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飛鳥浄御原宮から何だか“臭う”藤原京へ そして天武天皇は天に召された

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前回までの日本史ブギウギは?】
打倒・弘文天皇(大友皇子)を掲げて吉野で挙兵した大海人皇子は、伊勢から美濃にかけての地方豪族を味方につけ北上する。
これに対し、近江の大友皇子は各地へ援軍の要請を飛ばすものの、大海人皇子の軍に阻止され後手後手に……。
両軍は、ついに「瀬田の唐橋」で激突!
美濃の豪族・村国男依(むらくに の おより)などの活躍もあって、最終的に弘文天皇は自害へと追い込まれ、この戦いに快勝したのは大海人皇子だった――。
672年、壬申の乱を制した大海人皇子は翌673年、即位して天武天皇となる。
第8話、スタート!!!

天智天皇が都に定めていた近江大津宮を離れ、天武天皇は飛鳥へ移りました。
後に飛鳥浄御原宮と呼ばれる地に住みながら、目指していたのが大規模な都。
天皇の代が変わるたびに移る慣わしをあらため、ビッグシティを建てようとしたんスね。それが平城京……ではなく、そこへたどり着くまでの道のりはラクではありませんでした。

 

天武天皇は、周囲に豪族(貴族)を置かず、自身が中心となって政治を進めました。
壬申の乱による劇的な勝利で、民や豪族の人気も高かったようで。
血筋だけでなく実行力も伴っていたんですね。
ただし、都は一つだけでなく複数にリスクヘッジするかのごとく現在の大阪に難波京を設置しております。ここは交通の要衝でもあり、経済的にも優れた場所だったと推察されます。しかし……。

 

大規模な都だけでなく律令(法律)の整備も進めていた天武天皇は、残念ながら志半ばで崩御します。
686年。壬申の乱から13年のことでした。
次に即位したのは、天武天皇の妻である持統天皇。
天智天皇の娘であり、歴史の授業でも割と見かける名前ですよね。
彼女の息子に草壁皇子がおり、その子らが元正天皇や文武天皇となりますので、なんだかんだ言って天智天皇の血も受け継がれておるんすなぁ。

 

奈良県の橿原市と明日香村にかかる地域に建設された都、それが藤原京です。
遷都したのは694年。
受験では「都市計画にもとづいて作られた日本初の条坊制による都」なんて習いますね。
条坊制とは、メインストリートを中央(南北)に通し、碁盤の目のように左右対称で道を走らせた都市のことで、後の平城京、長岡京、平安京につながります。
しかし、藤原京はわずか十数年で遷都されてしまうことになり、その原因として「衛生面が整っていなかった」という説もあります。周囲を山に囲まれた高低差により、汚水が宮殿に向かって流れてしまい、「クサイ、クサイ><;」というような立地だった――なんて話もありまして。
諸説ありますが、これがマジだとしたら、いやぁ切ない(´・ω・`)

 

著者:アニィたかはし

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武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)

 

 

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