偶然の力って恐ろしいものですよね。
フラグが立ったり回収されたり、宝くじが当たったり、すんでのところで命が助かったり、その逆だったり……中には「偶然に殺された」といっても過言ではない人もいます。
今回はその一人と思われる、大昔の皇帝のお話。
363年6月26日は、ローマ皇帝フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌスが亡くなった日です。
この人の一生を一言で表すとすれば、
「偶然に助けられ、偶然で死んだ皇帝」
といえましょう。
「運がいいのか悪いのかどっちなんだよw」というツッコミが飛んできそうですが、この人の一生を見てみるとご納得いただけるかと思います。
以下、名前は「ユリアヌス」で統一しますね。
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兄以外の家族は皆殺し 自身はトルコ北方へ
ユリアヌスは、コンスタンティヌス1世の甥っ子として生まれました。
コンスタンティヌス1世とは、コンスタンティノープル=現イスタンブールを作った人です。
要するにおエライ家系なわけですが、この時代は生まれ持った身分が高くてもロクなことはありません。
「いつか皇帝の座を脅かすかもしれない」
という理由で、親族をMINAGOROSHIにすることも珍しくなかったからです。
ユリアヌスの家族も、兄のガルスを除いて政敵に殺されています。
二人は「まだ幼いから」という理由で見逃してもらえて、故郷からビテュニア(現在のトルコ北方)に送られ、そこで育ちました。
この時代には既にキリスト教が認められ、ギリシア及びローマ神話も伝えられており、ユリアヌスもそれらを学んでいます。
しかし、しばらくするとガルスとユリアヌスは皇帝の直轄領に移され、奴隷同然の生活を送るようになります。
普通の奴隷と違うのは、読書に関しては自由を認められていたことです。
ユリアヌスはありとあらゆる本を読み、知識を蓄え続けることができました。
その中には神話に加え、プラトンなどの哲学も含まれており、これが後々彼の政治や信条に大きく影響していきます。
兄が処刑されて大ピンチ! そこで現れたのが……
6年ほどそうした生活を強いられ、やがて許された二人はコンスタンティノープルに戻ります。
兄ガルスは副帝(帝国の副社長みたいなもの)になって忙しくなり、ユリアヌスとは分かれて暮らすようになりました。
比較的自由になったユリアヌスは、引き続き勉強に励みます。
そして「伯父さんたちはキリスト教がいいっていうけど、僕はそうは思わないなあ」(意訳)と考え始めました。
このタイミングで、あろうことかガルスが処刑されてしまいます。
政治上の失敗をしたからだといわれていますが、何か「用済みになったから始末した」感じに見えますね。
当然のようにユリアヌスにも
「お前、兄貴の悪さに一枚噛んでるんだろ」
とばかりに疑いがかかります。
と、ここで偶然が起きます。
ときの皇帝・コンスタンティウス2世の奥さんであるエウセビアという女性が、なぜかユリアヌスに味方してくれたのです。
よほど奥さんが怖かったのか、それともベタ惚れだったのか。
エウセビアの言を容れた皇帝は、半年後にユリアヌスを許しました。
どんだけスゴいんだよ、このおっかさんは。
ユリアヌスは「これ以上政治に関われるような場所にいるとマズイ」と感じたようで、すぐにギリシアへ向かいます。
学者たちに混じって勉強することで、政治から離れようとしたのでしょう。
すると今度は皇帝から
「ちょっと手が足りないから、お前、副帝やって」
と言われ、おそらく不本意ながらに兄の後任を務めることになりました。
ガリアの反乱を抑えるために出兵し、各都市を見事に救援
実は、副帝任命にも、おっかさんことエウセビアの意見が大きく影響しているようです。
これだけ贔屓があると、二人の関係についてアレコレ想像をしてしまいますね。
映画や小説の絶好のネタだと思うんですが、どなたかやってないでしょうか。
副帝となったユリアヌスは、ガリア(現在のフランスあたり)の反乱を抑えるために出兵します。
同時期には、いわゆる「ゲルマン民族の大移動」やペルシア(現在のアラビア半島あたりにあった国)によって、ローマ帝国の領土が脅かされていたのです。
前者については本格化するのはもう少し後ですけども、このときユリアヌスが戦ってた相手はゲルマン系の一部族・フランク人なので、大体あってるということにしといてください。
ユリアヌスの指揮能力はなかなかのものでした。
ガリアに駐屯していた現地軍と協力し、各地の都市を見事に救援。
当初はコンスタンティウスと一緒でしたが、一年ほどで「こっちはお前がいれば大丈夫そうだから、俺ペルシアの相手しに帰るわ」ということで皇帝が先にガリアを離れているので、かつての疑いはすっかり晴れたようです。
百聞は一見にしかずってことですね。
無理難題を吹っかけられてもその場をしのぎ
ユリアヌスは、そのままガリアの情勢を安定させていきました。
が、ここでまたしても事件が起こります。
コンスタンティウスが「ペルシアが手強いから、こっちに半分くらい兵をよこせ」と言ってきたのです。
当時の情勢を考えれば無茶ぶりと言い切れないところではありながら、ユリアヌスは部下にこの命令を伝えるのを渋りました。
なぜかというと、「よこせ」と言われた隊の兵士はほとんどがガリアの出身だったからです。
彼らの日頃の言動から、故郷を離れたがらないことを十分していたユリアヌスは、
「アルプス山脈より先に行けとは言わないから」
と約束していたので、これを破るような命令ができなかったのです。
これまでも偶然によって命拾いしてきた彼が、そのたびに「今どのように振る舞えば命が助かるか」ということも考えてきたことは間違いありません。
ましてや地元でもなく、上記のような約束をした後でそれを反故にするようなことをすれば、あっという間に反乱を起こされてブッコロされてしまうことは簡単に予測できたでしょう。
そこでユリアヌスは、とりあえず命令に従うフリをして、ルテティア(現在のパリ)に兵士を集めました。
詳しい記録はありませんが、ここでおそらく「私は諸君らを遠い異国へ送るつもりはない!」といったような演説を行ったと思われます。
この後、兵士たちによって、
「あなたこそ皇帝にふさわしい!」
と担ぎ上げられているからです。
しかし、ユリアヌスは即座に天狗になることはありませんでした。
コンスタンティウスに逆らう意志がないことを示すため、あくまで手紙の中では「副帝」という言葉を使い続けたのです。
皇帝も皇帝で「今はペルシア相手で忙しいから見逃してやるけど、調子に乗ったらどうなるかわかってるよな?」とイヤミをいう程度にとどめたので、二人が正面切ってぶつかり合うことはありませんでした。
やべぇ!と思ったその瞬間、皇帝の座が転がり込んできた
ところが、です。
少しずつユリアヌスが皇帝同然のふるまいをすることが目立ってきます。
そしてコンスタンティウスは「そろそろあいつシメるか」とガリアへ向かうのですが、ここで偶然にも、いきなり亡くなってしまいました。
臨終間際に「俺の後はユリアヌスを皇帝にしろ」と言い残したらしいので、暗殺などによる即死ではなかったと思われるのですが……何でしょうね。
この遺言自体が創作の可能性もありますね。
何はともあれ、こうして名実ともに正式な皇帝となったユリアヌスは、コンスタンティノープルに戻ってきました。
真っ先にコンスタンティウスの葬儀を行っているあたり、彼の抜け目なさが窺えます。
戦国武将に無理矢理あてはめるとしたら、より頭脳派の豊臣秀吉って感じでしょうか。
その後は先帝時代に不正を行った人物を裁判にかけたり。
宮廷のぜいたくを戒めたり。
おおむね「善政」と呼ばれるような仕事をしていました。
しかし、当時から一つだけ「けしからん」といわれていたのが、ギリシア文化(ヘレニズム)を重んじ、キリスト教への優遇をやめたことです。
キリスト教にとってギリシア文化なんて「異教」そのものですから、ユリアヌスは別に極悪人でもないのに「背教者」と呼ばれるようになってしまいます。
原語だと”Apostata”です。
どうして、こういう単語って日本語にすると厨二臭くなるんですかね……。
敵の投げ槍が刺さるってマジすか!?
ユリアヌスの政策を歓迎する人もいる一方、キリスト教が浸透し始めていたローマ帝国では、反感を覚える人のほうが多数派になっておりました。
しかも同時期に起きた干ばつと、その対策が甘かったことで市民から反感を買い、少しずつ権威が落ちていきます。
そんな中、再びペルシアの驚異が迫ります。
ユリアヌスは自ら兵を率いて東へ向かいました。
大国同士の戦いですから、そう簡単に決着が付くはずはありません。
一時はティグリス川まで進んだものの、やや押されていると感じたユリアヌスは、川に沿って少しずつ兵を引いていきました。
そして運命の6月26日――突如受けた敵襲により、陣頭指揮を取っていたユリアヌスの胸に敵の投げた槍が偶然刺さり、陣中で亡くなってしまいます。
「投げ槍で死ぬとかwww」
と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、当時は立派な戦闘技術の一つでした。
現在でも陸上競技として残っていますし、まれに死傷者が出ていますよね。
槍の規格や投げる人の能力にもよりますけれども、現代の最高記録が98メートルなので、おそらく当時でも数十メートル投げられる人はいたのではないでしょうか。
ユリアヌスがやられたときにどのくらいの密度で槍が投げられていたのかはわかりません。
現代戦の感覚でいえば、夜襲でRPG(対戦車用の爆弾発射機・いわゆるグレネードランチャー)を使われたくらいの感じだったでしょうか。
こうして偶然に助けられた皇帝は、偶然によって命を落としました。
ユリアヌスが好んでいたギリシア神話にはモイライという運命の三女神がいるのですけども、なんとも皮肉な話ですね。
長月 七紀・記
【参考】
フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス/wikipediaより引用