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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

実は遊び人の野口英世と彼を支えた人々 偉業は一人にして成らず――

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人間誰しも長所と短所がありますよね。
伝記が書かれているような偉人たちだとついついそのことを忘れてしまいますが、もちろん彼らにだって恥ずかしい性癖やろくでもない悪癖の一つや二つはありました。
当コーナーでこれまで扱った人でいえば、ナポレオンは体臭フェチでしたし、モーツァルトはとんでもなく下品なジョークが大好きだったとか(お食事中の方すみません)
となるともちろん、我が国の偉人にも一つや二つや三つほど欠点があってもおかしくはないわけで。
本日はそんなお話です。

 

11月9日、野口英世会津で生誕

明治九年(1876年)11月9日、野口英世が誕生しました。現在の千円札の人ですね。そういう意味では、今日の日本で最も顔を見られている人といっても過言ではないでしょう。

古くから伝記も書かれていますし、多分だいたいの方が「小さい頃手に大火傷をしたが、手術によって回復し、後に素晴らしい医師になった」ということまではご存知だと思いますので、今回は彼の一生を”欠点”という面から見ていきたいと思います。
……予め申し上げますが、決して福島の偉人をpgrしようとかsageてやろうとかディスろうという目的ではございません。悪しからずご了承ください。

さて、彼は現在の福島県の農家に生まれました。長男だったので、普通ならそのまま家業を継いで畑仕事に勤しむことになっていたでしょう。
しかし1歳にもならない頃、家の囲炉裏に落ちて左手の指がくっついてしまうほどの大火傷を負います。聞いてるだけでいてえ。
それに乳飲み子の状態では例え自業自得とはいえ全く記憶がなかったでしょうから、これは後々まで大きなトラウマになってしまいます。物心ついたころにはすっかりコンプレックスになっており、お姉さんとのケンカのタネにもなったとか。

それを見て不憫に思った母・シカは、英世が小さい頃から「学問で身を立てなさい」と言い聞かせて育てました。決して生活は裕福でないだけに、よくこの発想が出てきたものです。シカは後々高齢になってから一生懸命勉強して読み書きを身につけていますので、地頭の良い人だったのでしょうね。
この頭脳は英世にも受け継がれたようで、母の方針に従って現在の小学校・中学校にあたる学校で優秀な成績を修めます。

母・シカと野口英世/wikipediaより引用

 

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不自由な手を手術してくれた医師を見習い医術の道へ

また、この頃課題の作文を「この左手が苦痛で仕方がない」というテーマで書き、クラスメイトや先生から大きな反響を受けました。それまで何も感じてなかったのかとかツッコミたくなりますが、多分英世自身は何でもないように振舞っていたか、あまりその話をしたがらず、周囲に伝わっていなかったのでしょうね。ままあることです。

そして皆が「会津若松にいい医者がいるっていうから、手術してもらえるようにお金を出そうじゃないか!」と言ってくれたおかげで、英世は最初の手術を受けることができました。

このとき執刀したのはアメリカで西洋医学を学んできた渡部鼎(かなえ)という人物で、英世は学校を卒業してからしばらく彼の医院で医学を学ぶことになります。完璧ではなかったものの、少しでも左手の指を動かせるようにしてくれたのですから、感激も感謝もしていたでしょうしね。

また、当時は医大やそれに順ずる学校がまだ整備されていなかったので、国内で医学の道へ入るには、既に医師になっている人物の元で学ばなければなりませんでした。この辺はまだ江戸時代とそう変わりませんね。
そしてライフワークとなる細菌学の世界を知るわけですが、英世のカッコ悪いところが出てくるのはそのあたりからです。

 

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豪傑!医師の試験のために借りた大金を女遊びに使いきる!

当時は医術開業試験という試験に合格しないと医師として認められないことになっていたのですが、これは筆記試験と臨床試験の二段階に分かれていました。英世は東京で受験するため、知人や先生から大金を借りて上京します。
筆記試験については難なくクリアできたのですが、なんと英世はここで在京費用のほとんどを使い切ってしまったのです。使った内容といえばズバリ女遊びでした。残念すぎる。

しかし彼はそんなことでは諦めません。渡部を通して知り合っていた血脇守之助という人物から援助を受けて、学費や滞在費用を捻出します。
当時そんな余裕のなかった血脇に、昇給の交渉をさせてまでお金を借りたあたりがもう「これはひどい」としか。
後々アメリカ滞在中に血脇へ「あなたに受けた恩は決して忘れません」と言っていて、いろいろ便宜を図っていたりするので、「金せしめてやったぜゲヘヘ」なんてゲスの極みみたいなことは思ってなかったようですが。

血脇守之助/wikipediaより引用

そしてなんとかお金の都合はついたのですが、ここでまたしても左手が英世を苦しめます。
お医者さんに行ったとき、先生が「痛いのはこの辺ですか?」と言ってお腹などをポンポンと叩くことがありますよね。あれを”打診”というのですが、指が切り離せたとはいえ普通の人と同じようには動かしにくかった英世にとって、これは至難の業だったのです。そして臨床試験ではこれが必須でした。
そのため、臨床試験を受ける前に左手をどげんかせんといかんということになったわけです。幸い、血脇の紹介で優秀な医師に無償で(!)二回目の手術をしてもらうことができ、英世の左手はそれまでよりも良く動くようになりました。えがったえがった。
臨床試験にも無事合格し、晴れて医師を名乗れるようになります。

 

北里柴三郎の研究所へ

が、やはり資金難と左手のコンプレックスは解消できず、英世は開業医にはなりませんでした。その代わり、兼ねてから興味を持っていた細菌学の学者になろうと考えます。
医師免許取得後、まずは順天堂医院(現在の順天堂大学付属順天堂医院)で働き、その後、細菌学の第一人者・北里柴三郎が所長を務めていた研究所へ入りました。

北里柴三郎/wikipediaより引用

全ての時期で最近の研究ができたわけではありませんでしたが、語学が得意だったことから外国の本や文書の翻訳や通訳を任されたりと、西洋医学に触れる機会をたくさん得ることができたようです。
その縁を利用して、あるときアメリカから来た医学博士に「アメリカへ留学したいんですが、どうしたらいいでしょうか」と相談しました。そのときは即座に渡航することはできませんでしたが、可能性がゼロではないことを知った英世は、あらゆるチャンスを探して留学の道を探ります。
一時清(当時の中国)に渡って医療活動に従事していたこともあり、そのときも上記の博士に留学の希望を伝えています。
この頃にはかなりお給料をもらえていたようなのですが、やっぱり女遊びその他で使い果たしてしまい、結局留学への道が遠のいてしまうんですけども。先生何やってんすか。

 

ほぼ結婚詐欺でアメリカ留学費用をゲット

結果的には渡航費用も用意でき、無事アメリカに留学してより高度な知識を身につけたのですが、この費用の調達方法が実にヒドイ。
何と、するつもりのない婚約をして、相手の持参金を使ってアメリカに渡ったのです。どう見ても結婚詐欺ならぬ婚約詐欺です、本当にありがとうございました。
相手は当然「いつ帰ってくるんですか、本当に結婚してくれるんですよね」と催促の手紙を何度も送ってきましたが、英世はのらりくらりと言い訳を続けて破談にするという最低なことをしています。
それでいて後にはアメリカ人の女性と結婚しているのですから、もう何というか女性関係についてはサイテーやな。そもそも英世が散財しなければこの婚約をする必要もなかったわけで、その点については弁護のしようがありません。
本題に関係ないためか、彼の伝記などではこの点が省略されていますけども。情操教育的にマズイからですかね?
医学に対する情熱がホンモノで実績も残しているだけに、この点については残念としか(´・ω・`)

でも、そのくらい長所と短所の落差が極端だからこそ人間なのかもしれませんね。
これで性病の類で亡くなっていたら良いオチが付いたんですが、皆さんご存知の通り英世の死因は黄熱病の研究に熱中しすぎたために、自らも感染してしまったというものですし。

「自分はどうしようもない悪癖があるからロクデナシなんだ!何をやってもダメなんだ!」なんて思っている人もたまにいますけれど、もしかしたら英世のように、何か突出した分野で歴史に名を残せるかもしれませんよ?
うまく見つけられるかどうかは賭けですが、一度きりの人生ですから勝負に出てみるのも良いのではないでしょうか。

長月 七紀・記

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【参考&TOP画像】野口英世/wikipediaより引用

 




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