本郷和人東京大学教授

本郷和人の歴史ニュース読み

花押無き「次郎法師黒印状」と直虎生年の謎~東大教授・本郷和人の歴史ニュース読み

以下の記事にて「次郎法師」という僧侶、尼僧は存在しないのではないか――と指摘した本コラム。

本郷和人東京大学教授
直虎の男説を追う~女説の根拠は? 東大教授・本郷和人の歴史ニュース読み

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果たして井伊直虎は「男なのか? 女なのか?」、あらためて東京大学・本郷和人教授による分析を寄稿していただいた。

歴史学から見て、直虎とは一体いかなる存在なのか?

本郷和人東京大学教授
直虎は男か女か?歴史学から考察だ~東大教授・本郷和人の歴史ニュース読み

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本郷くん1

本郷「えーと、このコラム、どれくらいの人が読んでくれてるのかな。まったく手応えがないんだけれど、まあ、今週もぼちぼちと、脱力しながら行きましょうか」

himesama姫さまくらたに

「はいはい。後ろ向きにならずに、いじけずに、がんばりましょう」

本郷「えーと、前回に『井伊家伝記』は信用度が低い、ということを指摘したよね」

「そうね。井伊直虎の時代から150年後のもの。しかも客観性にこだわる必要のない資料だから、頭から信用するのには問題おおすぎ、という話よね」

本郷「そう。じゃあ、歴史学の復習になるけれども、より信頼できる資料というのは何だったっけ?」

「それは何と言っても、『同時代の資料』よね。直虎が生きてたまさにそのときに作成された資料。具体的に言うと、文書と日記ね」

本郷「その通り。古文書。それに古い日記。これを古記録というのだけれど、この二つが歴史資料としてはとても重要なんだ。『吾妻鏡』のような歴史書は、信頼度から言えばどうしても格下になる。『平家物語』のような文学作品は、さらに下位にならざるを得ない」

「日本史を学ぶ人にとっては常識よね。でも、そうすると、井伊美術館の井伊達夫さんが『直虎は男ではないか』という根拠として使っている資料もまた、信頼性という点では問題があるんじゃないの?」

本郷「そうなんだ。いまネットのニュースを見ていると、直虎が男性かも、という説を取り上げている方たちの論及は、根本的なところに難点がある。つまり、もともと信頼性にクエスチョンマークがつく資料をどんなにいじくったって、正解にはなかなかたどり着けない、ということだ」

「なら、あなたなら、どうするの?批判ばかりしていないで、ちゃんと答えてくれなくっちゃダメでしょう」

本郷「うん。一応、歴史研究者を名乗るからには、たまにはそれらしいところを見せないとね。まあ、能書きは置いておくとして、では何に注目するかというと、直虎が生きていた時代の古文書だ。これをきちんと解釈しなくては」

「あら?直虎関係の古文書って、全然数が足りないんでしょう?」

本郷「うん。でも、だからこそ、その少ない古文書はきちんと読まなくちゃいけない。でね、まず注目したいのが、『龍潭寺文書』中の永禄8年9月15日付けの『次郎法師の黒印状』だ。これは『次郎法師』という人物が差出人となって、井伊谷龍潭寺の利益を保証する文書だ。ということは、この次郎法師はどういう人物と考えることができる?」

「龍潭寺の寺領の収益を保証できる人ということは、龍潭寺周辺の土地を実際に支配している人、実効支配している人ということになるわね」

本郷「その通り。そうすると、その人こそ井伊家の当主である『次郎法師』と解釈して良いはずだね」

「そうね。永禄8年は1565年。直盛の戦死が1560年で、直親の横死が1563年。『女城主・直虎』として、彼女が仕事をしている、と考えてどこがまずいの?」

本郷「いや、大河ドラマだと、彼女は尼になって『次郎法師』を名乗る。それで、還俗して『直虎』になるわけでしょ。そうすると、この文書がある以上、直親が死んで2年後までは、彼女は尼のままということになるよね。この点がまずヘンだ。それから、こうした文書を作成して寺領の収入を保証するのは、世俗の領主の仕事だ。だから、この文書の『次郎法師』は尼さんなんかではなく、俗人であると考えなくちゃならない」

「なるほど。『次郎法師』なんて尼層の名前は聞いたことがない、という前回の指摘を裏付けるかたちになるわけね」

本郷「そう。間違うといけないから、慎重に説明もしておくとね、甲斐の戦国大名が『武田晴信』として政治を行い、その彼が頭を剃って『武田信玄』になり、引き続き領内の政治を担当する。古文書も作成する。これは、あり。だけど、はじめっから僧侶のままで戦国大名になるっていうのは、なし。今川義元ははじめ禅僧で栴岳承芳を名乗っていて、やがて兄弟との戦いに勝利して家督を継ぐ。それで還俗して今川義元を名乗る。家を継ぐには必ず俗人になる必要があるんだね。ああ、安国寺恵瓊が秀吉から大名に取り立てられているけれど、これは例外」

「そうすると、永禄8年の文書を発給している時点で、『次郎法師』は俗人と考えるべきなのね」

本郷「そうなんだ。歴史学の常識からすると、そうなっちゃうね。むろん、安国寺恵瓊みたいな、特殊例だった、という可能性がないではないけれどね」

「ふーん」

本郷「ここまでは歴史研究者なら、まあ95%以上が賛成してくれるだろう事柄。たとえば、公的なテストとして出題して◯、✕をつけても、おかしいじゃないか、なんて問題にならないこと。それで、いよいよここからは、意見が分かれるかもしれないことなんだけれど、ぼくはこの文書で次郎法師が花押を書いてないのが気になるんだ」

「ああ、たしかに『次郎法師』と署名して、黒印は押してあるけれど、花押は書いてないわよね」

本郷「花押=サインというのは、文書の中で、差出人が必ず自筆で書くべきもの。唯一のものだ。逆にいうと、『次郎法師』という署名部分は彼が書く必要はないんだ。文書の文章なんて、そういうのを書くのが得意な、あるいは仕事としている書記官である『祐筆』が書く。祐筆は差出人の名前まで書いておく。それで、そこに差出人が花押を書く」

「現代の組織の責任者が、ハンコを押すようなものね」

本郷「そうだね。そういえば、先日の『英雄たちの選択』という番組で、この文書の『次郎法師』という部分の筆跡と、蜂前神社文書の永禄11年の文書の『次郎直虎』の部分の筆跡を比べてみて、同一人かどうか調べていたらしい。それを聞いたときに、ぼくは正気を疑った。祐筆が書いている可能性が高いんだもの。そんなもの比べたって、同一人かどうかなんて分かりっこないんだよ」

「そのことって、研究者としては常識なの?」

本郷「うん。常識だね」

「あらー。まあ、それはそれとして。花押の代わりに黒印を推したんじゃないの?」

本郷「うん。初めはぼくもそう思った。花押の代わりとして、ハンコを使うようになる。これまた、古文書学では常識だ。でもね、この井伊谷のローカルルールでは、そうでもないようなんだ。龍潭寺が受け取っている文書を見ると、井伊直盛を初めとして、花押を書いて、さらに黒印を押している例が見うけられるんだ」

「となると、『次郎法師』は花押を書くべきなのに、書かなかった、という事態が考えられるわけね。もしそうだとすると、それはどういうことを意味するの?」

本郷「古文書学的にいうと、ズバリ、『次郎法師』が子どもの場合だな。成人になっていない場合だね。この差出人はまだ元服していないので、後見人でありナンバー2である私が花押を書きます、と説明している文書が他の時代、他の地域に存在するんだ」

「ふーん。そうすると、あなたは永禄8年段階で、『次郎法師』が元服前、というふうに考えるわけね」

本郷「そう。そうすると、次郎法師、というへんてこりんな名前も納得できる。これは幼名ではないか。次郎法師丸、だ。なんとか法師という幼名は、織田信長の嫡孫の三法師をはじめとして、普通にいるんだな」

「あ。もし次郎法師が永禄8年にまだ子どもだとするとね、説明がつくことがもう一つあるわよ。だって、現状、井伊直虎は天文5年、1536年前後に生まれたのでは、ということになっているのよね。そうすると、これはもう指摘があるけれど、お父さんの直盛は1526年の生まれだから、彼が10歳の時に直虎が生まれたことになる。これはさすがに早すぎるんじゃないか、って言われてる。永禄8年、1565年にまだ成人してないとすると・・・、あら、当時の成人っていくつくらい?」

本郷「普通は15歳くらいかな」

「かりに13歳だとすると、『次郎法師』は1553年くらいに生まれたことになる。そうすると、直盛が28歳の時の子ども。これは無理がないわね」

本郷「うん。というわけで、今回、古文書を読んで考えたことをまとめると、どういうことになるかな」

「ええと、井伊直盛には28歳の時に誕生した子どもがいた。その子は幼名が『次郎法師』。それで、直盛と直親が亡くなった後、次郎法師は井伊家の当主としての仕事をしている、というところね」

本郷「それで、その『次郎法師』は実は女性だった、と『井伊家伝記』は説明しているんだな。その真偽はまたあとで考えよう。けれど、ここまでの考察からすると、『次郎法師』と亀之丞(井伊直親)が幼なじみ、という事態はフィクションだろうね。二人が許嫁、というのも考えにくい。それから、亀之丞が井伊谷を脱出するのに伴って、直盛の娘が龍潭寺で出家して次郎法師になった、という説明はあり得ないだろうね」

「うーん。『井伊家伝記』、ウソばっかりじゃない。そうすると、肝心の『次郎法師は女性だ』、というのはどうなるの?」

本郷「さあ、それはまたあとのお楽しみ。でも、繰り返して言うけれど、これは歴史学という学問で合理的に考えたときの解釈だからね。大河ドラマでどういう話が展開されても、それは全く構わないんだ。そこは間違えないでね」

「最後にとってつけたような言い訳をしているわね。まあ、だけど、あんまり期待しないで、先を待つことにするわよ。今日はありがとう」

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