政宗の鷹狩掟書

伊達政宗/wikipediaより引用

伊達家

政宗は理想の上司かもしれない~ノリノリ鷹狩でボケまくった掟書きが最高です

ガチガチの封建制度だった江戸時代と比べ、戦国時代は「主君が絶対!」というワケではありません。

後藤又兵衛基次黒田長政と折り合い悪くて同家を飛び出していますし、藤堂高虎に至っては「主君を変えてこそ武士!」と言い、実際に七度もの転職を重ねました(詳細は以下の記事へ)。

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七度も主君を替えながら家康に信頼された藤堂高虎~元々は豊臣秀長の家臣だった

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しかし、ですよ。

又兵衛も高虎も、凄腕の武将だったからこそ思い切ったことができたわけで。

もしも自分が、織田信長に「◯◯城を一晩で攻略せよ!」と言われたら、死ぬ気で突撃するしかなさそうですし、武田信玄に「◯◯の調略できると言ったよな?」と詰められれば、ガクブルしながら縮み上がるしかなさそうです。

やはり戦国大名とは恐ろしい存在……では、こんな主君はどうでしょう?

 


著者の主は名物大名

時は元和二年(1616年)十二月。

空っ風の寒風吹きすさぶ武蔵国(埼玉県)にて書かれた、一枚の「掟」をご覧ください。

まずは原文から(次に現代語訳)。

陸奥守鷹野之掟

一 供之者以下、所々百姓以下にたいし、慮外有へからす、

一 朝食之上、酒こさかつきにて三益、但、時に五も、

一 晩二者心次第、但、大酒停止々々、

一 毎日ともに不参者も、むさと不可居事、

一 今度雪風に、おとなけなく、あとに残るもの科代之事、

元和二年極月三日

政宗 花押

なんとなく雰囲気は察していただけたでしょうか。

以下が現代語訳です。

陸奥守鷹狩の掟

一 供の者は皆、付近に住まう百姓に対し乱暴を働いてはならない。

一 朝食では、酒は小杯に三杯まで。場合によっては五杯まで良し。

一 晩は好きなだけ飲んで良し。ただし大酒は禁止。

一 供に付いてこなかった者も、ただボサっと屋敷に居てはダメ。

一 今回、風雪に負けて寒いと子供のように駄々をこね、屋敷に残ったものは罰金とする

1616年12月3日
政宗 サイン

はい、著者は仙台藩の名物大名・伊達政宗さん。

しかも自筆です。

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大酒禁止なのに「夜は飲みたいだけOK」って

この掟書き、おそらく政宗さん本人が、ウケ狙いで書いたものであります。

まずは書き出しの三文字に軽く突っ込んでおきますと……。

「陸奥守」

って、いきなり仰々しいんですわ、これが。

今回のシチュエーションは、家中でも身近な者を連れて行く【鷹狩】です。

その連絡の中に、主に他藩とのヤリトリや、幕府への書状で使われる肩書「陸奥守」を書いちゃうってのは、これをボケと言わずして何と言うか。

社内の通達や忘年会の連絡メールで、一行目に「仙台楽天大鷹株式会社 社長」というように、会社名と役職をフルで書いちゃってる感じかもしれません。

お次は……。

掟その一「百姓に乱暴しない」

これは良いでしょう。

本領から離れた飛び地の鷹狩場(武蔵国久喜:現・埼玉県久喜市)に、東北という遠方からやってきた大名とその一行ですので、当然の心構えです。

しかし、次の二つはいったい……。

その二「酒は朝三杯、場合によっては五杯までOK」

その三「夜は飲みたいだけOK」

いやいや、山に出てる時以外はずっと飲んでるんかーい!

しかも、飲みたいだけ飲んでいいのに「大酒禁止」とは一体どういうことなのか。

もしかして、書いている時分からご本人が酔ってたりしてません?と詰問したくなる程、ムズムズする内容です。

「酒は飲んでも呑まれません!」という酔っぱらいの戯言を聞かされてるようだ。

そしてまた四と五が戯れておりまして……。

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