イギリス フランス WWⅡ その日、歴史が動いた

第二次世界大戦で英軍と仏軍が激突したメルセルケビール海戦 なぜ味方同士で?

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戦争や政争では、ときに常識外れな行動が必要になる――。
いわゆる「奇策」が用いられるケースがあります。

基本的には味方や自国の損耗を少なくするためのものですが、何事にも例外はあり、後世から見ると「なぜその方法を選んだ???」と全力でツッコミたくなるようなものも……。
本日はその一つ、近年の戦争で用いられたとある作戦のお話です。

1940年(昭和十五年)7月3日は、第二次世界大戦の局地戦・メルセルケビール海戦があった日です。

なんとなくドイツを彷彿とさせる響きですが、実際はイギリスとフランスの戦闘が行われました。

「あれ? 第二次世界大戦のイギリスとフランスって連合国同士で味方じゃないの? なんで同士討ちしてんの??」
と思った方もおられるでしょう。

これには、当時の戦況が大きく関係しておりました。

 

 

フランス政権がドイツの支配下にあったため……

メルセルケビールという場所は、当時フランスの植民地になっていた地名です。
アルジェリアの地中海側にあり、GoogleMapだと「メルス・エル・ケビール」となっていますね。

戦闘の名前としては「メルセルケビール」で書かれていることが多いようなので、後者で統一させていただきます。

いずれにせよ、どうして英国vs仏国なんて事態になったのか?

というと、当時のフランスは、ドイツに侵攻されて降伏したばかり。
和平派だった副首相フィリップ・ペタンがヴィシーという町に政権を作り、ドイツの支配下にあったのです。

教科書でも太字になっている「ヴィシー政権(政府)」ですね。

ここまでの戦闘で英・仏両軍で30万人もの犠牲が出ていたこともあり、これ以上の犠牲が出ない道を選んだペタンを、フランス国民は歓迎します。
表向きだけでもそうしておかないと、自分たちの命が危ないですからね。

が、海の向こうからこれを苦々しく見ていた人がいました。
イギリス首相ウィンストン・チャーチルです。

「フランス海軍がドイツのものになったら、ウチの補給線が危ないじゃないか!」というわけです。

ここは世界地図を見ていただき、メルス・エル・ケビールの位置をご確認いただくのが手っ取り早いでしょう。

 

地中海の拠点は絶対守らねばならない事情

当時イギリスの植民地だったインドやオーストラリア・ニュージーランド。
こうしたエリアと本国を連携させるには、地中海からエジプトのスエズ運河及び紅海を通る航路(今風に言えばシーレーン)を確保しておかなければなりません。

メルセルケビールはまさにこの航路の途中にありました。

もしもメルセルケビールを含めた地中海のどこか一ヶ所でもドイツに占拠されてしまえば、イギリスは非常に苦しい状況に追い込まれます。

そこで、
「やられる前にやれ!」
という理由で地中海のフランス海軍を叩きのめしてしまおう、と仕掛けたのがメルセルケビールの戦いです。

後にフランス首相となるシャルル・ド・ゴールはこの時点でロンドンに亡命しており、ラジオでフランス国民に呼びかけていました。
もちろんチャーチルの同意済みです。

つまりド・ゴールとチャーチルの間でそれなりに話し合いがあって、この作戦が決行された可能性が高いことになりますよね。

フランスがドイツの占領下になったということは、イギリス本土に上陸されるのも時間の問題ですから、悠長なことを言っていられない。
それがいささか強引な作戦に及んだ理由だったかもしれません。

なんせ、この時点では誰もド・ゴールが首相になるなんて思っていなかったでしょうし。
当時の彼は、影響力がそこまで大きいものでもないですしね。

 

「……どれも嫌? よろしい、ならば戦闘だ」(超訳)

そんなこんなで、メルセルケビールのフランス軍をどうにかするため――イギリス軍は地中海へやって来ます。
一応、イギリス海軍の指揮官は、メルセルケビールのフランス軍に向けて、呼びかけました。

「今こっちにつけば砲撃するのは勘弁してやんよ! もしくはアメリカに行って俺らの邪魔にならないようにするか、自ら船を沈めてもいいよ? ……どれも嫌? よろしい、ならば戦闘だ」(超訳)

既に本土のヴィシー政権がドイツの傘下に入っている状態で、ここでイギリスにつけば、自分たちがドイツから攻撃を受けるかもしれません。
しかし、ついこの前まで友軍だったイギリスと即座に交戦する……という思い切りの良すぎる選択ができる人は、フランス海軍にはおりませんでした。

そして煮え切らない様子にしびれを切らしたイギリス軍は、「構わん、やれ!」と攻撃を始めてしまったのです。

イギリス艦隊からの砲火を浴びる戦艦「ブルターニュ」/wikipediaより引用

 

ドイツの傀儡政権とはいえ、焼け野原になるよりは……

一応、イギリス軍は手加減していたそうなのですが……フランスの艦船はそもそも戦闘を想定しておらず、停泊位置や向きがまずかったために、ほぼフルボッコ。
多大な被害を出しました。

具体的にいうと、4隻あった戦艦のうち1隻が沈没、2隻が中破、フランス側の死者が約1,200人くらいです。
いくらフランスが陸軍国だといっても、ヒドイ有様です。

かくして戦闘の結果はイギリスの大勝利。
この戦いによってフランス国民は「いきなり攻撃してくるようなヤツらと組んでいいの? ドイツに大人しく従ってたほうがよくない?」という考えが強くなってしまいます。

しかし、この年(1940年)の秋口に物資が配給制になってからは、フランス市民の生活も悪化する一方。
徐々にドイツへの印象が悪くなっていき、同時にレジスタンス活動に身を投じる者も増え始めました。

「ヴィシー政権はドイツの傀儡政権」と評されることが多いですけれども、このどちらにもつきにくい状況で、フランス全土が戦場になるようなことを防いだのは、割とスゴイ話ではないでしょうか。

まあ、ドイツから見ても、既に支配下に置いたも同然なフランスをわざわざ意味なく焼け野原にするよりは、イギリスやロシアと戦うために余力を残しておきたかったという話ですかね。
かの有名なバトル・オブ・ブリテンも、1940年7月に始まっています。

戦争の話というと、犠牲の多さや悲惨さがクローズアップされますが、戦略面を中心に見ていくと「最悪の外交手段」というのが何となくわかる気がしてきますね。

長月 七紀・記

【参考】
メルセルケビール海戦/Wikipedia

 



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