ブランド物というと、いろいろな意味でちょっと近寄りがたい感じがする人は多いのではないでしょうか。
特に世界に名だたるハイブランドの場合は顕著でしょう。
しかし、その成り立ちを見ると実は高級志向というわけでもなかったりします。
本日はその一例である、特に女性に人気のブランドが誕生したときのお話です。
1971年1月10日、ファッションブランド”シャネル”の初代デザイナー兼創業者であるココ・シャネルが亡くなりました。
意外に最近の話なんですね。
ちなみに「ココ」というのは愛称であって、本名はガブリエル・ボヌール・シャネルです。
多分この名前で書いても「誰?(´・ω・`)」という感じになると思うので愛称のほうで統一しますね。
また、「ファッションと歴史に何の関係があるんだよw」と思われた方もいらっしゃるでしょうが、実は彼女の功績は歴史的なものといっても過言ではありません。
生涯と共に見ていきましょう。
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修道院学校を卒業しムーランの洋品店へ
後々ハイブランドのオーナーとして優雅な暮らしをするココも、若い頃は決して裕福ではありませんでした。
幼い頃に母を亡くした上に父親から捨てられてしまったため、孤児院や寄宿生の修道院学校で育ったのです。
当時の修道院学校はお金持ちのお嬢様が行儀見習いや勉強に来るところという面もあったので、そうした人々からの蔑視の目もあり、辛い思いをしていました。
しかし、ここで彼女は後々とても役に立つ知識や技術を身につけます。裁縫です。
また、同じ学校に父方の叔母がおり、彼女がファッションに強く関心を持っていたことに影響され、ココもその世界に興味を持ち始めます。
そして学校を出た後、パリから300kmほど南にあるムーランという町の洋品店で働くようになりました。
ただ、このときは生涯の仕事にしようとまでは思っていなかったようで、若い女性らしく歌手に憧れていた時期もあります。
「僕がお金を出すから、お店を出したらどうだい」
「ココ」はこの頃彼女が歌っていた歌のタイトルからつけられた愛称なのだそうで。その歌が一番得意だったんでしょうね。
しかし、歌手としての道は厳しく、その方面での活躍は厳しいということがわかります。
落ち込むココを、当時の恋人だったエティエンヌ・バルサンという軍人が郊外の牧場へ連れて行ってくれました。
ここで彼の友人たちとも親しく付き合い、ココに少しずつ前向きな気持ちが戻っていきます。
この間、仕事以外でも裁縫を続けていたのですが、この友人達にそれを話し、実際に作った帽子を見せてみると、意外なほどの好評を得ました。
さらにエティエンヌが「僕がお金を出すから、お店を出したらどうだい」といってくれたおかげで、ココは初めて自分のお店を持つことができました。
ここからが彼女の人生本番です。ココだけに……失礼しました。
WWⅠの翌1915年にファッションショーを主催
彼女とエティエンヌはその後間もなく別れてしまうのですが、運よく新たなスポンサーと出会うことができました。
イギリス人実業家のアーサー・カペルです。
彼もまたココの才能を認め、パリにお店を出すための資金を作ってくれました。「シャネル」というブランド名になったのもこのときです。
三年ほどでフランス北岸の町・ドーヴィルに二号店を出すほどですから、売れ行きはかなり良かったのでしょうね。
第一次大戦が始まった翌年、つまり1915年(大正四年)には洋服にも進出し、初めてファッションショーを主催して大好評を博します。
なぜ、ポッと出に近い彼女が初めてのショーで成功することができたのでしょうか?
ヒントは「ドレス」です。
ドレスといえばなんでしょう?
レース? フリル? それとも高価な生地や縫いとめられた宝石でしょうか?
それももちろんですが、もう一つなくてはならないものがあります。コルセットです。
現代ではもっと軽く使いやすい補正下着があるのであまり使われませんが、コルセットは当時の女性にとって必需品。
ウエストを少しでも細く、反対にバストやヒップを豊かに見せるために、紐でぎゅうぎゅうに締め付けるのが当たり前だったのです。
もっと前のフランス王朝時代では、あまりにコルセットを締めすぎて酸欠で倒れてしまう女性も珍しくなかったというくらいですから、”コルセット信仰”とでも呼ぶのがふさわしいでしょうかね。
なぜ女性だけがコルセットで苦しまなければならない?
しかし、ココはこれに大きな疑問を持っていました。
「なぜ女性だけがこんなに苦しい思いをしなくてはいけないんだろう? もっと着心地が良く、快適な服は作れないのだろうか?」
そして彼女が目をつけたのが、当時、紳士服にしか使われていなかった素材やデザイン、喪服にしか使われていなった黒という色でした。
これによって圧倒的に柔らかい生地を使い、かつシンプルなデザインのドレスやスーツを生み出したことで、「シャネル」は大ヒットしたのです。
ちなみにここでいう「ドレス」はフリフリなアレではなく、ワンピースのようなものです。
英語だと洋服全般のことをドレスというので、覚えておくとちょっと便利かもしれません。
日本の「ワンピース」は英語で「ワンピース・ドレス」だったりしてちょっとややこしいんですけども。
マリリンも寝るときはこれだけ♪ 「シャネルの5番」
さらにココは、調香師(香水のブレンドをする人)のエルネスト・ボーと出会いました。これもまたシャネルの大ヒット商品を生む出会いでした。
そう、マリリン・モンローが「寝るときはこれだけ」と評した”No.5”=「シャネルの5番」の作者です。
当時、香水には練りに練った名前をつけるのが当たり前だったのを、ココは大胆にも試作品番号そのままの名前で売り出しました。
それだけだったら「手抜きwwwwww」と笑われたでしょうが、香りが優れていたことに加え、それまでにない鋭角的なデザインのボトルでこれまた好評を博します。
当初はもう少し細くて丸みがあったそうですが、後に強度の問題で現在の四角い瓶になりました。
現在でも女性用の香水は曲線的なデザインのボトルが多く、男性用は四角い瓶が多いですから”No.5”の存在感は圧倒的です。
こうして次々に斬新な商品を生み出し、シャネルは大企業へと成長していきます。
WWⅡ時代は、なんとドイツ軍人の愛人に!
しかし、ココにとって優しい時代はそれまででした。
組織が大きくなればなるほど、トップと現場の意見や価値観は離れていくもの。
繁忙期であるファッションショーの時期、労働条件が酷すぎるとして現場の作業員達がストライキをしたのです。現在でもフランス名物(?)ですが、この頃にもあったんですね。
”労働者の権利”という概念がなかったココは、彼らの考えが理解できず
「忙しいときに頑張って働くのは当たり前じゃないの。ちょっとやそっと苦しいからって何だっていうの?」
と思っていたようです。
彼女自身決して順風満帆な人生ではなかっただけに、働く場所と安いとはいえ給料をもらえているのに、文句を言う理由がわからなかったのでしょうね。
ただし、そのまま放置もできず、ココはほとんどのお店を閉めて一時引退状態になりました。
そして、その後に第二次大戦が起こります。この戦争の最初のほうでドイツに占領されたフランスでは(も)、多くの人々が苦しい生活を強いられます。
大人しく従う人もいれば、レジスタンスとして武力行使を行う人、シャルル・ド・ゴールのように亡命して母国の復活を狙う人もいました。
そんな中、ココはそのどれでもありません。なんと、ドイツ軍人の愛人になっていたのです。
ディオールの新作に憤慨して復活したものの…
女性が生き残る術としてはるか昔から使われている手段ですが、フランスの人々はこれを裏切りと感じ、大いに非難しました。
上記のストライキへの対応も尾を引いていたと思われます。
そしてフランスが解放された後に逮捕。
すぐに釈放されたものの、フランスにいづらくなった彼女はスイスへ亡命し、10年ほど帰ることはありませんでした。
ここで大事件が起きます。
これまた有名なファッションブランド「ディオール」の創業者であるクリスチャン・ディオールが、ココと正反対のデザインを発表したのです。
彼女の大嫌いなコルセットを使ったもので、当然、憤慨しました。
「このままでは、また女性が息苦しい服に悩まなければならない」
そんな危惧を抱いたココは1954年(昭和29年)、15年ぶりのファッションショーを開きます。
結果は……惨憺たるものでした。
既に過去の人、しかも”裏切り者”と思われていた彼女のデザインに振り向く人はいなかったのです。
シャネル・スーツを作ったのは73歳だった
ココはそんなことでめげません。
もう一度自分の考えやデザインの良いところを見直し、新たに大ヒット商品を作り上げました。
いわゆる「シャネル・スーツ」の誕生です。
紳士服のものと思われていたツイード生地を女性の服に使う、これまた斬新な発想が世間をひきつけたのです。
もちろんコルセットは使わず、それでいて緩やかな曲線を描くデザインは、ココの信条である「自由な女性」を見事体現したものでした。
時にココ・シャネル、なんと73歳――。
普通の人なら、隠居するような年齢で、再び最先端のデザイナーとして世間に認められたのでした。
その後も精力的にショーを開き、好評を博し続けたシャネルもまた、再度大きな企業へ成長。
”復活”から17年後、その年のショーの準備をしている最中にココは息を引き取りました。
88歳という長寿でしたが、本人としては悔しかったでしょうね。
過去の”裏切り”が尾を引いていたためか、お墓は亡命先のスイスに作られました。さすがに愛称ではなく、本名のガブリエル・シャネルと刻まれています。
墓石には他に獅子らしきレリーフが五つ彫られていて、一見すると女性のお墓には見えないかもしれません。
彼女が獅子座であったこと、猛々しいほどのファッションに対する情熱から考えれば、ふさわしいともいえるでしょう。
「ココ・シャネルは獅子座だったんだよ」
獅子座の女性にそんな話をしてみると、会話が弾むかもしれません。スーツをプレゼントされると勘違いさせてしまったら大変ですが……。
長月 七紀・記
【参考】
ココ・シャネル/Wikipedia
シャネルの歴史(→link)