第二次世界大戦でイギリス軍とフランス軍が対決した「メルセルケビール海戦」 なぜ連合軍同士で戦闘を?

 

戦争や政争では、ときに常識に外れな行動をせねばならないことがあります。いわゆる「奇策」というやつです。

基本的には味方や自国の損耗を少なくするために行うものですが、何事にも例外はつきもの。後世から見ると「なぜその方法を選んだ」とツッコミたくなるようなものもあります。
本日はその一つ、近年の戦争で用いられたとある作戦のお話です。

1940年(昭和十五年)7月3日は、第二次世界大戦の局地戦の一つ・メルセルケビール海戦があった日です。

なんとなくドイツを彷彿とさせる響きですが、ここは当時フランスの植民地になっていた、アルジェリアの地中海側にある地名。ググるマップだと「メルス・エル・ケビール」となっているのですが、戦闘の名前としては「メルセルケビール」で書かれていることが多いようなので、後者で統一させていただきますね。

砲火を浴びる仏国の戦艦「ストラスブール」/Wikipediaより引用

 

フランス政権がドイツの支配下にあったため……

メルセルケビールで戦ったのは、イギリスとフランスでした。

「あれ? 第二次世界大戦のイギリスとフランスって連合国同士で味方じゃないの? なんで同士討ちしてんの??」

と思った方がたくさんいらっしゃるでしょうね。これには、当時の戦況が大きく関係しています。

当時フランスは、ドイツに侵攻されて降伏したばかりでした。
和平派だった副首相フィリップ・ペタンがヴィシーという町に政権を作り、ドイツの支配下にあったのです。教科書でも太字になっている「ヴィシー政権(政府)」ですね。
ここまでの戦闘で英・仏両軍に30万人もの犠牲が出ていたこともあり、これ以上の犠牲が出ない道を選んだペタンを、フランス国民は歓迎します。
表向きだけでもそうしておかないと、自分たちの命が危ないですからね。

が、海の向こうからこれを苦々しく見ていた人がいました。イギリス首相ウィンストン・チャーチルです。「フランス海軍がドイツのものになったら、ウチの補給線が危ないじゃないか!」というわけです。

ここは世界地図を見ていただくのが一番わかり易いかと思います。

 

地中海の拠点は絶対守らねばならない事情

当時イギリスの植民地だったインドやオーストラリア・ニュージーランドと連携するには、地中海からエジプトのスエズ運河及び紅海を通る航路(今風に言えばシーレーン)を確保しておかなければなりません。
そして、メルセルケビールはまさにこの航路の途中にありました。

もしもメルセルケビールを含めた地中海のどこか一ヶ所でもドイツに占拠されてしまえば、イギリスは非常に苦しい状況に追い込まれます。そこで、「やられる前にやれ!」という理由で地中海のフランス海軍を叩きのめしてしまおう、と仕掛けたのがメルセルケビールの戦いです。

……攻め込めるほど近くまで行けるのなら、買収なり調略なり乗っ取るなり、犠牲が少なくなるような方法でイギリス軍のものにすることもできたと思うのですが……なぜそこでいきなり殴りかかるほうを選ぶのでしょうか(´・ω・`)

ちなみに、後にフランス首相となるシャルル・ド・ゴールはこの時点でロンドンに亡命しており、ラジオでフランス国民に呼びかけていました。もちろんチャーチルの同意済みです。
つまりド・ゴールとチャーチルの間でそれなりに話し合いがあって、この作戦が決行された可能性が高いことになりますよね。ド・ゴールが現地に行って説得するなり蜂起を促すなりすれば、貴重な艦船をわざわざ海の藻屑にしなくて済んだんじゃ……という気もします。
フランス本土の軍はドイツの支配下にありましたが、フランスの植民地にいた軍はド・ゴールの自由フランスにつくことも考えられたわけですし。

まあ、フランスがドイツの占領下になったということは、イギリス本土に上陸されるのも時間の問題ですから、悠長なことを言っていられない、というのが一番の理由だったかもしれません。
この時点では誰もド・ゴールが首相になるなんて思っていなかったでしょうし、当時彼の影響力がそこまで大きいわけでもないですしね。

 

「……どれも嫌? よろしい、ならば戦闘だ」(超訳)

そんなこんなで、メルセルケビールのフランス軍をどうにかするために、イギリス軍は地中海へやって来ました。

そして一応、イギリス海軍の指揮官は、メルセルケビールのフランス軍に向けて、

「今こっちにつけば砲撃するのは勘弁してやんよ!
もしくはアメリカに行って俺らの邪魔にならないようにするか、自ら船を沈めてもいいよ?w
……どれも嫌? よろしい、ならば戦闘だ」(超訳)

とは通達しておりました。

既に本土のヴィシー政権がドイツの傘下に入っている状態で、ここでイギリスにつけば、自分たちがドイツから攻撃を受けるかもしれません。
しかし、ついこの前まで友軍だったイギリスと即座に交戦する……という思い切りの良すぎる選択ができる人は、フランス海軍にはおりませんでした。

そして煮え切らない様子にしびれを切らしたイギリス軍は、「構わん、やれ!」と攻撃を始めてしまったのです。

イギリス艦隊からの砲火を浴びる戦艦「ブルターニュ」/Wikipediaより引用

 

ドイツの傀儡政権とはいえ、焼け野原になるよりは……

一応、イギリス軍は手加減していたそうなのですが……フランスの艦船はそもそもここでの戦闘を想定しておらず、停泊位置や向きがまずかったために、ほぼフルボッコになって多大な被害を出しています。
具体的にいうと、4隻あった戦艦のうち1隻が沈没、2隻が中破、フランス側の死者が約1200人くらい。いくらフランスが陸軍国だといっても、手加減されてこの被害って弱すぎやしませんかね……。あるいはイギリスが強すぎたんでしょうか?

ともかく戦闘の結果はイギリスの勝利。
この戦いによってフランス国民は「いきなり攻撃してくるようなヤツらと組んでいいの? ドイツに大人しく従ってたほうがよくない?」という考えが強くなってしまいます。

しかし、この年(1940年)の秋口に物資が配給制になってからは、フランス市民の生活も悪化する一方。徐々にドイツへの印象が悪くなっていき、同時にレジスタンス活動に身を投じる者も増えていきます。

「ヴィシー政権はドイツの傀儡政権」と評されることが多いですけれども、このどちらにもつきにくい状況で、フランス全土が戦場になるようなことを防いだのは、割とスゴイ話ではないでしょうか。

まあ、ドイツから見ても、既に支配下に置いたも同然なフランスをわざわざ意味なく焼け野原にするよりは、イギリスやロシアと戦うために余力を残しておきたかったという話ですかね。かの有名なバトル・オブ・ブリテンも、1940年の7月に始まっていますし。

戦争の話というと、犠牲の多さや悲惨さがクローズアップされますが、戦略面を中心に見ていくと「最悪の外交手段」というのが何となくわかる気がしてきますね。

長月 七紀・記

参考:メルセルケビール海戦/Wikipedia

 

 


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