚しなくても恋はできます。
クリスティーナはあまり素行のよくない連中とつきあい、その中の一人であるマグナス・ド・ラ・ガルディ伯を愛人にしました。
ガルディ伯以上に愛を注いだのが、美貌の女官エバ・シュパレでした。
クリスティーナはエバをフランス語で美女を意味する「ベル」と呼び、同じベッドで眠りました。
エバは優美で繊細な美貌は備えていましたが、知的好奇心に乏しく、おとなしい女性。かつてクリスティーナが嫌った「女らしさ」を備えた女性だったのです。
自分とは正反対の彼女を、クリスティーナは愛したのです。
クリスティーナはイングランド大使にエバをこう紹介しました。
「余の愛するベルの内側は、外側と同じくらい美しいのだ」
これを聞いた真面目なイングランド大使は絶句し、耳まで真っ赤に染まったとか。
男だろうが女だろうが愛人にしてしまうクリスティーナの振る舞いは、宮廷を国を、驚かせたのでした。
極めつけは勝手に改宗→退位を決定
クリスティーナはだんだんと即位当初の熱意が弱まり、玉座に座ることに苦痛を覚え始めていました。
そしてもうひとつ、彼女には問題がありました。
熱狂的なルター派プロテスタント信者であった母親に服喪を押しつけられて以来、プロテスタントに嫌悪感を抱いていた彼女は、ひそかにカトリックに改宗していたのです。
国王が国教から改宗することは、浪費や愛人を作ることよりも、問題のある行為でした。
1654年、クリスティーナはついに退位を決定。
カール・グスタフに王位を譲ります。
そして彼女は絢爛豪華なアマゾネスに扮してローマ入りすると、教皇アレクサンドル七世に祝福を与えられました。
退位後もど派手に振る舞い、行く先々で愛人を作るクリスティーナは注目の的でした。
そんな彼女はさらに悪名をもとどろかせます。
1657年2月、家臣の一人であるモナルジテ伯がクリスティーナの機密情報を盗んだと疑われ暗殺されたのです。
クリスティーナの放った刺客は、標的の腹と頭を滅多刺しにしました。絶命するまでに15分かかったというこの暗殺劇に、世間は震え上がりました。
デカルトをも魅了した知性の持ち主が、こんな蛮行をするということに、世間は驚きを隠せなかったのです。
しかも暗殺現場はフランス・フォンテーヌブロー。フランス側はカンカンに怒り、あやうく国際問題になりかけました。
クリスティーナは王冠をあっさり捨てたものの、実のところ未練はあったようです。
しばしば他国の王位を狙う動きを見せ、カール十世が崩御すると母国に戻り返り咲こうとしたこともありましたが、失敗に終わりました。
権力への野心は、やがて知的好奇心にとって変わりました。
彼女は晩年、住まいをローマに定め、カトリック神秘主義に傾倒。1689年、熱病で死去しました。
銀の王冠をかぶせられた「流浪の女王」の亡骸は、多くの聖職者、学者、芸術家に見守られながら、サン・ピエトロ聖堂に葬られたのでした。
文化芸術を愛した女王として伝説となる
死後、クリスティーナはその浪費癖や破綻した金銭感覚よりも、文化芸術を愛した女王として伝説化されました。
中でも彼女を賞賛したのが、ヴォルテールです。
文化人や思想家を保護する君主として、崇敬の念を持って語られました。
また政治的なセンスや聡明さも高い評価を受けています。親政を初めて数年で、三十年戦争を終結に持ち込んだ政治力は賞賛に値するものです。
彼女の性別や性癖についても、後世様々な議論がなされてきました。
なぜ出生時に、一度は男児と思われたのか。
成長後、筋肉質で体毛も濃かったことはそれに関係があるのか。
性分化疾患を指摘する歴史家もいます。
多くの男女双方と関係があったこと、長年悩んだ末に結婚を断念した理由も、謎につつまれた性癖として人々の興味を引きつけています。
彼女の伝記映画も何度か作られました。
イギリスのエリザベス一世、オーストリアのマリア・テレジア、そしてロシアのエカテリーナ二世。
この辺のビッグネームと比較すると、知名度では劣るかもしれませんが、波乱万丈の人生であるという点においては決してひけを取らない彼女。
ありのままに生き、文化芸術と男女を愛し、王冠をも投げ捨て、天寿を全うしたクリスティーナの生き方は、潔く驚きに満ちています。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
『ダークヒストリー2 ヨーロッパ王室史』(→amazon)
『ラルース 図説世界史人物百科Ⅱ ルネサンス−啓蒙時代』(→amazon)