本郷和人東京大学教授

本郷和人の歴史ニュース読み

堀直虎は名人久太郎を支えた堀直政の子孫~東大教授・本郷和人の歴史ニュース読み

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    「おんな城主 直虎」の周囲がにわかに騒がしくなってきた。

    皆さんも既に耳にされているであろう。

    商標騒動である。

    ドラマ本編とは直接関係ないものの「直虎」という表記をめぐって自治体や業者が揉めに揉め、ついに浜松市と浜松商工会議所が特許庁に異議申し立てを行った。

    日曜午後8時のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」をめぐり地方で摩擦が生じている。

    主人公・井伊直虎ゆかりの地である浜松市と浜松商工会議所(同市)が、「直虎」の商標を登録している長野県須坂市と浜松市の業者の登録を取り消すよう、特許庁に異議を申し立てているのだ。

    須坂市の業者は今年没後150年を迎える江戸時代の第13代須坂藩主・堀直虎(1836~68年)にあやかって先に「直虎」を登録しており、浜松市の“横やり”に「直虎は『井伊』だけでない」と反論している。産経ニュース(→link

    上記の通り、いかにも井伊直虎の専売特許のようにも思えていた「直虎」という表記が、実は長野県須坂市にも同名の武将「堀直虎」がおり、業者はその没後150周年にあやかって浜松より先に

    【商標登録を申請→許可されていた】

    というものである。

    一般の大河ファンとしては外から見守るほかないが、戦国ファンとしてはどうにも気になることもある。

    「いったい堀直虎ってどんな方? もしかして井伊直虎と張るだけの人物なのかしら?」

    そこで今回は少々強引ながら、本郷和人教授に同問題を歴史学の方向からもあわせてご考察いただいた。

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    本郷くん1

    本郷「♪あいはぶあぺん、あいはぶあんあぽー」

    himesama姫さまくらたに

    「はあ。何をのんきそうに歌ってるの?きもいわね」

    本郷「いや、今大流行のPPAPをさ」

    「おそっ。いまさら?そんなことより直虎の話を進めなさいよ」

    本郷「おやすみ」

    「へ?」

    本郷「いや、だから、一週だけおやすみ。直虎の話はものすごく気を遣うので、リフレッシュ休暇をいただいたんだ。それでご機嫌でね。♪PPAP」

    「あのね……。まあいいわ。でも、そのPPAP、ピコ太郎さんが歌えなくなるかも、って話、知ってる?」

    本郷「なにそれ?どういうこと?」

    「大阪のAという会社が『PPAP』の商標登録を特許庁に出願中で、それが認められると歌えなくなるかもしれないのよ」

    本郷「えー?なんですと?そのAって会社はPPAPとどういう関係にあるのさ?」

    「それが無関係なのよ。A社はその業界では有名らしくてね、流行しそうな言葉はカタッパシから商標登録をして、ビジネスチャンスにつなげようとしているんだって」

    本郷「はあ。そうか。ビジネスチャンスって、要するにお金儲けでしょ。いってみれば、他人のふんどしで相撲をとるわけだよね。あんまり気持ちのいい話ではないなー」

    「そこは同意するけど。でも実は『直虎』にも同じような事態が持ち上がっているのね」

    ◆「直虎」めぐり商標騒動 静岡・浜松VS長野・須坂「直虎といえば井伊直虎」「井伊だけとは納得いかぬ」(→link

    本郷「ありゃあ。そうなんだ……。でも、この話は、悪気があってとか、何か格別な利益をもくろんで、とかの話じゃなさそうだよね。単純に『直虎』がかぶっちゃったんでしょう?話し合って和解するのが大人の知恵だろうね」

    「だいたい、堀直虎ってどういう人なの?話はそこからね」

    本郷織田信長豊臣秀吉に仕えた『名人久太郎』という人がいたでしょ?」

    「堀秀政ね。通称が久太郎。軍事、政治、文化。いろいろな分野に優れていて、なんでもできちゃうものだから、『名人久太郎』のあだ名が生まれたのよね」

    本郷「家来を大事にしていて、人間はどんな人にも必ず役立つ場面があるのだ、と日頃から言っていた。それで家来たちが、Bは陰気で青白くていつも下を向いていますが、あいつは何の役に立つのですか、と尋ねると、うん、Bはお弔いの使者にぴったりではないかと答えたという」

    「なんだかなあ・・・。まあいいわ。大名としては、どこの城主だったんだっけ」

    本郷「小田原攻めの陣中で亡くなるんだけれど、そのときは越前・北の庄18万石だね。それで、跡を継いだ子どもの秀治が越後の春日山30万石に移るんだ」

    「ふーん。すごいじゃない」

    本郷「それでね、秀政・秀治を補佐した老臣が堀直政。あ、そういえば彼も井伊直政と『直政』かぶりだな……。うん、その直政は秀政のいとこで、本来は奥田氏。でも堀の姓を秀政から与えられて、堀直政を名乗った。主家とは別に越後・三条5万石。毛利家の小早川隆景、上杉家の直江兼続とともに、天下の三陪臣(家来の家来)に数えられた要人だ」

    「小早川、直江と並び称されたの。それはすごいわね」

    本郷「うん。それで直政の4男に直重という人がいて、彼が信濃・須坂藩1万石を立ち上げた。政庁は須坂陣屋(須坂市大字須坂)だ。興味深いことにね、須坂の殿様は石高こそ低いものの、江戸時代を通じて大番頭などの幕府の要職に任じた」

    「外様大名だったのでしょ?」

    本郷「分類としてはあくまでも外様だったのだけれど、譜代みたいな扱いだったようだね。それでその須坂藩の第13代の藩主が直虎なんだ」

    「そうなの。やっと出てきたわね、堀直虎」

    本郷「彼は若くして藩政改革を行い、幕府でも重用された。慶応3年(1867年)12月には若年寄兼外国総奉行に就任しているけれど、いまでいうと外務大臣かな。でも翌年の正月に、将軍徳川慶喜に諫言した後、江戸城中で自害して果ててしまった。33歳だった」

    「いったいどうして?」

    本郷「分からないんだ。朝廷に従順であれと説いたとも、まったく逆で、徹底抗戦を主張したとも言われている。なにしろ英明な人物だったようだから、今後の研究が待たれるね」

    「英明って、どんなふうに?」

    本郷「たとえばいち早く英語を習得し、文献の翻訳ができたそうだ。自分の名前も直訳して『ストレートタイガー』って称していたらしいよ」

    「なるほどねー。すぐれたお殿様だったから、地元では今もなお愛されているのかしらね。来年、2018年が没後150年にあたるので、いろいろなイベントが企画されているそうよ」

    本郷「なるほどなー。そうなると、直虎といえば『井伊直虎』だから、商標登録を取り消せ、と言われても、はいそうですかと認められないよなー」

    「答えにくいこと聞いちゃおうか。あなたなら、『井伊直虎』と『堀直虎』、どちらに軍配を上げる?」

    本郷「いやいやいや、それはやめておこう。ただ、二人の性格が異なることだけは指摘しておきたいな。『おんな城主』井伊直虎は小説・アニメ・ゲーム・ドラマなど、フィクションの中では間違いなくヒロインだよね。大河ドラマで知名度も全国区になった。でも確実な資料が残っていないので、そこがつらいところ。肖像画も残されてないし、男性説もくすぶっている。一方で掘直虎は間違いなく幕末の重要人物で資料も残っている。学問的な研究素材としては申し分ない。けれど、知名度がない。ほとんど知られてないよね。まあ、堀秀政じゃないけれど、価値のない人間なんていないんだから、どっちがどうとは言えないでしょう、やっぱり」

    「そうなるとやっぱり、よくよく話し合って打開策を考えてね、ということなのね。ヘンにこじれずに、紳士的におだやかに、ね。うん、よく分かったわ」

    本郷和人東京大学教授
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    東京大学史料編纂所教授。 専門は、日本中世政治史、古文書学。 『大日本史料 第五編』の編纂を担当している。 NHK大河ドラマをはじめ各種の歴史作品や書籍の監修に携わり、今なお数多のメディアで活躍中。 ◆主な著書 『東大生に教える日本史』文藝春秋・2025年 『空白の日本史』扶桑社・2024年 『歴史のIF(もしも)』扶桑社・2024年 『鎌倉幕府の真実』産経新聞出版・2023年 『天下人の軍事革新』祥伝社・2023年 『歴史学者という病』講談社・2022年

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