スパルタたちが活躍した「テルモピュライの戦い」/Wikipediaより引用

ギリシャ

ペルシア戦争とサラミスの海戦 ギリシャ連合軍は如何にして大軍とやりあった?

更新日:

さまざまな発明や発見により進歩を重ねてきた我々人類。
されど、中には「ほとんど変わっていないんじゃないか?」と思われる点もあります。

本日はその最たる例と思われる、とある戦争のお話です。

紀元前480年9月20日は、ペルシア戦争のターニングポイントとなった【サラミスの海戦】があったとされる日です。

大きな戦いですが、さすがに時代が古すぎて日付については20日以外にも説があります。

それを踏まえた上でザックリと経過を追っていきましょう。

 

サラミスの海戦はペルシャvsポリス

まず、この場合の「ペルシア」とは、アケメネス朝ペルシアをさします。

現在のイランにあった国で、「ペルシア」といった場合、アケメネス朝かこの後のサーサーン朝を示す場合が多いとか。
中国における漢や唐、明、清にあたるような、「地域における代表的な王朝」と思っていただければ問題ないかと。

また、ペルシアといえば絨毯も有名ですが、現存している最古のものはアケメネス朝時代のものだそうです。
その辺からも、この王朝の偉大さがわかりますね。

戦争の相手は、古代ギリシアのポリス(都市国家)たちでした。

アテナイやスパルタといった有名どころからマイナーな都市まで、実にさまざまな地名が出てきますが、例によってこの記事では数ヶ所の名を挙げるに留めさせていただきます。

アケメネス朝の最大勢力域/wikipediaより引用

戦争のきっかけは、アケメネス朝ペルシアが、地中海を越えたエリアに勢力を拡大しはじめたことでした。

ペルシア戦争前の時点で、既にギリシアより北のマケドニアや、エーゲ海の東側の島々も支配下に置いていましたので、「ここに近い港が欲しいな……おっ、近くにあるやんけ」というわけです。
当時は商売をするにも戦争をするにも、港がないと話にならないですからね。

これに対し、ギリシアの諸ポリスは、

「最初から降伏」
「最初は反抗したものの後に降伏」
「徹底抗戦」

の三つバラバラな反応となりました。

そして最も有名なポリスの一つであり、現在ギリシャの首都となったアテナイは、少々複雑な経緯をたどります。

 

君主制ペルシアに対し、アテナイやスパルタは連合を結成

アテナイは他のポリスなどと敵対して四面楚歌状態になっていたため、最初ペルシアに同盟関係を持ちかけました。

しかし、返事は「ウチに服従してくれなきゃヤダ」という、つれないもの。
民主主義をモットーとするアテナイにとって、君主制の国に服従することは到底承諾できないことですから、ここから戦争へ向かっていくことになります。

一方、ペルシアはいくつかのポリスを支配下に置きましたが、アテナイのように一向に降伏しないポリスに業を煮やし、ダレイオス1世という王様の下、紀元前490年にギリシア地方への侵攻を本格化させました。

アテナイの北東にあるエレトリアでは、内部の新ペルシア派が城門を開いたためペルシアが勝ちます。
しかし、その後のマラトンの戦い(マラソンの語源になったアレ)ではアテナイとプラタイアというポリスを中心としたギリシア軍が勝ち、一時互角ともいえる状況になりました。

マラトンの戦いがマラソンの原型になった経緯 かなりヤベェっす……

「 ...

続きを見る

マラトンの戦いの勝利により、アテナイの親ペルシア派は陶片追放(現代でいう不信任決議みたいなもの)され、ギリシア地域はペルシアに対抗する方向に傾きます。

 

すべてが反ペルシアというワケでもない

負けたダレイオス1世は再びギリシア地方への侵攻準備を始めます。

しかし、その他の反乱に対応しているうちに死亡。
息子のクセルクセス1世が王位と父の遺志を引き継ぎ、紀元前481年、再びギリシアの諸都市に降伏を迫りました。

このとき、アテナイやスパルタには最初から使者を送っていないようなので、少なくともこの二ヶ所は腕ずくで攻略する予定だったと思われます。

古代のことですので、ペルシア側の戦力について具体的な数字は明らかではないのですが、ギリシア軍の数倍、あるいはそれ以上と思えるような大軍勢だったことは間違いありません。

これに対し、ギリシア側はアテナイとスパルタを中心として、連合軍を編制しました。
といってもギリシア全体が反ペルシアというわけでもなく、諸々の理由で中立を選んだポリスや島もありました。

位置の関係上、真っ先に攻略されることが明らかなポリスは、ペルシア側について少しでも被害を減らそうと試みています。
リアルな話ですね。

 

アッティカ半島を放棄 英気を養い迎撃準備を整える

こうして、紀元前480年8月から、再び戦闘が始まり、ギリシア連合軍は劣勢に立たされました。

アテナイも攻め込まれ、住民の大部分は他のポリスに避難。
しかし、逃げる費用が捻出できなかった貧しい人々や一部の聖職者などは避難せず、アテナイのアクロポリス(パルテノン神殿のある丘)に籠城します。

まもなくペルシア軍に占領されているので、彼らがどうなったかというと……。

同じ頃、ギリシア連合軍はアテナイのすぐ西にあるサラミス島へ集結して対策を練りはじめました。
そして軍議の結果、ギリシア連合軍は二つの方針を固めます。

・一つは、アテナイのあるアッティカ半島を放棄すること

・もう一つは、スパルタのあるペロポネソス半島の入り口・コリントス地峡でペルシア軍を迎え討つこと

「既にアテナイが陥落している以上、奪還にこだわって士気の高まっているペルシア軍とぶつかるよりも、英気を養って迎撃の準備を整えるべきだ」という判断でした。

このとき、アテナイのテミストクレスという人物がペルシア側に密かに連絡を取り、負けた場合の保険をかけたとも、サラミス島へペルシア軍をおびき寄せたともいわれています。

位置関係としては、だいたい東からアテナイ&アッティカ半島‐サラミス島‐コリントス地峡‐ペロポネソス半島という感じです。

いずれもエーゲ海に面していますので、ペルシア軍が海路で直接ペロポネソス半島へ上陸するおそれもありました。
そのため、テミストクレスはこのような手をとったのでしょう。

 

輸送船団のペルシアに対し、海戦を想定していたギリシャ

紀元前480年のこの日、【サラミスの海戦】と呼ばれる戦いが始まりました。

戦闘の経過については不明確な部分も多いですが、風向きやペルシア・ギリシアの船の作りの差が、勝敗に大きく影響したのではないか、といわれています。

前者:「テミストクレスが風待ちをした」
後者:「ギリシアの船は海戦を想定しているが、ペルシアの船は兵の輸送を前提にしているため、ペルシア軍は高波で思うように動けなかった」

そんな記述があるためです。
海洋国家であるギリシア諸ポリスと、大陸国家であるペルシアの差が如実に現れていますね。

サラミス沖海戦図/wikipediaより引用

サラミスの海戦はギリシア連合軍の勝利に終わり、ペルシア戦争の情勢が大きく変わることになります。

アテナイまでは快進撃を続けていたペルシア軍、特にクセルクセス1世はよほど衝撃を受けたらしく、戦意喪失といっていいほど落ち込み、本国へ戻ったといわれています。

また、このときのクセルクセス1世、及びペルシアのお偉いさんの落胆ぶりを表すものとして、
「ペルシア人」
という悲劇があります。

ギリシア製なのでいろいろと盛っている可能性は高いですが、わかりやすい話なのでご紹介しましょう。

 

追撃して追い詰めたら必死に反撃してくるだろう

サラミスの海戦が行われていた頃のペルシア本国では、なかなか勝報が届かないことに対し、お偉いさんたちが気を揉んでいました。

そこにクセルクセス1世の母・アトッサが来て
「不吉な夢を見た」
と言い、皆ますます不安に襲われます。

そこにサラミスの海戦での敗報が伝わってきたため、アトッサとお偉いさんたちは先王であるダレイオス1世のお墓に行き、お供え物をして嘆くわ詫びるわ。
妻や臣下の悲嘆ぶりを哀れと思ったのか、たしなめるためか、彼らの前にダレイオス1世の幽霊が現れます。

ダレイオス1世は「この度の敗戦はクセルクセスの行いが、海神ポセイドンのお怒りを買ったからである」と言いました。
そこにぼろぼろになったクセルクセス1世が帰ってきて、戦死者たちに嘆き詫び、幕が閉じる……。

という話です。

ぶっちゃけオチがないというか、スッキリしませんが、サラミスの海戦で負けたのをきっかけに、ペルシアの態度が急変したことはわかりますね。

ちなみに、ギリシア連合軍では「追撃しようか?」という話も出て、「いや、今追い詰めると必死に反撃してくるだろう」との結論が出て、追撃せずに終わらせました。
西洋でも「窮鼠猫を噛む」に似たことわざがいくつかありますし、この判断は的確だったとみていいでしょうね。

ペルシア戦争そのものはこの後もしばらく続き、どちらも完勝することはなく、紀元前449年に和議が結ばれて終了。
「長かったわりに、ペルシアにもギリシアにもほとんどメリットがなかった」という笑えない終わりになってしまうわけです。

戦争って虚しいですよね。
紀元前の時代にこんな例ができているにもかかわらず、その後も戦争が絶えないあたりがさらに虚しいやら、哀しいやら……。

長月 七紀・記

【参考】
サラミスの海戦/wikipedia
ペルシア戦争/wikipedia

 



-ギリシャ
-

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2019 All Rights Reserved.