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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

「金色夜叉」の発表後に亡くなった尾崎紅葉 塩原「清琴楼」で在りし日に思いを馳せる

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一個人の人生にとっても一国の歴史であっても、世の中は何が功を奏するかわからないものです。
大体の場合は「落ち着くべきところに収まる」ということが多いような気がしますけれども、中には自分の意志で強引に方向性を決める人もいますよね。外から見ていると痛快ですが、ごく近しい人からするとハラハラさせられたりして。
本日はそんな感じの、とある作家のお話です。

1903年(明治三十六年)10月30日は、作家の尾崎紅葉(こうよう)が亡くなった日です。

彼が意識したわけではないでしょうが、まさに紅葉の時期に亡くなったことになりますね。
それだけでなんとなく風流なイメージが出てきますが、実はカレ、結構アバンギャルドな生涯を送っていました。

【TOP画像】尾崎紅葉/wikipediaより引用

寛一お宮像寛一お宮像 / ume-y

 

母型の祖父母に育てられたこともあり、父親に反発

紅葉は、現在の東京都芝大門に生まれました。
父親は根付(ねつけ・小物を帯から吊るすときに使う留め具)を作る職人と、幇間(ほうかん)という職を兼ねていたそうです。一方、幇間とはいわゆるお座敷遊びをサポートして、客を楽しませる職業のこと。芸者さんの女房役みたいな感じですね。
紅葉にとってはそのどちらか、あるいは両方とも好ましく思えなかったらしく、彼は父の仕事について語ることを避けていたそうです。もう少し前の代では米か呉服を扱う商家だったそうなので、「お金がないために落ちぶれた」と嘆いていたのかもしれません。

母とは早くに死に別れ、母方の祖父母に育てられたことも、父に反発する理由の一つになっていそうです。
父親ならば、紅葉の育成を考えて預けたのでしょうが、子供の頃ってそういうことがわかりませんものね。大人になってわかるようになったとしても、わだかまりになりやすいですし。

学校には真面目に通っており、日比谷高校の前身にあたる東京府中学の一期生になりました。
しかし、ここでの教育は肌になじまなかったようで、府中学を辞めて別の場所で漢学や漢詩・文、英語などを学んでいます。そして大学予備門(現在の東大)入学を目指します。今でいうなら、大検を目指した感じでしょうか。

幸い、母の実家の知人が学費を援助してくれたこともあり、紅葉は念願叶って大学予備門へ入学できた……のですが、入学前から詩作や文学に浸りきっておりました。
「手に入ったら興味がゼロになる」というタイプだったんですかね。
とはいえ、これにより紅葉は文壇への道を歩み始めたので、結果オーライでしょうか。

 

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「我楽多文庫」が話題となり吉岡書店から小説を発表する

明治十八年(1885年)からは同好の士とともに雑誌「我楽多文庫」を創刊。
最初は肉筆で(!)作っていたそうで、後に好評を得て活版で出せるようになったといいますから、相当のものだったのでしょう。

これが出版社・吉岡書店の目に留まり、「君たち、ウチが今度出す小説の叢書(そうしょ・シリーズ本のこと)で書いてみないか?」とお声がかかります。
そして、その第一弾として「二人比丘尼 色懺悔」という作品が出版されました。

比丘尼=尼僧=聖職者と”色”懺悔とは、なかなか倒錯的なタイトルですよね。
これは、偶然同じ武士に恋をしていた女性二人の物語です。その武士は戦で命を落としてしまい、女性たちは髪を下ろして菩提を弔うことに。そしてあるとき、一方の女性が他方の家に宿を借りたい、と頼んできたところから始まります。

紅葉のアピールポイントとしては「時代を定めない」こと、そして「この小説は涙を主眼とする」ということでした。ものすごくざっくりいうと、大人向けの民話のようなイメージでしょうか。

外から見ると、この小説にはもう一つ特徴があります。
会話は口語体、地の文は文語体になっているのです。
現代人から見ると、当時の仮名遣いに目が行って、なかなか気づきにくいところですが、実はこれが画期的なことでした。

 

資本主義化が急速に進み「金色夜叉」がベストセラーに

こうして物語の内容と文体で注目を浴びるようになった紅葉は、流行作家として歩んでいくことになります。
同時期に、井原西鶴の作品を多く読み、影響を受けたとも。

大学の方はといえば、編制が変わったことなどもあり、あちこちに編入したり転科したりして、結局退学してしまいました。在学中から読売新聞で作品を発表していたので、学校へ通うことの意義が見いだせなくなってしまったのかもしれません。

その後は、源氏物語によって心理描写を主体とする作風に変わっていきます。
そして紅葉の作品で最も有名な書くに至ります。

おそらく皆さんご存知でしょう。
「金色夜叉」です。

この話は、一言でいえば「お金と愛、どちらを取るか悩んだ女性と、純情な青年の物語」というところでしょうか。近年のドラマでもたびたび取り上げられるテーマですよね。

日清戦争後、急速に資本主義が進んでいた当時の世情に合致したこの作品は、紅葉一番のベストセラーとなりました。
しかしその人気ゆえに、紅葉は金色夜叉の続編を書き続けなければならなくなります。
現代のマンガ業界などでもままある話ですね。

 

塩原や修善寺などで温泉療養をしながら胃癌で亡くなる

読者からの続編の要望は、大きなプレッシャーとなったのでしょう。
紅葉は心身ともに身体を弱めてしまい、塩原や修善寺などの温泉で療養を試みます。

しかし、間もなく胃がんと診断され、実にその7ヶ月後に亡くなってしまいました。

秋田の玉川温泉のように「がんに効く」といわれる温泉もあるものの、一般的にガンなどで体力の落ちた人は、温泉に入らないほうがいいとされています。
つまり、療養するつもりが、どんどん命を縮めてしまったことになるわけで……皮肉なものです。

ただ、そのおかげ(?)で紅葉が金色夜叉を書いた宿は、作中の名前である「清琴楼」となり、紅葉の泊まった部屋を今に残してくれています。見学のみだそうですが、在りし日の紅葉を偲ぶために訪れるのもいいかもしれません。

塩原は他にも多くの文人が訪れており「塩原もの語り館」でそれぞれのエピソードを見ることもできますよ。どの作家か忘れてしまったのですが、「隣の客の宴会がやかましくて宿を変えた」という人の話もあったような……。

静かに塩原を楽しみたい方にはオススメです。
(黄金色のおまんじゅうや袖の下はいただいておりません)

 

長月 七紀・記



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参考:尾崎紅葉/wikipedia

 

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