地味な醍醐天皇に降りかかった派手な清涼殿落雷事件 マジで菅原道真の祟りだったのか!?

 

日本史が嫌いな方が良く挙げる理由の一つに、「漢字が難しくて覚えられない・書けない」というものがありますよね。確かに人名や事件名・地名には常用漢字でないものも多く、覚えにくいのも無理はありません。
そんなときは「へん」と「つくり」をバラして、片方だけでも覚えておくと、「そういえばこんな感じだった!」と思い出せるのでオススメです。
ついでに、その物事や人に関する強烈なエピソードを知ると、さらに記憶が定着しやすくなります。
本日はその例にちょうど良さそうな、とある君主のお話です。

延長八年(930年)9月29日は、醍醐天皇が薨去した日です。

歴史の授業では、どちらかというと”後”のつく方のほうが出番が多いので、つかないほうの方はあまり記憶にない……という方が多いかもしれませんね。
しかし、実は強烈なエピソードを持った方です。さっそく生涯を追いかけてみましょう。

【TOP画像】醍醐天皇/wikipediaより引用

 

藤原時平を左大臣に、菅原道真を右大臣に

醍醐天皇は、父の宇多天皇が臣籍に下っていた間に生まれた子供です。といっても2歳のときに皇籍へ復帰しているので、ご本人にはあまりそういった感覚はなかったでしょうね。
8歳のときに皇太子となり、12歳で皇位に就いています。この頃としてはマシなほうではありますが、まだまだ幼いと言っても過言ではない歳ですよね。

そんなわけで、醍醐天皇は父の遺言をもとに政治を執り行うようにしました。

まずは藤原時平を左大臣に、菅原道真を右大臣にし、文字通り左右をがっちり固めます。
こうして「延喜の治」と呼ばれる、良い政治が行われた時代が始まります。
摂政・関白がいない=天皇の親政が行われたという意味でもあるのですが、実際には、時平や道真の意向が強く働いていました。まあ、冷静に考えれば中学生くらいの子供がすぐに善政を布けるわけはないですよね。
君主が親政をすればうまくいくとは限りませんから、むしろ「優秀な人が実務に携わることができた」という意味ではいいのですけれども。

時平は醍醐天皇の父・宇多天皇の時代「寛平の治」をモデルとし、貴族や寺社の権力を制限しました。これによって庶民を保護し、広く浅く税を課して国政に役立てようとしたのです。
これだけだとものすごくイイ人に思えますが、庶民を保護したほうが税収が増えますし、政治に口出しされないで済むという理由が大きいかと思われます。
この政治のやり方は、菅原道真が原案だという説もありますね。

百人一首の菅原道真/wikipediaより引用

百人一首の菅原道真/wikipediaより引用

 

理屈第一の道真に対して少々なぁなぁな時平では……

しばらく幼い主君を守り立てていた左右の大臣も、しかし徐々に不和が生じてきます。

道真は学者として出世しただけに、理屈を第一にするところがありました。また、時平は藤原氏という由緒正しい貴族の家に生まれている割には、情にもろいところがあり、法律にないことでも「特例」として許してしまうことがままあったといいます。
当然ながら、二人の仲はどんどん悪くなっていってしまいました。

さらに、醍醐天皇は時平のほうが好ましく思えたようで、時平の「道真は、陛下を廃して自分の娘婿の斉世親王殿下を皇位につけようとしています」という讒言を聞き入れ、道真を大宰府へ左遷してしまうのです。
同時期に時平の妹・穏子が入内しているため、後宮政治のもつれと見ることもできますね。

このとき醍醐天皇はまだ16歳ですから、そうした裏事情まで計算できなかったとしても無理はありません。せめて、時平や道真の他に頼りになる人がいればよかったのですが……。

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「もしかして道真が……」

かくして道真は大宰府へ赴任し、しばらくは穏やかな日々が続きました。

醍醐天皇は和歌を好み、自らの歌集「延喜御集」を編纂したほか、延喜五年(905年)には「古今和歌集」の編纂を命じています。選者は紀貫之などですね。
……つまり、先日アレな失恋エピソードをご紹介した平貞文(過去記事:イケメン貴族・平貞文のマヌケすぎる失恋劇 男の勘違いはいつの時代も女をドン引きさせる、あわれなり……)も、この時代の人だということになります。そもそも相手の女性が時平の妻の一人ですしね。
道真と時平の凄絶な政争の陰で、あんな喜(悲)劇が繰り広げられているとは、まさに「事実(仮)は小説より奇なり」といったところでしょうか。

まあそれはともかく、この後から朝廷に不穏な空気が立ち込めてきます。
時平が39歳の若さで亡くなり、穏子との間に生まれた保明親王(しかも皇太子)も21歳で亡くなってしまいました。さらに、保明親王の息子である慶頼王も、幼くしてこの世を去ってしまいます。
時平と関わりを持つ、もしくは血縁を持つ男性が次々に亡くなったわけです。この時代に若くして亡くなる人は珍しくないとはいえ、流行病でもないのにこの連鎖。

人々が「もしかして道真が……」と考えるまで、そう長くはかかりませんでした。

醍醐天皇もそう思うようになり、左遷から22年経った延喜二十三年(923年)に、道真の官位を戻して慰霊を執り行います。
しかし、その甲斐なく(?)延長八年(930年)の夏に清涼殿落雷事件が起きてしまったのです。

 

そして雷は清涼殿に落ちた

清涼殿とは、御所の中で天皇が政務を執る建物のこと。御所の中枢ともいえる場所ですから、その日も多くの文官・武官がそれぞれの仕事をしていました。
この年はひどい干ばつだったため、主な議題は「雨乞いの儀式をするかどうか」でした。

ところが、午後になって突如大雨が振り出し、雷も鳴り出します。普通なら「これで儀式をしなくても大丈夫だろう」と安堵できるところですが、この日の雷雨は異常なものでした。
なんと、清涼殿の柱に雷が落ち、そのすぐそばにいた貴族及び、警護の武士数名が感電して亡くなってしまったのです。

御所、しかも天皇がリアルタイムでいる場所に雷が落ちただけでも、当時の価値観では不吉の極み。しかも死人が出ているのですから、醍醐天皇の衝撃は計り知れません。
一説には、雷が落ちた被害者を直視してしまったとか……そりゃ気分も悪くなりますよね。被害者にはお気の毒どころではありませんけれども。

被害者の貴族の一人である藤原清貫という人が以前道真の監視役をしていたこともあり、この事件はたちまち「道真の祟りじゃ……?」と噂されるようになり、醍醐天皇はその後体調が回復することなく、三ヶ月後に亡くなったといわれています。
現実的に考えれば、PTSDで睡眠障害や摂食障害になった末に……というところでしょうか。皇室でワースト5に入る悲惨な最期といえましょう。

あまりにも後味が悪いので、もう少し前向きな話で〆ますね。

『北野天神縁起絵巻』に描かれた清涼殿落雷事件/wikipediaより引用

『北野天神縁起絵巻』に描かれた清涼殿落雷事件/wikipediaより引用

 

醍醐とは食べ物の名前 牛乳を熟酥(じゅくそ)して作られる

「◯◯天皇」というのは死後のお名前であり、存命中は「今上」や「お上」と呼ぶのが天皇の話をするときのセオリーです。◯◯の部分には、できるだけ良い意味の字を選んでつけることになっています。
では、書きにくくて受験生涙目になる「醍醐」は、いったい何のことなのでしょうか?

実はこれ、食べ物の名前です。

お経の一種である涅槃経(ねはんきょう)に「牛より乳を出し、乳より酪(らく)を出し、酪より生蘇(しょうそ)を出し、生蘇より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐を出す、醍醐は最上なり」とあります。つまり、牛乳を少しずつ精製していって、一番最後にできるのが醍醐です。
詳しい作り方は散逸してしまっているため、現在でははっきりわかりません。しかし、精製を重ねているわけですから、「量産はできないがとんでもなく美味しいもの」だろう、というのは想像がつきますよね。
当時の人も「う、うまい!(テーレッテレー♪)」と思っていたらしく、ここから「醍醐味」という言葉ができたといわれています。

また、涅槃経では「醍醐を作るのと同じように、お経も少しずつ改良されてきたんだよ。人を育てるのも同じだよ」(超訳)と続きます。欲を慎むイメージが強い仏教で、食べ物を使った例えが出てくるのは何となく意外ですね。

そんなわけで、「醍醐」という言葉は食べ物であり仏教用語でもあり、お寺の名前にもついています。
醍醐天皇が葬られたのも、京都の醍醐寺というお寺の近くです。ここは天皇が直々にお祈りをする「勅願寺」でしたので、諡号に選ばれた直接の理由はこっちでしょうね。
とはいえ、元の意味は食べ物であることは変わりないですし、食べ物の名前がついた君主というのもかなり珍しいですね。
後醍醐天皇は……うん(´・ω・`)

醍醐寺は、これより670年ほど経った頃、豊臣秀吉が醍醐の花見をした場所でもあります。もしかしたら醍醐天皇も、どこかから毎年桜を眺めているのかもしれません。
梅を愛でた道真と、あの世では和解できているといいのですが。

長月 七紀・記

参考:醍醐天皇/wikipedia 延喜の治/wikipedia

 


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コメント

    • 馬渕まり
    • 2016年 9月 29日

    こんばんは〜。
    醍醐ってカルピスの名付けにも関係してるんですよって豆知識。

    http://www.calpis.co.jp/corporate/history/story/3.html

    まだ掲載されておりませんが、日本史悪ミシュランで藤原時平を書きました。載りました
    ら併せてお楽しみ下さい(宣伝)。

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