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週刊武春 伊達家

伊達政宗の鷹狩りルールが完全に体育会系の飲み会な件! 仙台藩ブラック企業すぐる

更新日:

世には様々な上司がいて、そのタイプも様々です。

 仕事以外の付き合いも色々あり「今度の週末、ゴルフ付き合わないか」「もう一軒行くぞー!(飲み屋)」など、人によっては思わず遠慮させて下さいと言いたくなる付き合いもあれば、「おごってやるからみんなで昼飯食べに行こう」と言うような、よっ!太っ腹!な上司もいます。

 それでは、こんな上司はどうでしょうか。
 時は元和二年(1616)十二月、空っ風の寒風吹きすさぶ武蔵国(埼玉県)にて書かれた一枚の「掟」から透けて見える、ある大藩の領主の姿です。

 まずは原文から。
陸奥守鷹野之掟

一 供之者以下、所々百姓以下にたいし、慮外有へからす、

一 朝食之上、酒こさかつきにて三益、但、、時に五も、

一 晩二者心次第、但、大酒停止々々、

一 毎日ともに不参者も、むさと不可居事、

一 今度雪風に、おとなけなく、あとに残るもの科代之事、

元和二年極月三日     政宗 花押

 なんとなく雰囲気は察していただけたかと思いますが、次はそれを現代語訳したものを。

陸奥守鷹狩の掟

一 供の者は皆、付近に住まう百姓に対し乱暴を働いてはならない。

一 朝食では、酒は小杯に三杯まで。場合によっては五杯まで良し。

一 晩は好きなだけ飲んで良し。ただし大酒は禁止。

一 供に付いてこなかった者も、ただボサっと屋敷に居てはダメ。

一 今回、風雪に負けて寒いと子供のように駄々をこね、屋敷に残ったものは罰金とする

1616年12月3日      政宗 サイン

 

「飲んだら酔うな 酔うなら飲むな」

 はい、書いた人は仙台藩の伊達政宗公、しかも自筆です。
 書いた当人もきっと狙って書いたのでしょうから、まずは最初の三文字に軽く突っ込んでおきましょうか。
 「陸奥守」って、家中でも身近な者を連れて行く鷹狩に、よその藩とのやりとりや幕府への書状に主に使われる肩書である「陸奥守」を書いちゃうとは、ちょっと仰々しいですよね。

 社内通達や忘年会の連絡メールの一行目に、「仙台楽天大鷹株式会社 社長」みたいに会社名と役職をフルで書いちゃってる感じでしょうか。

 掟その一「百姓に乱暴しない」

これは良いでしょう。本領から離れた飛び地の鷹狩場(武蔵国久喜:現・埼玉県久喜市)に出てきた大名とその一行としては、当然の心構えです。
 しかし、

 その二「朝三杯、場合によって五杯」

 その三「夜は飲みたいだけ」

 って、山に出てる時以外はずっと飲んでいるような気がするのは気のせいでしょうか。
 しかも、飲みたいだけ飲んでいいのに「大酒禁止」とはどういう訳なのか、もしかして書いている時分から酔ってました?と聞きたくなる程の掟その一からのテンションの上がりようです。最早「酒は飲んでも呑まれません!」という酔っぱらいの言い訳のようにしか聞こえません。

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全員出席!仙台藩ってもしかしてブラック企業?

 その四は今回鷹狩について来なかった人へのサボり禁止令

 その五はやはり付いて来なかった人には罰金!という内容です。

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photo by (stephan) 全員出席!

 どうもこの「掟」、鷹狩一行の中で読んで楽しむために作られたものであって、実効性は薄いと思われます。留守を守って罰金を科されたんじゃたまったものじゃありませんよね。鷹狩などのアウトドアが大好きで、寒さなんか全然平気!と言う人には、こんなノリが良くて身分の差などものともせずに一緒にワイワイやってくれる上司は最高かも知れませんね。

 一方、寒さが身に染みる年になった方、そもそも遠駆や鷹狩が嫌いな方(当時だったら武士失格と言われたかも知れませんが)には辛いことこの上ない上司になりそうです。

 当時、寒い、痛い、辛いなどと口に出して言う事は武士として恥ずかしいこととされ、それを指して文中では寒いことを理由に鷹狩のお供に来なかった人を「おとなけ(げ)なく」と批判している訳ですが、現代であれば寒い中喜んで外を走り回っている人の方が「子供みたい」と言われるであろう事を考えると、時代の移り変わりを感じさせられます。

とった獲物はお歳暮に

 ちなみに、この鷹狩でとられた獲物は今晩のおかずになっておしまい、という訳ではなく、政宗自ら穫った獲物として他家への贈答品になったりしています。ただの野遊びでは無かった訳ですね。

 と、まあ「付いて来ない奴もサボるなよ!あと罰金な!」と文中では色々と茶化して言っている政宗ですが、実際に罰金を科した訳でもなく、逆に「寒いから行きません」と事前にお供を辞退する選択肢があったと思われるところが良いですね。現代でも上司からの誘いを断るのは至難の業であるのに、江戸初期の自由闊達な伊達家中の雰囲気が察せられます。
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photo by Nemo's great uncle

ブラックというよりも体育会系政宗部だった仙台藩

 当時「二度言ってできなきゃ斬る」と真顔で言っちゃう人(by細川忠興)もいた江戸初期にあって、政宗は仕えやすい殿様の内の一人だったのではないでしょうか。

 そもそも伊達家の俸給制度は、藩内から集めた税(主に米)を領主が部下に配る直接俸給制ではなく、領主から知行として分け与えられた土地から得られる米を、そのまま禄として自分のものにできる地方知行制を採っていました。
よって、伊達家は伊達藩という62万石の大藩の領主であると同時に、48ある小さな城館(やかた)の領主達が戴く「伊達連邦」の主でもあったわけです。

 そんな所も伊達家の領主が部下を蔑ろにできない理由でもあったのかも知れません。まあ、それが仇となって、戊辰戦争時は藩内の意見を纏められなかった訳ですが……

 筆者としてはこんな殿様が上司だったら楽しいなあと思うのですが、読者の方はいかがだったでしょうか。

 ちなみに、伊達家の正史である「治家記録」を覗くと、同日の記録に「路次中、風雪甚ク、御供ノ者輩迷惑ス(道中の風雪がすごくて、お供の者達が迷惑したよ)」と書いてあることは内緒です(笑)歴史書の中に家臣(付いて行かなかった方の家臣)がこんな風に正直に書けちゃう程、本当に自由な家風だったんですね。

鈴木晶・記

参考文献



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田辺希賢 遊佐木斎 編纂「伊達治家記録」 
岡谷繁実 編「名将言行録」 


							

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