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【ききょうが斬るまひろと道長のゲス恋】
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ゲス3「馬に乗るってありなの?」
左大臣家の姫君サロンで、まひろは「馬に乗ったことがある」と言いました。
これに対し、他の姫君たちは「山賊のようだ」とはしゃいで、先生役の赤染衛門がたしなめています。
当時の女性は、馬に乗ったのか?
というと階級次第です。
日本が手本とした唐では女性が活発であり、政治力だけではなく、服装や活動そのものにも反映されています。
『光る君へ』の第6回で注目された「打毱(だきゅう)」についても、唐の女性は観戦するだけではなく、自ら行うこともありました。
◆打毱婦人俑(→link)
まひろたちが生きている舞台では【遣唐使】も途絶えて久しく、都では【国風文化】の時代を迎え、唐の女性のような活発さは手本とされなくなっています。
むしろ馬に乗る女性は野蛮で、アウトローの香りがするほど。
『今昔物語』には山賊の話が出てきて、そこには女性のメンバーもいたものです。
【女騎】という呼び方もあります。
女性が馬に跨り、戦うことはあった。巴御前は例外的な存在というより、最も有名な【女騎】と表現することもできますね。
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史実はさておき、ドラマのまひろに【女騎】ルートがないとはいえません。
散楽で義賊の一員であった直秀に、都を出ないかと誘われた時。
父・藤原為時が官職を失ったあと、働かねばならないと思い詰めていた時。
いずれも大胆な発想の転換ができれば、なかった道とはいえません。
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ゲス4「蕪を洗う女に惑う心ってゲスにもほどがある!」
筒井筒の歌で知られる『伊勢物語』第23段をご存知でしょうか。
隣同士に住むある男と女は、幼いころから顔見知りだった。それが年頃になり、だんだんと二人に恋が芽生え、そして結ばれる。
そんなロマンチックな話でしたが、結局この二人は破局してしまう。男が通わなくなったのです。
そのきっかけは?
女が自分でしゃもじを使い、ご飯を茶碗に盛ったから――。
え? 何それ?
と、現代人ならば愕然とすることでしょう。一体どんな理屈だったのか……というと様々な解釈ができます。
まず、平安時代の上流階級ともなれば、生きるための排泄や食事は隠したがる。
美女は、生命維持過程を見せるんじゃない!という一種の美学なのでしょう。
男性はまだいい。家族や同性同士であればまだいい。しかし、思い人の前では見せてはならない! そんなルールですね。
昭和の時代、好きな女の子が検尿検査を提出していると、ショックを受ける少年がいました。
「あの子も排泄するんだ……」
当たり前じゃないか。何を馬鹿なことを言ってんだ! と、突っ込みたくなりますが、そんなあるあるネタだったのです。
逆転の発想として、『今昔物語』には、好きで好きで仕方ない相手の排泄物を盗むことで幻滅しよう、嫌いになってしまおうとする変態エピソードもあります。
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排泄が出すことならば、体内に入れる食事もタブーです。特に上流女性は、ものを食べることを婉曲的に表したほど。
『鎌倉殿の13人』では、主人公の義時が愛する女性にやたらと食べ物を送っていましたが、京都からすれば蛮族のやり口。
彼らなら、まず和歌でアプローチすることでしょう。
いずれにせよ、生命維持活動を見られただけで幻滅する時代に、道長は、まひろが家事をこなす姿を盗み見しました。
水仕事で蕪を洗うという、生活そのものの姿。
洗った蕪を調理し、食べる女。
そんな女を見て興奮する男……もう、ありえないゲスの極みです。
まひろにしてみれば、そんなこと意図したわけではないにせよ、見られたことは確かであり、それを見て興奮する道長もどうなのか。
ききょうのセンスからすれば「もう道長様も完全に幻滅だわ!」となってもおかしくない話でしょう。
そしてその夜、密会したまひろと道長が結局、決裂してしまう姿を見たら、ききょうとしては「当たり前でしょ! ゲス女が調子こくとかありえないんだけど!」と鼻で笑いそうな話であるのです。
ききょうこと清少納言は、平安時代のセンスを極めた人です。
彼女は、紫式部の夫であり、ドラマでは佐々木蔵之介さん演じる藤原宣孝にもキツいことを記しているんですね。
いったい何なのか?
というと、『光る君へ』の第13回放送で、ド派手な衣装を着ていたシーンを思い出してください。
こちらのマンガは本サイトの連載『大河ブギウギ 光る君へ編』(アニィたかはし作 →link)からお借りしたものですが、清少納言はこの衣装にもツッコミを入れていた。
それは次のような感じです。
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藤原宣孝とその息子がありえないんだよね。
御嶽詣は「シックな服装にしましょう」っていうルールがあるでしょう。
それをあの親子はド派手なセンスだったんだよね。他の参拝者が「なにあれ……」って振り向くほどすごかったって。
「御嶽は服装にゴチャゴチャ言わないでしょ!」
なんて言ってたみたい。
で、除目で筑前守になったら「ほら、言ったとおりだ! 派手さアピールのおかげだ」と話してたんだってさ。
どういう男なのよ。
夫である藤原宣孝を非難するような記述に、紫式部はイラッとして、清少納言を貶したともされます。
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紫式部が清少納言を嫌ったとされる理由の中で、最もわかりやすい例でしょう。むろん二人には政治的な背景だけでなく、信念や相性もあるでしょうから、実際のところは不明ですが、かなり辛辣なのは間違いない。
どうやら清少納言は「空気を読むふるまい」を重視するようです。
と、同時に同族嫌悪の気配もします。
彼女自身も皮肉屋で、相手の度肝をつき、意表をつくことでセンスをアピールしていることは明らかです。
紫式部からすれば「お前が言うな」となっても全く不思議はありません。
ここまで清少納言がダメ出ししそうなものばかりを見てきましたが、それだけでもなんですので、彼女が称賛するような当時の“良いセンス”にも注目してみましょう。
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