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【白バラ抵抗運動】
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「機会があるならばもう一度同じことをします」
兄妹は方針を変え、仲間のことをかばったまま罪をかぶることにしました。
まだ若い女性であるゾフィーを見て、捜査官はこう誘導しました。
「兄にそそのかされただけ、何も知らなかったと証言しなさい。そうすればあなただけでも助かる。まさかこんなことになるとは思っていなかったのでしょう」
しかしソフィーは首を横に振ります。
「私は自分が何をしたかを理解しています。機会があるならばもう一度同じことをします。私は間違ったことをしていません。間違ったことをしているのは、あなたたちです」
兄妹らの堂々とした態度は、ゲシュタポの捜査官にすら感銘を与えました。
逮捕から僅か4日後の2月22日、ショル兄妹とクリストフは形ばかりの裁判を受けさせられました。
三人は反逆罪で有罪、死刑判決が下されます。
その間、三人の弁護士は一言も口を利きませんでした。
裁判後兄妹が移送された刑務所に、家族が駆けつけました。
二度と家に戻らない娘を嘆く母に、ソフィーはこう告げるのでした。
「やがてきっと、私たちの意志を受け継ぐ人が現れるわ」
その日の午後、三人はギロチンにかけられ処刑されました。
「自由万歳!」
ハンスは最期、そう叫びました。
ゾフィー・ショル、享年21。
ハンス・ショル、享年24。
クリストフ・プロープスト、享年23。
「白バラ」はまた花開く
ショル兄妹とプロープストの処刑から僅か数日後。
ミュンヘン大学の壁に、「ショルは生きている! 肉体は滅んでも、魂は不滅!」という活動継続のスローガンが記されました。
ゲシュタポは執拗に白バラメンバーを逮捕、拘禁。さらに3名を処刑しました。
しかし「白バラの魂は生きている!」と書かれたビラを根絶することはできません。それどころかビラはミュンヘン以外の都市でも、配布されるようになります。
ゾフィーの言葉通り、彼女たちの意志を継ぐ人々が活動を続けたのです。
危険を冒してでも、この希望を届けたい。そんな人々がビラを印刷し、配り続けたのです。
ビラは戦線や強制収容所で苦しむ人々を勇気づけました。
イギリス軍はビラを入手すると何万枚と印刷し、戦闘機でドイツ人の頭上にバラ撒きました。
アメリカのラジオからは、亡命ドイツ人による白バラ運動への讃辞が流れました。
1945年4月。
ヒトラーが死を選び、廃墟と化したベルリンで、連合軍は処刑を待っていた白バラ運動のメンバーたちを解放しました。
ゾフィーの言葉通り、間違っているのは彼女らを罰した方だと証明されたのです。
戦争が終わっても、白バラの精神は受け継がれました。
ミュンヘン大学のそばには「白バラ記念館」が建設。
ミュンヘン大学正面には、白バラの撒いたビラをセラミックタイルであらわした記念碑があります。
白バラの精神は、ショル兄妹らの死から70年以上を経ても、不朽の意志として咲き続けるのです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
ラッセル フリードマン/渋谷弘子『正義の声は消えない―反ナチス・白バラ抵抗運動の学生たち』(→amazon)