何気ない物事の中にも、それぞれの時代によって全く違う意味を持つことがあります。
かつては君主しか使えなかったようなものが、現代では一般人も気軽に使えるようになっている、とか。パソコンだって、この半世紀の間に生まれて爆発的に広がったものですしね。
本日はそんな感じの、とあるモノの歴史に関するお話です。
1月4日は「石の日」だそうです。
文字通り語呂合わせで決まっている日なのですが、それだけで終わらせるわけにも参りません。
本日は歴史上における「石」の役割やら用途やらを見ていきましょう。
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洋の東西を問わず神秘的な存在だった
古代社会において、洋の東西を問わず、石は神秘的な存在と考えられていました。
木と違って焼けることもなければ、人が簡単に傷つけることもできません。おそらく「石同士をぶつけて割る・削る」といったことは、かなり古い時代から行われていたでしょうけれども、それがまた「石には神様が宿っているから、神様同士の勝負なのだろう」みたいな理屈が考えられたかもしれませんね。
そんなわけで、最も古い社会においては、「デカイ石はスゴいものである」という概念がありました。ストーンヘンジなどがいい例ですね。
デカすぎてもはや石というより岩ですが、そもそも「石」の定義が「岩が小さくなったもの」なので、こまけえこたあいいんだよ。
日本でも、特に奈良県にはこの手の遺跡が多いことで知られていますね。
明日香村の酒船石遺跡などでは、明らかに人の手で加工された石造物、それも後の時代とは明らかに異なる形状をしたものが見つかっており、謎が謎を呼んでいます。
「猿石」などちょっと不気味なものや、「酒船石」のように幾何学的な模様が入っているものもあれば、「亀石」のようにちょっとカワイイものもあったりして、興味深いところです。
「鬼の俎(まないた)」「鬼の雪隠(せっちん。トイレのこと)」といった恐ろしげなものもありますが。
また、古くから実用的に使われた石としては「黒曜石」が挙げられます。見た目はただの真っ黒な石ですが、削ったり割ったりすると刃物として使えるので、古代社会では調理や武器などによく使われました。社会科の資料集でもおなじみですね。
現代ではパワーストーンとして位置づけられることもあります。そっちの世界では「オブシディアン」と英名で呼ばれていることが多いでしょうか。
岩石や岸壁に刻まれた文字や絵=「ペトログリフ」
さて、文明がもう少し進んで、石を割ったり削ったりして「石材」として使えるようになると、今度は別の用途が増えてきます。
記録媒体と建築材です。
紙が浸透する以前、記録媒体として、石碑や粘土板などが多く使われていました。国によっては竹簡・羊皮紙・パピルスという選択肢もありましたが、「これは後世にもずっと残しておきたい」と思われる事物を岩や石に刻んでいたのです。
こういった岩石や岸壁に刻んだ文字や絵のことをまとめて「ペトログリフ」といいます。
「ペトロ」はイエス・キリストの一番弟子で、最初のローマ教皇とみなされる人物の名前でもありますね。「グリフ」は彫刻という意味です。
二つのギリシア語の単語を組み合わせた呼び方になっています。ちなみに古代エジプトの絵文字として有名な「ヒエログリフ」の「ヒエロ」は「聖なる」という意味の言葉からきています。
無味乾燥に見えるカタカナ語も、バラしていくと「その部分がそういう意味だったのか!」と面白くなることがありますねえ。
時代が古ければ古いほど「墓標」や「宗教施設」が多くなり
建築材として石が使われた例はいわずもがな、ギザの三大ピラミッドでしょう。それ以外にも例が多すぎて、挙げるのに困るほどです。
時代が古ければ古いほど「墓標」や「宗教施設」が多く、時代を下るほど「宮殿」や「一般家屋」に石が使われている、というところは留意すべきかもしれません。これまた石の持つ神聖性や永続性と宗教・使者が結びついているからです。
ヨーロッパ=石造建築というイメージが強いですけれども、実は木造建築も結構存在していました。
例えば、イギリスでは1666年のロンドン大火の際、木造家屋の85%が焼失したために「これからは木造家屋禁止!」という規制が敷かれています。
イギリスでは地震がほぼ起こらないですから、きっとこのとき焼けた木造家屋には、数百年モノの家も多かったでしょうね。
また、イギリスやフランスの東部地域・ドイツの伝統的な建築である「ハーフティンバー様式」では、木で組んだ枠組みの間を漆喰や石・レンガなどで埋めるという方法です。木の枠が外に見えるため、「ウチはこんなにいい木材を使っているんだぞ!」という自慢のタネになったり、装飾の意味もありました。
石造建築=頑丈で良いという気もしますが、木材には木材で良いところがある、という価値観がうかがえますね。
となると、やはり宗教施設や宮殿など、「万が一焼けたら困る場所」で石造建築が多用された……ということになります。
現在では石材を使う場面というと、庭やお墓を作るときくらいでしょうかね。
切腹のときに座していた石段が今も濡れ続けている!?
千葉県市川市の弘法寺(ぐほうじ)にある「涙石」のように、まだまだ神秘的な伝承を持つ石も存在します。
「江戸時代に日光東照宮で使う石を海路で運んできた人が、この近辺で船が動かなくなってしまい、仕方がないので近所にあった弘法寺の石段に使った。当然幕府からお咎めを受け、担当者は作ったばかりの石段の上で切腹した。それ以降、切腹した位置の石だけが常に濡れ続けている」というものです。
「地下水脈が触れているからなのでは?」という説もあるようですが、それなら同じような石が他に複数発見されていてもいいですよね。実に不思議なものです。
まあ、諏訪湖の「御神渡り」ですら科学的に解明されている世の中ですから、そのうち涙石のナゾも解けるかもしれません。
それはそれで、神秘性が薄れて寂しい気もしますけれども。
長月 七紀・記
参考:石/wikipedia ペトログリフ/wikipedia ストーンヘンジ/wikipedia 夜泣き石/wikipedia 殺生石/wikipedia 弘法寺_(市川市)/wikipedia