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思わず口がこう(^q^)なってしまう、今日はケーキの日♪ 世界の歴史・人物と共に振り返る

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今回は久々に飯テロ注意報です。ダイエットもしくは糖質制限中の方もお控えになったほうがいい……かもしれません。

1月6日は「ケーキの日」です。

1月5日だったら「いちご」でショートケーキを連想するのもアリですが、なぜ1月6日? というのは明治十二年(1879年)のこの日、上野の風月堂で初めてケーキを宣伝したことにちなむそうで。ただし現在の風月堂公式サイトにその記述はないようですね。今の同社の看板商品はゴーフルやカステラですし。
欧米圏では「ケーキ」というと日本人がイメージするケーキだけでなく、焼き菓子全般を指すこともあるので、カステラやビスケットを指していた可能性もありますが。

まあその辺はともかく、本日は歴史と接点のあるケーキのお話をいくつかご紹介しましょう。

 

・ヴィクトリアンスポンジ(ヴィクトリアサンドウィッチ)

イギリスのヴィクトリア女王が王配(女王の配偶者)アルバートを亡くして沈みきっていた頃、「何とか元気を出してもらって、政務に戻ってもらおう」と考え出されたものといわれています。
バター・粉・砂糖・卵を同じ量ずつ混ぜたパウンドケーキのような生地に、クリームとジャム(もしくはイチゴなどのフルーツ)をはさんだシンプルなケーキです。
ヴィクトリア女王はアルバートの死後、生涯喪服で通したのですが、このケーキのおかげもあって(?)少しは政務をするようになったとか。

ヴィクトリア女王は何年も喪に服しすぎて「女王がいなくても国はうまくやっている。もう王室なんていらない!」と言われてしまっていましたので、ある意味ではこのケーキがイギリス王室を守った……といえるかもしれません。
少々大げさですが。

Victoria SpongeVictoria Sponge / Carwyn Lloyd Jones - Dylunio Creadigol

 

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・ザッハトルテ

チョコレートケーキの有名どころにも、ちょっとした歴史との接点があります。
これは、オーストリアのフランツ・ザッハーという人が初めて作ったものです。
彼はナポレオン戦争時代のオーストリア外相クレメンス・メッテルニヒの屋敷に仕えていたのですが、あるときメインシェフの病欠中に
「今度お客さんが来るから、何か斬新な菓子を用意しろ。くれぐれも私に恥をかかせないようにな^^」(※イメージです)
という無茶振りをされ、知恵を振り絞ってザッハトルテを考えだしたのだとか。
ちなみに、当時ザッハーはメッテルニヒに仕え始めてまだ2年め、16歳だったそうです。若かったからこそ、柔軟な発想ができたのかもしれませんね。

ザッハーはその後、当時オーストリア領だったクロアチアやハンガリーで勤めたりレストランを経営したりしましたが、最終的にはウィーンに戻ってきました。
そこでザッハトルテを売る店を開き、大好評を博した結果、彼の名とこのケーキが広まったといわれています。

オーストリア絡みでついでにもうひとつ。
オーストリアの有名な君主といえばマリア・テレジアですが、彼女の名にちなんだ「カフェ・マリア・テレジア」というものがあります。
これは、オレンジリキュールを加えたコーヒーにホイップクリームを浮かべ、その上に細かく砕いたキャンディーを散らしたコーヒーです。
これなら昼間からお酒を飲めるということで、マリア・テレジアがこの飲み方を好んだことから名付けられたそうで。

ヴィクトリア女王といい、マリア・テレジアといい、君主であっても、やはり女性は甘いものが好きなんですかねえ。
ザッハトルテ
ザッハトルテ / sorarium

 

・バウムクーヘン

紀元前に似たようなお菓子が作られていたといわれていますが、洋菓子店「ユーハイム」の創始者であるカール・ユーハイムが日本で作ったことがきっかけで広まりました。

カールは第一次世界大戦の際、中国・青島で洋菓子店を営んでいたのですけれども、日本軍の捕虜となって大阪俘虜収容所にやってきました。そして1919年に広島の似島(にのしま)検疫所(兼収容所)に移されています。
映画「バルトの楽園」の舞台となった板東俘虜収容所同様に、似島でも国際法上の理由や「捕虜とはいえ、西洋人から技術を学べるチャンス!」というねらいで、捕虜にある程度の自由が認められていました。
そして広島県商品陳列所(現在の原爆ドーム)で、ドイツ人捕虜の手がけた品々を披露する博覧会が開かれることになったのです。
カールはこのためにバウムクーヘンを作りました。正確には”博覧会に出品する他のドイツ人捕虜に「できるかできないかじゃない、やるんだ」と言われてやった”そうですが。

バウムクーヘンは、他のケーキと違って「薄い生地を何層にも重ねて焼く」「変形を防ぐために冷めるまで回転させ続けなければならない」といった特殊な工程があるため、専用オーブンの有無と職人の腕と手間が問われるケーキです。
つまり、当時の日本で作るのは設備的にほぼ不可能同然でした。勧めるほうも勧めるほうですが、やったカールもカールですね。
準備を進めるうちに、カールのドイツ人としての誇りが妥協を許さなくなったのでしょうか。ド根性すげえ。
多少日本人向けに味の調整はしたそうですけれども。

その努力の甲斐あって、カールのバウムクーヘンは博覧会で一番の人気商品になりました。
戦後に日本の喫茶店で勤めたときや、洋菓子店を営むようになってからも、バウムクーヘンが看板商品になったそうです。

ちなみに、カールは日本で初めてマロングラッセを売り出した人でもあります。
青島にいた頃「日本人はバターをたくさん使った菓子は好みじゃないらしい」と気付いていたそうですから、目のつけどころがいい人だったんでしょうね。

あづみ野菓子工房 彩香のバウムクーヘンあづみ野菓子工房 彩香のバウムクーヘン / akira yamada

 

少し歴史からは離れますが、面白い逸話のあるケーキもいくつかご紹介しましょう。

・タルト・タタン

フランスのホテル・タタンで働いていた姉妹が、アップルパイを作ろうとして失敗したのが始まりといわれています。
アップルパイならりんごが内側にありますが、タルト・タタンでは上にりんごが見えているのも、元はひっくり返して盛り付けたからです。まんま「失敗は成功の母」なお菓子ですね。
その後、「ホテル・タタンの名物菓子」として有名になり、タルト・タタンと呼ばれるようになりました。その後有名レストランのメニューに加えられ、フランス国内と世界に広まっています。
現在では、クッキーのようなミニサイズのタルト・タタンを作っているお店もありますね。

タルトタタンタルトタタン / akira yamada

 

・シフォンケーキ

元々あった「エンゼルフードケーキ」を、一般の料理愛好家が改良したのが始まりとされています。
エンゼルフードケーキは卵白・砂糖・小麦粉+αで作るのですが、これに卵黄とサラダ油を加えて、よりふわふわで口当たりをよくしたのがシフォンケーキです。
実は、シフォンケーキを焼くときのあの特徴的な分厚いドーナツのような型は、元々エンゼルフードケーキのために作られたものでした。
最近ではエンゼルフードケーキも日本で売られるようになってきましたので、食べ比べてみるのも一興かもしれません。

guinness chiffon cakeguinness chiffon cake / [puamelia]

 

・ドイツと関係ないのに「ジャーマン」ケーキ

アメリカの製菓会社に勤めていたサミュエル・ジャーマンという人の開発したチョコレートを用いたケーキです。つまり、「ジャーマンさんの作ったチョコレートを使った、アメリカ生まれのケーキ」であり、ドイツとは全く関係ありません。ややこしいですね。
チョコスポンジケーキに生クリームをはさみ、ココナッツをトッピングするという、材料の原産地が国際的な感じの作りです。
沖縄でメジャーなのは、やはり戦後のアメリカ統治時代に広まったのでしょうかね。米軍基地近辺でもメジャーだったりするんでしょうか。教えてエ□い人。
ドイツは世界有数のチョコレートの消費量・生産量・輸入量を誇っていますので、ジャーマンケーキも案外、ドイツ人の口に合うかもしれませんね。ドイツ人のお知り合いがいらっしゃる方は、勧めてみてもいいかも?

ジャーマンキングショートジャーマンキングショート / ume-y

どれも、ケーキを食べるときのちょっとした話のタネになりそうですね。よろしければご活用ください。

長月 七紀・記

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参考:なるほど統計学園 ザッハトルテ/wikipedia フランツ・ザッハー/wikipedia カール・ユーハイム/wikipedia バウムクーヘン/wikipedia タルト・タタン/wikipedia シフォンケーキ/wikipedia Angel_food_cake/wikipedia ジャーマンケーキ/wikipedia

 

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