アニィたかはし『大河ブギウギ 光る君へ編』より

光る君へ感想あらすじ

『光る君へ』もしも清少納言がまひろと道長の関係を知ったら「ゲス恋」と鼻で笑う?

2024/04/11

出会ってはいけない二人が恋に落ちてしまい、現実を前にして想い叶わず、それぞれの道を歩んでゆく――。

大河ドラマ『光る君へ』は、まひろ(紫式部)と三郎(藤原道長)の恋を中心に物語が進んでゆきます。

そんな二人の関係を頭から否定しそうな強烈キャラと言えば?

そう、ファーストサマーウイカさん演じる“ききょう”こと清少納言でしょう。

ドラマ第14回放送で、出世のためなら夫も子も捨てる――と高らかに宣言していたききょうにしてみれば、まひろと道長の恋など鼻で笑ってしまう、いわば「ゲスの恋」。

なんて言うと反発されるかもしれませんが、実際の清少納言がそういった記述を残していて、今後ドラマでも同様のシーンはあるかもしれません。

では史実の彼女はどんな風に記録に残していたのか?

ドラマの表現と照らし合わせながら、振り返ってみましょう。

※TOPイラストはアニィたかはしのマンガ『大河ブギウギ 光る君へ編』より

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ゲスにイラつく清少納言

書きっぷりの良い『枕草子』がスカッとするせいか。

現代社会でもファンの多い清少納言。

今も昔も一々キツい言い回しの人はいて、彼女はその典型例と言えるでしょう。

自らが仕えた藤原定子のことは天女か菩薩のように優しいと表現をしますが、他の者に対しては辛辣であり、まず強烈なのがルッキズムです。

基本的に小さなものは全て愛おしく、子どもはカワイイと書き記す一方、ブサイクな子どもについては親が咎めないとイライラすると平気で表現してしまう。

それだけでなく

ブサカップルが真昼間から寝てるとよォ〜、醜くてムカつくよなァ!

寝るなら夜、人目につかないところで寝ろ!

など、現代のSNSならアンチハッシュタグを作られ非難されても全くおかしくありません。

毒舌・清少納言は、ともかくゲスが大嫌いなのです。

「ゲスい」とは、現代人が思うような性格とか性根の問題ではなく、下層階級の者たちが身分をわきまえず、調子こいてるような姿勢や態度を指します。

ゲスと推しが一致するとムカつく!

ゲスの推しは、それだけで価値が下がる!

ゲスに優しい貴公子も評価が落ちる!

ゲスが私の悪口を言っていると、むしろ「よっしゃー!」ってなる!

といった具合です。

そんなききょう(清少納言)ですから、『光る君へ』で、まひろに惚れる道長はその時点でダメダメ。

まひろ自体がお話にならないい身分なのに、それに恋する道長もありえない!となってもおかしくはありません。

史実では、藤原道長やそのシンパと政治的対立はあっても、人間性までは否定をしていなかった清少納言。

彼女が「ケッ」と吐き捨ててしまいそうなのが、ドラマにおけるまひろと道長の秘めた恋でした。

実は彼女自身、さほどの美貌だったとは思えません。

定子の美貌は微細にわたって記し、自分はいまいちだという書きぶりから想像できる。

階級にしても、当時の貴族ランクで考えれば、せいぜい中の下。

いや、だからこそ、他者に対してムカツキも強くなり、余計に厳しい書きっぷりになるのかもしれません。

一応、擁護をすると、当時はルッキズム(容姿至上主義)の強いことが、むしろ常識でもありました。

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さて、ここからはドラマのききょう目線になり、まひろのゲス恋にダメ出しをしてみましょう。

 


ゲスその1「出会いからしてゲスでしょ!」

まひろと三郎(元服前の藤原道長)の出会いは、偶然だった――。

第1回放送で、逃げた小鳥を追いかけたまひろが、身をやつしていた三郎と出会い、物語は始まります。

はい、ここでききょうさんのダメ出し。

「あのさ、出会った時点で、二人とも貴族じゃないと思っていたんでしょ? そんなの野合(やごう)じゃない?」

野合(やごう)とは、まひろも読んでいる『史記』「孔子世家」に登場する言葉であり、当人同士が勝手に結婚することを言います。

まっとうな貴族同士であれば、まずは相手のスペックを確認せねばならない。

・地位
・経済力
・親の勧め

結婚相手に求める基準は当時では重要なこと。そんな大事な手順を踏まず、いきなり出会っていい仲になるなんて、一体なんなのか?となります。

これは直秀はじめ周囲の人が気にしている素振りもありましたね。

当人ですら、相手の身分が判明する前と後では態度が変わっています。

 

ゲス2「顔を見せ合うのがありえない…私もだけど」

道長は、まひろを見て「こんなに笑う女は初めてだ」とまぶしげな表情を浮かべました。

視聴者からすれば、青春そのものといえるでしょう。

しかし、これまたききょうからすれば「ありえない!」となりかねません。

ドラマでききょうが顔を見せていることは作劇上の都合として、当時の上流階級ともなれば、顔を見せることすらしない。檜扇で隠したのです。

何かあると顔が見えてしまう【女房】ですら、はしたないものだとされてきました。

清少納言はそのことに対して苛立ちを感じていることがわかります。

女房なしでは宮中など回らないのに、そのために働く女を「下劣だな」と軽蔑するとは何事か!

藤原行成は清少納言の顔を見ようと興味津々であり、あるとき偶然見てしまうとすっかり打ち解けていきました。

平安時代について、顔を見せ合ったらそれはもう同衾したようなものという説明もあります――そこまで極端ではないにせよ、顔を見せ合ったら相当仲が近いことは確かでしょう。

『光る君へ』では、第6回にききょうが颯爽と登場し、顔を見せていました。

藤原行成もこの漢詩の会にいたため、顔を見ていてもおかしくはありません。そこはあくまでドラマ上での都合です。

 

ゲス3「馬に乗るってありなの?」

左大臣家の姫君サロンで、まひろは「馬に乗ったことがある」と言いました。

これに対し、他の姫君たちは「山賊のようだ」とはしゃいで、先生役の赤染衛門がたしなめています。

当時の女性は、馬に乗ったのか?

というと階級次第です。

日本が手本とした唐では女性が活発であり、政治力だけではなく、服装や活動そのものにも反映されています。

『光る君へ』の第6回で注目された「打毱(だきゅう)」についても、唐の女性は観戦するだけではなく、自ら行うこともありました。

◆打毱婦人俑(→link

まひろたちが生きている舞台では【遣唐使】も途絶えて久しく、都では【国風文化】の時代を迎え、唐の女性のような活発さは手本とされなくなっています。

むしろ馬に乗る女性は野蛮で、アウトローの香りがするほど。

『今昔物語』には山賊の話が出てきて、そこには女性のメンバーもいたものです。

【女騎】という呼び方もあります。

女性が馬に跨り、戦うことはあった。巴御前は例外的な存在というより、最も有名な【女騎】と表現することもできますね。

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史実はさておき、ドラマのまひろに【女騎】ルートがないとはいえません。

散楽で義賊の一員であった直秀に、都を出ないかと誘われた時。

父・藤原為時が官職を失ったあと、働かねばならないと思い詰めていた時。

いずれも大胆な発想の転換ができれば、なかった道とはいえません。

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ゲス4「蕪を洗う女に惑う心ってゲスにもほどがある!」

筒井筒の歌で知られる『伊勢物語』第23段をご存知でしょうか。

隣同士に住むある男と女は、幼いころから顔見知りだった。それが年頃になり、だんだんと二人に恋が芽生え、そして結ばれる。

そんなロマンチックな話でしたが、結局この二人は破局してしまう。男が通わなくなったのです。

そのきっかけは?

女が自分でしゃもじを使い、ご飯を茶碗に盛ったから――。

え? 何それ?

と、現代人ならば愕然とすることでしょう。一体どんな理屈だったのか……というと様々な解釈ができます。

まず、平安時代の上流階級ともなれば、生きるための排泄や食事は隠したがる。

美女は、生命維持過程を見せるんじゃない!という一種の美学なのでしょう。

男性はまだいい。家族や同性同士であればまだいい。しかし、思い人の前では見せてはならない! そんなルールですね。

昭和の時代、好きな女の子が検尿検査を提出していると、ショックを受ける少年がいました。

「あの子も排泄するんだ……」

当たり前じゃないか。何を馬鹿なことを言ってんだ! と、突っ込みたくなりますが、そんなあるあるネタだったのです。

逆転の発想として、『今昔物語』には、好きで好きで仕方ない相手の排泄物を盗むことで幻滅しよう、嫌いになってしまおうとする変態エピソードもあります。

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排泄が出すことならば、体内に入れる食事もタブーです。特に上流女性は、ものを食べることを婉曲的に表したほど。

『鎌倉殿の13人』では、主人公の義時が愛する女性にやたらと食べ物を送っていましたが、京都からすれば蛮族のやり口。

彼らなら、まず和歌でアプローチすることでしょう。

いずれにせよ、生命維持活動を見られただけで幻滅する時代に、道長は、まひろが家事をこなす姿を盗み見しました。

水仕事で蕪を洗うという、生活そのものの姿。

洗った蕪を調理し、食べる女。

そんな女を見て興奮する男……もう、ありえないゲスの極みです。

まひろにしてみれば、そんなこと意図したわけではないにせよ、見られたことは確かであり、それを見て興奮する道長もどうなのか。

ききょうのセンスからすれば「もう道長様も完全に幻滅だわ!」となってもおかしくない話でしょう。

そしてその夜、密会したまひろと道長が結局、決裂してしまう姿を見たら、ききょうとしては「当たり前でしょ! ゲス女が調子こくとかありえないんだけど!」と鼻で笑いそうな話であるのです。

ききょうこと清少納言は、平安時代のセンスを極めた人です。

彼女は、紫式部の夫であり、ドラマでは佐々木蔵之介さん演じる藤原宣孝にもキツいことを記しているんですね。

いったい何なのか?

というと、『光る君へ』の第13回放送で、ド派手な衣装を着ていたシーンを思い出してください。

アニィたかはし作「まんが大河ブギウギ 光る君へ編第13回」より(→link

こちらのマンガは本サイトの連載『大河ブギウギ 光る君へ編』(アニィたかはし作 →link)からお借りしたものですが、清少納言はこの衣装にもツッコミを入れていた。

それは次のような感じです。

 

ゲス番外「TPOをわきまえない奴は話にならない」

藤原宣孝とその息子がありえないんだよね。

御嶽詣は「シックな服装にしましょう」っていうルールがあるでしょう。

それをあの親子はド派手なセンスだったんだよね。他の参拝者が「なにあれ……」って振り向くほどすごかったって。

「御嶽は服装にゴチャゴチャ言わないでしょ!」

なんて言ってたみたい。

で、除目で筑前守になったら「ほら、言ったとおりだ! 派手さアピールのおかげだ」と話してたんだってさ。

どういう男なのよ。

夫である藤原宣孝を非難するような記述に、紫式部はイラッとして、清少納言を貶したともされます。

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紫式部が清少納言を嫌ったとされる理由の中で、最もわかりやすい例でしょう。むろん二人には政治的な背景だけでなく、信念や相性もあるでしょうから、実際のところは不明ですが、かなり辛辣なのは間違いない。

どうやら清少納言は「空気を読むふるまい」を重視するようです。

と、同時に同族嫌悪の気配もします。

彼女自身も皮肉屋で、相手の度肝をつき、意表をつくことでセンスをアピールしていることは明らかです。

紫式部からすれば「お前が言うな」となっても全く不思議はありません。

ここまで清少納言がダメ出ししそうなものばかりを見てきましたが、それだけでもなんですので、彼女が称賛するような当時の“良いセンス”にも注目してみましょう。

 


黒髪

平安時代中期の女性は、髪の長さと美しさが問われる時代でした。

女性が髪を伸ばす文化圏は多くあります。

しかしまとめることが多く、垂らしたままの状態は珍しい。

理由は単純、邪魔なのです。日本でも長く垂らす髪が続きながら、江戸時代半ば頃からようやく結いあげるようになりました。

髪が長いと洗うのも一苦労です。

なんせ一日中けて、洗髪のために休まねばならないほど。

髪を垂らし続けた結果、女性のヘアアクセサリーは江戸時代にかんざしが用いられるまで、長らく廃れていました。

当時の髪の毛は、黒く、長いことが重要です。

清少納言はくせ毛であることが悩みだったそうで、『光る君へ』のファーストサマーウイカさんは、ウィッグをつけない地毛をはねて、その癖毛を表しているそうです。かなりのこだわりポイントだとか。

あるいは『平清盛』の平滋子は、強いくせ毛の設定でした。

ただ、かもじもつけているように思えますし、平家で財力があれば、もっときっちりしたかもじを用意できた気もします。

滋子の婚礼衣装は、宋代の服装とされますが、色が白とピンク。中国での婚礼衣装は赤であり、白は喪服ですので、むしろ不吉に思えてしまい残念な設定でした。

宋服でくせ毛をカバーする意図があったそうですが、中国でもくせ毛はあまり好まれておらず、不美人とされる人物はわざわざ「くせ毛であった」とされることもしばしばあります。

2011年の『平清盛』と比べると、2024年の『光る君へ』は宋服考証もかなり向上したことがうかがえます。

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指先

中宮定子に初出仕したとき、清少納言は、指先のあまりの美しさに感動しました。

清少納言ですら初めてのことで緊張してガチガチになっていると、定子がそっと絵を差し出してきた。

そのとき、袖から薄紅でつややかな指先が!

なんて美しい……清少納言はそう感激し、定子に心を掴まれたのでした。

いやいや清少納言がただの指フェチか、定子のことを好き過ぎるだけでは?

と突っ込みたくなるかもしれませんが、これにも当時の事情があります。

女性はなるべく袖から指を出さないようにしていたのです。だからこそ、垣間見える指先に感動してしまった、と。

言われてみれば、上流の女性は指をあまり見せません。『光る君へ』では衣装の重さだけでなく、指を隠すことにも出演者は苦労しているそうです。

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香と体臭

ドラマでも、文字の上でも、表現が難しいのが香り。

ゆえに想像力を働かせていただきたいのですが、とにかく平安時代は入浴が大変です。

その体臭を隠すために香を炊いた……なんて言うと、いささか嫌な気持ちになるかもしれません。

しかし、目的はそれだけではありません。

当時は照明が暗い。真夜中に忍んで行くと、視覚以外の感覚が重要となる。

そこで出番となったのが香です。

肌や汗と混ざり合った香りは、当時の人にとって忘れ難いものでもあります。工夫をこらし、香を衣に焚きしめ、愛の記憶と結びつけてきた。

こうした香の調合は秘伝であり、各家が受け継いできました。

『源氏物語』でも女君たちが香を調合し競う場面が出てきます。

例えば『源氏物語』でも、光源氏が空蝉の脱ぎ残した単衣のにおいを嗅いでいます。

イケメンにしちゃ気持ち悪いな……と感じる方もいたかもしれませんが、香の意味合いを知っていれば理解しやすいことでしょう。

体臭が魅力的とされる例もあります。

平安貴族にもおなじみ、絶世の美女である楊貴妃は『長恨歌』で入浴する様が描かれています。

彼女は体臭が濃く、それを隠すために特別な香を身につけていた。それが元々の体臭と入り混じって、それはもう魅力的であったとか。

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『源氏物語』「宇治十帖」には、薫と匂宮という貴公子が登場します。

いつもニオイがするのがいい男ってどういうことなのよ、と困惑されるかもしれませんが、当時からすれば素晴らしい魅力だったのです。

 

持ち物のセンス

現代は、容姿で人を判断する「ルッキズム」が嫌われる時代です。

人を褒めるのはどうすればよいか?

というと、無難なのが持ち物や服のセンスを褒めること。

「今日の服はとてもお似合いですね」

「そのピアスはどこで買ったの? すごく素敵です」

こうした褒め方ならばセンスを誉めるからよいとされ、平安時代も多いにアリです。持ち物ひとつに品や財力が発揮されるからです。

『源氏物語』では、着ている服装や調度品まで記載され、各人物のセンスが表されました。

単に資産家であればよいのではなく、調和やテーマが重視されます。

容姿も受け答えもハズレとされる末摘花は、このセンスもともかく悪いとされました。

例えば彼女は「黒貂の毛皮」を大事にしています。

かつては貴重品でしたが、当時としては古臭い――そんなズレたものを大事にしていることそのものが残念だという描き方でした。

紫式部だって、持ち物のセンスが大事だということくらい理解しています。

そんな彼女が「参詣にありえない服装だった藤原宣孝ってさあ〜」とけなす『枕草子』を読めば、そりゃあ不愉快だったことでしょう。

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恋文

恋文は歌だけでなく、筆跡や紙のチョイスも問われます。

藤原寧子(藤原道綱母)が藤原兼家から求婚された際、そのセンスが全ていまひとつであり、彼女には困惑もあったとか。

しかし兼家の身分が高いから、断る選択肢は実質的になく、親の期待もあって求婚を受け入れました。

そんな兼家への失望を『蜻蛉日記』に記す彼女からは「恋文の第一印象からして残念だった」と言いたいような気持ちも感じさせます。

ただし、なんだかんだで兼家のことを愛していたとは思えます。

兼家の姿を見た時、そのファッションセンスにぼーっとしてしまったことも記されていますから。

 

筆跡

『光る君へ』の道長は、いつも残念フォントを使用しています。

これも史実準拠で、いつかまひろが恋文を読み返し、フッと笑い飛ばせる日が来るかもしれません。

情熱的なことを書いているようで、結局は字が汚いわ……墨もちゃんと擦ってなさそうだし、仲のいい能書家の行成に指導を頼んでみたら?

と思ってしまい、急激に恋が醒めることもありえるかもしれません。

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教養や音楽センス、そして才能、天命

『源氏物語』の光源氏は、かなり酷い言動があります。

ただし、貴族としてのスペックは最強。

学問にせよ、音楽にせよ、ありとあらゆることをすぐにこなし、教師たちが「こんな天才に指導できるなんて幸せです」と言いだすほどの設定です。

一方で息子の夕霧は「中の劣り」と評されています。

太政大臣まで上り詰めるほどの人物ですが、彼は努力が必要な秀才型でした。光源氏という天才と比較すると劣るということですね。

天才の光源氏だからこそ、恋愛にうつつを抜かしていても出世できるのだとすれば、なかなか厳しい世界観ではありましょう。

ちなみに、この教養についていえば『源氏物語』には奇妙な特徴があります。

光源氏にせよ、頭中将にせよ、漢籍教養は豊かです。

しかし、その道のプロである博士のような人物は、堅物で時代遅れ、コケにされる造型にされています。

父である藤原為時を反映しているのか。

紫式部のなかなか複雑な性格が感じられます。

なお、ドラマでも活躍し、史実でも紫式部の同僚であった赤染衛門の夫・大江匡衡も漢籍のプロでした。

 

あえてはみ出すセンスも大事

清少納言は、機転により「少しはみ出すことでアピールする」ことが得意。

一方の紫式部は、わきまえて常識的なキャラクターであるとされます。

果たしてそれは正しいのか。

『源氏物語』には、当時の貴族社会を俯瞰して冷徹に観察し、これではよろしくないと判定を下しているような、批判精神も見いだせると指摘されます。

なによりも理想のハイスペ貴公子である光源氏のことを、作者は手放しに賞賛していないと思える箇所が散見されるのです。

『枕草子』が都会的なセンスの中ではみ出す一方で、『源氏物語』はさらに大きくはみ出しているのかもしれない。

そうした感覚が、『光る君へ』というドラマには反映されているのかもしれません。

まひろの物語は、ときに当時の貴族のものからはみ出します。

もしかしたら、その逸脱にこそ本質があるのかもしれません。

ききょう目線でダメ出しをしつつ、まひろ目線で反論することで、当時の社会が、人間が、もっとより深く見えてくるのかもしれません。

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【参考】
光る君へ/公式サイト

【参考文献】
高木和子『源氏物語を読む』(→amazon
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(→amazon
『枕草子』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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