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本郷和人歴史キュレーション 江戸

尾張藩主・徳川義直が残した「開かれた学の伝統」/祝・相馬野馬追! 本郷教授の「歴史キュレーション」

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日本中世史のトップランナー(兼AKB48研究者?)として知られる本郷和人・東大史料編纂所教授が、当人より歴史に詳しい(?)という歴女のツッコミ姫との掛け合いで繰り広げる歴史キュレーション(まとめ)。

今週のテーマは「尾張藩主・徳川義直が残した「開かれた学の伝統」/祝・相馬野馬追!」です。

 

【登場人物】

本郷くん1
本郷和人 歴史好きなAKB48評論家(らしい)
イラスト・富永商太

 

himesama姫さまくらたに
ツッコミ姫 大学教授なみの歴史知識を持つ歴女。中の人は中世史研究者との噂も
イラスト・くらたにゆきこ

 

◆愛知)信長・秀吉・家康展始まる 徳川美術館と蓬左文庫 朝日新聞 7月14日

本郷「へー。これは見に行きたいなー。」
「徳川美術館と蓬左文庫って、両方ともに名古屋にあるのよね。尾張徳川家にゆかりある施設であることは容易に見当が付くけれど、両者がどういう関係が知らないのよね。説明していただけるかしら」
本郷「はいはい。徳川美術館は名古屋市東区徳川町にある。公益財団法人の徳川黎明会が運営する私立美術館なんだね。徳川家康の遺品(駿府御分物)を核とし、尾張徳川家伝来の大名道具を展示公開しているんだ」
「徳川黎明会というのは?」
本郷「1931年(昭和6年)、尾張徳川家第19代当主の徳川義親さんによって設立された財団法人なんだ。尾張徳川家所蔵の美術品などの管理と、一般への公開などを目的としている。現在の会長は22代当主の徳川義崇さん」
「一方の蓬左文庫というのは、どういうものなのかしら」
本郷「同じく名古屋市東区徳川町にある、主に尾張徳川家の旧蔵書を所蔵する文庫なんだね。もともとは徳川黎明会が管理していたのだけれども、1950年(昭和25年)に、名古屋市に移管されたんだ。このあと所属は何回か1978年から名古屋市博物館の分館となって現在に至っている」
「なるほど、分かったわ。でも、蓬左(ほうさ)、なんて変わった名前ね」
本郷「そうだねー。蓬左というのは名古屋のこと。熱田神宮の別名を蓬莱の宮っていうんだけれども、その左側にある町、ということで名古屋を蓬左、名古屋城を蓬左城なんていうんだね」
「すてきな名前ね。それで、蓬左文庫の由来はどんなもの?」
本郷「徳川家康の死去に際して尾張・徳川義直に約3000冊の蔵書(駿河御譲本)が分与された。義直はこれを機に、名古屋城内に「御文庫」を創設したんだけれども、それが蓬左文庫の母体になったんだ。尾張藩は好学な藩だったので、歴代藩主によって蔵書の拡充がはかられ、幕末期には約5万点と推定される蔵書数を誇った」
「なるほど。江戸城内の紅葉山文庫のようなものなのね」
本郷「義直は『決して門外不出とするべからず』という方針をのこした。それで江戸時代から公開されていた。そのために失われた本もあるけれども、広く人々の勉学の助けた、すばらしい文庫だよね。本居宣長が『古事記伝』執筆の際、利用したという話もある」
「徳川一族というと水戸光圀が有名だけれども、徳川義直も好学なお殿様だったのね」

本郷「そうだね。彼は家康の九男で、はじめ甲斐25万石を与えられた。七歳の時に尾張藩主となり、60万石あまりを領したんだね。儒教を奨励し、尊皇思想をもったといわれる。なかなかの名君だったようだよ」
「歴代藩主も学問を大事にしたのね。あ、そういえば、現在の河村市長って、有名な学者の家の子孫なんでしょう?」
本郷「そうなんだ。尾張藩士の河村一族は国学者、歴史学者を輩出している。もっとも有名なのは河村秀根(1723~1792)かな。『日本書紀』の研究者として名高いんだ」
「河村市長が名古屋城天守の再建に熱心なのは、そういう下地があるせいかしら」
本郷「あははは。いやあ、それはどうだろうね?」

 

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◆相馬野馬追、戦国絵巻さながらに「神旗争奪戦」 TBS 7月24日

本郷「福島の復興を考えると、野馬追が無事行われたというのは、本当に良いニュースだ」
「そうね。でも、平将門と戦国時代、というのはちょっと整合しないような気がするんだけれど・・・。どういうことかしら」
本郷「ああ、それは戦国大名・相馬家の歴史に関係するんだ。平安時代に相馬庄という広大な庄園があった。いま相馬市は福島県だけれども、相馬庄はどこにあったか知ってる?」
「まっかせなさーい。源頼朝のお父さんの義朝が、相馬庄への乱入事件というを起こしているわね。それで調べたことがあるんだ。たしか現在の流山市、我孫子市、取手市などにまたがるのよね」
本郷「そうだね。相馬庄乱入事件については諸説あるけれど、ぼくはこう思っている。上総氏と千葉氏が相馬庄をめぐって争っていた。義朝は上総氏に加勢して乱入。千葉氏は上総氏の権益を認めざるを得なくなった、と」
「それで時が流れ、頼朝の時代。上総氏は力を持ちすぎて粛清され、相馬庄は千葉常胤のものとなった。そう考えるわけね」
本郷「そう。で、常胤は次男の師常に相馬庄を譲り与える。師常は『私は平将門の系譜を引く者である』と称して、相馬庄の領有を正当化した。実際には平将門の本拠地は茨城県で、相馬庄は南に外れるんだけれども、当時は相馬庄というと、平将門の故地、という認識があったのだろうね」
「それで今でも、野馬追いに際して、将門が持ち出されるのね」
本郷「そういうことだ。それで、師常の子孫は相馬家を名乗るんだけれど、やがて2つに分かれる。本拠を守った下総相馬家と、陸奥に新天地を求めた陸奥相馬家だ。それで福島県の中村に本拠を移した陸奥相馬家が力を得て、下総相馬家は衰えていったんだな」
「なるほどね、普通は地名をもとに家の名が生まれるけれど、陸奥相馬家の場合は、家の名が先にあって、相馬家のいる地域が相馬地方、ということになったのね」
本郷「そうだね。戦国時代になると、相馬家は伊達家などと戦って名を挙げるわけだ。それで中村6万石の大名として生き残ることに成功する」
「いま福島県相馬市には相馬中村城があるけれど、そこがお城ね」
本郷「相馬家は無事に明治維新を迎えるんだけれど、この家をめぐっては、明治時代に問題が生じるんだ」
「あ、聞いたことがある。相馬事件というものね」
本郷「うん。旧中村藩主、相馬誠胤の病気が悪化したとして、1879(明治12)年に家族が自宅に監禁し、後に精神科病院へ入院させた。すると1883年、旧藩士の錦織剛清という人物が主君の病状に疑いを持ち、不当監禁であると家令・志賀直道ら関係者を告発したことから事件が表面化したんだ。告発を行った錦織に対し、世間からは忠義者として同情が集まった。また、後藤新平が錦織を後援していた」
「志賀直道というのは、文豪・志賀直哉のおじいさんよね。『暗夜行路』では主人公は『ぼくは実は父の子ではなく、祖父の子ではないか』と悩むわけだけど、それに関係あるのかな」
本郷「たしか相馬藩の中老職だったかな。当主家の財産をやりくりして一財産築いた傑物だからね。存在感はすごかったんじゃないかな」
「存在感のないあなたとは、真逆よね。じゃあ、また来週もお願いね」
本郷「はいはい」

 

 

 

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