ブレーズ・パスカル/wikipediaより引用

フランス

パスカルの定理を16才で発見の天才ブレーズ・パスカル「人間は考える葦である」

英雄なり天才なり、優れた人は一見完璧に思えます。

しかし彼らも人間ですから、欠点なり悩みなりはあったはず。それが表に出てくると、人間味が増して親近感がわくこともあります。

今回はその一人……かもしれない、天才肌の人のお話です。

1623年(日本では江戸時代・元和九年)6月19日は、後に数学者・哲学者・神学者となったフランスのブレーズ・パスカルが誕生した日です。

「パスカルの定理」や「人間は考える葦である」※1という一文で知られる方ですね。

しかし、その出発点は数学です。
父親も数学が得意で、徴税官の仕事をしていたためと思われます。このトーチャンは非常に教育熱心な人で、自らブレーズに数学などを教えました。

※1「人間は考える葦である」……人間は葦のように弱い存在であり、同時に、物事を考えることができるがゆえに可能性も秘めている存在でもある

 


16歳でパスカルの定理を発見していた

ブレーズの父は人柄も優れていたようで、パスカル家には父の繋がりで数学者や科学者がよく出入りしていたといいます。
そうした大人たちの間に立ち交じって、ブレーズも討論したり、知識を得たりしたとか。

16歳のときには「パスカルの定理」を発見しているのですから、さぞ濃密な議論がかわされていたのでしょう。100%文系脳のワタクシには想像もつきません。

父との仲も良かったようで、ブレーズは19歳のとき「父親の仕事を楽にするため」に機械式計算機を完成させているほどです。どんな天才だよ。

しかし、あまりにも設計・製作に熱中しすぎて睡眠や食事がおろそかになっていたらしく、このあたりから体が弱くなっていきました。
小松帯刀といい、なぜ頭のいい人に限って人体の限界に挑んでしまうのでしょう……(´・ω・`)

その他数学の業績もたくさんありますが、一方でブレーズは神学者でもありました。

23歳のときジャンセニスムというキリスト教の一流派に出会い、家族ぐるみで信心深くなったとされています。

ジャンセニスムとは「とにかく人間は罪深い生き物だから、自分たちで救われる工夫をしようとか考えないで、ひたすら神様のいうこと聞いてればいいんだよ!」(超訳)という思想です。

28歳で父が亡くなると、ブレーズと仲が良かった妹のジャクリーヌがジャンセニスム派のポール・ロワイヤル修道院に入ったことで、神学の世界は彼にとってより身近なものとなりました。

この頃一時的に社交界へ出入りするようになり、人間についての考察に興味を示してもいます。

当時のフランスはルイ14世が親政を始める10年前くらいの時期です。
宮中は政治的思惑やら何やらがうごめいて、さぞ人間観察のしがいがあったでしょうね。

 


世界初の公共交通機関・乗合馬車をパリで創業

30代に入ってから、しばらく神学者のような活動をしています。

しかし反論が多い分野であるためか、発表せずにメモ書きで終わったものもありました。
ブレーズは39歳で亡くなっているため、著作にまとめる前に寿命が来てしまったというほうが正しいかもしれません。

しかし、頭の回転は生涯衰えませんでした。
亡くなる半年前に乗合馬車の原型となるシステムを考案し、パリで創業しています。

これは現在のバスに近いもので、「世界で初めての公共交通機関」といえます。

それまで馬車は王侯貴族が個人所有するものだったため、「皆で馬車を使う」という発想そのものが新しかったのです。

タクシーのように「特定の場所で客を乗せ、客の任意の場所へ向かう」という辻馬車は既にあったので、これを改良しようというところから思いついたのかもしれませんね。
現代でも、バスとタクシーは競合しそうでしないというか、住み分けがされている印象がありますし(個人の感想です)

 


ノートやメモを整理して出版されており……

ブレーズの最も有名な著作「パンセ」は、彼の死後、ノートやメモ類を整理して出版されたものです。
「人間は考える葦である」もこの中に書かれています。

また「神の存在を証明することができなくても、信仰をしないよりしたほうがいい」ともしています。

この二つに共通するのは「目標にすぐ到達できないからといって、何もしないでいるのは良くない。それなら何かやるほうがいい」ということです。

思っていたものでなくても、行動しているうちに別のものを得られる……というのも、よくある話ですものね。

これはまた例によって私の妄想ですが、「ブレーズから見た普通の人に対する印象」を表しているのかもしれません。

彼のような天才は、多くの人からやっかみを買ったり、陰口を叩かれることもたくさんあったでしょう。現代の我々でも「元から頭がいいヤツは楽だよな」みたいなことをうっかり言ってしまうことがありますよね。

しかし、天才だって全く努力をしていないわけではありませんし、そもそも人間である以上は、不快に思うこともあるでしょう。

そういう人たちに対してブレーズは「何もせずに悪口を言い続けるより、何かを得るために少しでも努力したらどうなんだ」と言いたかったのではないでしょうか。

どうでもいい話ですが、ブレーズがこういった哲学関連のことを世に出すつもりがなかったとしたら、とんだ黒歴史をさらされたことになりますね。

未完成の原稿ではなく、メモ書きやノートを集めたということですし。
編集や校正が進む中で、空の上から「やめてえええええ!」と言っていたりして。

長月 七紀・記

【参考】
ブレーズ・パスカル/wikipedia


 



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